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タリバーン幹部からマララへの手紙

昨年10月にタリバーンに頭を撃たれたパキスタンの16歳の女性マララ・ユスフザイ。やっと怪我から回復した彼女が、さる7月12日にニューヨークの国連本部で行ったスピーチは感動的なものとしてメディアで大きく取りあげられ、「マララさんにノーベル平和賞を」という動きまで起きているという。それはテロリズムや暴力によって子どもたちが教育の機会を奪われることがないように先進諸国に支援を求めるとともに、暴力ではなくペンによって戦うことを訴える内容だった。


そのマララに宛てて、数日前、パキスタンのタリバーン運動(TTP)の幹部アドナン・ラシードが書いたという反論の書簡が公開された。アドナンは、このような事件が「起きてほしくはなかった」とする一方、「タリバーンは教育そのものに反対しているわけではなく、あなたのプロパガンダが問題とされたがゆえに、あなたを襲撃したのだ」と書いている。


その反論や弁明にはいいわけがましい印象を受けるのもたしかだが、この書簡には西側諸国が主導してきたグローバライゼーションに対する、彼らの切実な危機感がよく表れているように思った。日本語の報道の多くは「こんな書簡が公開された」というだけで、内容には深くふれていない。


アドナンは書いている。「英国が侵攻してくる前、インド亜大陸の教育程度は高く、ほとんどの市民は読み書きができた。人びとは英国人士官にアラビア語やヒンドゥー語、ウルドゥー語、ペルシア語を教えていた。モスクは学校としても機能し、ムスリムの皇帝は莫大な資金を教育のために費やした。ムスリム・インドは農業、絹織物産業から造船業などで栄え、貧困も、危機も、宗教や文化の衝突もなかった。教育のシステムが高貴な思想とカリキュラムに基づいていたからだ・・・。


アドナンは、英国の政治家トマス・マコーリーがそうしたイスラム的な教育システムをくつがえして、肌の色と流れる血はインド人でも、趣向や思想、道徳観や知性は英国人、つまり英国かぶれのインド人という階級を打ち立てるために全力を尽くしたことにふれ、「それこそがあなたが命がけで守ろうとしている、いわゆる〈教育システム〉だ」と述べる。


「あなたが世界に向けて語りかけている場所、それは新世界秩序をめざそうとしているものだ。だが、旧世界秩序のなにがまちがっているのか? (新世界秩序を唱える人びとは)グローバルな教育、グローバルな経済、グローバルな軍隊、グローバルな貿易、グローバルな政府、そしてついにはグローバルな宗教を打ち立てようとしている。私が知りたいのは、そうしたグローバルな計画の中に予言的な導きというものが入り込む余地があるのかということだ。国連が非人間的・野蛮というレッテルを貼ったイスラム法の入る余地はあるのかということだ。・・・


「あなたはポリオの予防接種のチームに対する襲撃について語っている。だが、それなら1973年にユダヤ人である米国のキッシンジャー国務長官が第三世界の人口を80パーセントまで減らそうとしたことをどう説明するのか? 国連機関の主導のもとで避妊手術と優生学的なプログラムがさまざまな国で、いろんな形で進められたのはなぜなのか? ウズベキスタンでは100万人のムスリム女性が本人の同意なく強制的に不妊手術を受けさせられた。・・・バートランド・ラッセルは述べている。『食事と注射と強制命令を組み合わせれば、きわめて低年齢の段階で、当局にとって望ましい性格や考え方をもつ人間を生み出せる。権力を厳しく批判することなど心理的にできなくなるだろう』と。だからこそ、われわれはポリオ