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エジプトの政変について思う

エジプトのモルシ大統領がクーデターで解任された。30年政権の座にいたムバラクにくらべて、たった1年で為政者の座を追われてしまった。このグローバル化された世界では、20世紀後半のような何十年にもわたる独裁政権というのは政体や法律にかかわらず成立しにくくなっていくだろう。

 
これだけ運動が盛り上がっていながら、内戦に突入せずほぼ無血クーデターでひと区切りついたのは結果的にはよかったのかもしれない。それは2年前ほどではないにしろ、いぜんとして民衆の支持の高い軍のおかげだ。でも、選挙によって合法的に選ばれた大統領が、民衆の不満を背景としているとはいえ、軍の強権によって排除されてしまったのは後味悪い。

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今後エジプトがどうなるのか、いろんな予測がなされているが、たいていは慎重というか悲観的だ。いずれにせよ鍵を握るのは軍なのだろうな。最近ようやくいわれるようになってきたが、エジプト軍はふつうの国の軍隊とはちょっとちがう。それは独立以来、軍事力だけではなく、官民にかかわらず国内のあらゆる産業を牛耳ってきた、いわば巨大な企業体だ。BBCは「巨大なビジネス帝国を牛耳るエジプト軍」という記事を書いている。そこでは最近カイロ郊外にできた巨大なスポーツセンターをはじめ、製造業から食品、土建、不動産、観光業など、さまざまな産業が軍によって経営されていること、さらに財務省に軍が金の貸し付けまでしていることなどが報じられている。

 
記事によると、軍が占める産業支配の割合は、エジプトのGNPの8〜40パーセント。8〜40パーセントとはずいぶんな幅だが、要するに秘密主義なのではっきりとした数値がわからないが、それほど大きな存在なのである。エジプトの地方知事のほとんどは引退した将校だし、農業、都市開発、観光業といった土地開発にかかわる三大機関の長も旧将校に占められている。人脈、金、ビジネスなどすべてにわたって、とてつもなく大きな利権を握っているのが軍なのである。しかも、そこにアメリカ政府から毎年1000億円以上の援助金が流れ込む。

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もし本当の革命とか改革というのがあるとしたら、こうした軍による巨大な利権システムの解体を図ることにほかならないような気がするのだが、2年前の革命も、今回の政変も結果的にそこに切り込むものではなかった。2年前の革命では民衆の支持を失ったムバラクを軍が見限った(ムバラクは軍出身であったにもかかわらず)。同胞団は軍はもともと仲が悪かったし、モルシ政権になってからは軍は大統領権限をあからさまに制限しようとしてきた。こうした軍の圧力に対して、モルシは同胞団メンバーを片っ端から地方知事などの公的な地位につかせて対抗しようとしたが、しょせん軍の敵ではなかった。


 
あと、もうひとつ、イスラームの最高権威であるアズハルがモルシやムスリム同胞団を批判して、軍や反体制派の側についてしまったのも、へえ〜と思った。アズハル大学はカイロにあるイスラーム・スンニー派の最高学府で、アラブ世界のイスラームの最高権威。ムスリム同胞団もアズハル出身者が多いはずだ。イスラーム化を推進する同胞団を、アズハルのトップ(ムフティ)が批判し、結果的に世俗主義である軍の側に立つ。これは軍や世俗主義側としては、ムスリム同胞団よりはるかに宗教的に権威のあるアズハルからのお墨付きをもらったという意味で心強いことだっただろう。

 
しかし、イスラーム化をめざす政権団体をさっさとみかぎって、強いほうに寝返るアズハルってのはなんなんだろう。それって日和見すぎないかと思っていたら、「いや、もともとアズハルというのは、そのときの政権におもねることで存続してきた組織なのだよ」と米国在住のアラブ人のシブリーさんがfbで書いていた。

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アズハルはファーティマ朝時代(10世紀〜12世紀)にカイロに創立された世界最古の大学だが、ファーティマ朝はもともとシーア派から分かれたイスマーイール派の王朝だった。ところが、ファーティマ朝が滅んで、スンニー派の王朝になるとこんどはアズハルは存続のためにスンニー派の教育機関になった。つまり、イスマーイール派のときはイスマーイール派として、スンニーになるとスンニーとして、ムバラクの時代はムバラクと手を組み、モルシの時代はモルシと手を組み、モルシが弱くなるとこんどは世俗主義と手を組み、というふうに政治体制のいかんにかかわらず、存続のために、そのときいちばん力のある勢力と手を組んできたのがアズハルだとシブリーさんはいうのだ。

 
まあ、それはアズハルだけではない。宗教的マイノリティであるコプト教の総主教も2年前の反政府運動の盛んな時期に、あれほどコプトに対する差別政策がまかりとおっていたにもかかわらず、ムバラクを支持する声明を発表していた。それは同胞団政権よりも、まだましという計算にもとづいた苦渋の選択だったのだろう。存続していくためには仕方がない。

 
あるエジプト人の知り合いに「エジプトで生き延びていくための処世術のこつは、そこでいちばん力を持っていそうな人をすばやく見抜いて、そのそばに寄り添うことだ、その人が力を失いそうだったら、すぐにつぎの人に寄り添うことだ」といわれたことがある。もっとも、その知り合いの場合、それができなかったがゆえに、なかなか出世できなかったのだが。

 
話はとぶけれど、そうやって見ていくと、今回の政変は、イスラーム主義と世俗主義との戦いとか、イスラーム化に対して自由や民主化を求める運動というくくりでは見られない。軍という巨大なビジネス帝国、それもグローバル化によっていっそうふくれあがった既得権益の牙城の下で、なんとかそこに食いつこうとしている人たちのサバイバルゲームというイメージだ。その結果、ムスリム同胞団が負けて、旧ムバラク政権勢力とアズハルとコプトがそこに食らいついたという感じかな。

 
それはどことなく日本のようでもある。エジプトより「民主化」されていて「自由」でもあるはずの日本で、あいかわらず原発はなくならないし、そればかりか再稼働がさっさと決められていく。それのどこが民主主義なのか。民主主義も自由も、いってみれば「正義の名の下に」といったお題目と同じような空疎なものにすぎない。得体の知れない既得権益という牙城を守りながら、とりあえず景気さえ良くなるといっておけば、どんな体制だろうが、どんな社会だろうが、それで納得するだろうという目論見が透けて見える。

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エジプトが同じとはいわないが、今回の政変のきっかけは経済政策の失敗による物価高や失業者の増加、治安の悪化などだ。イスラーム主義だろうがなかろうが、世俗主義だろうがなかろうが、民主主義だろうがなかろうが、経済が回れば国民は納得する。ただし、同胞団のようにアメリカに嫌われている政権では、アメリカからの支援や海外からの投資も激減したし、テロへの恐怖から観光産業もふるわなくなったし、増税と値上げをするしかなくなった。それがこの国の4割ともいわれる貧困層を直撃した。

 
政変は、そうした袋小路からもういちどアメリカの支援や海外からの投資がひきつけられる軍中心の体制へと戻したということだろう。それは軍という既得権益を温存し、その利権構造に入り込めた一部の人にとっては甘い世界かもしれない。でも、そこからこぼれ落ちる圧倒的多数はますます追い詰められていくのではないか。いずれにしても先が見えないなあ。

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コメント

同胞団は、組織結成の当初から、暴力暗殺集団として活動してきました。だからナセルの時代に弾圧された。その後も、エジプトの外でも同様。だから、アズハルとは最初から相容れません。同胞団の歴史を一度ひもとけば、すぐわかることです。

エジプトはずっと社会主義でやってきたので、軍と公務員は左派です。革命で与党(左派)だけは解体しましたが、軍と公務員はそのままですから、しばらくゴタゴタしたあと、後戻りした。エジプト社会の仕組みを知っていれば、すぐわかることです。

投稿: 通行人 | 2014年10月12日 (日) 03時30分

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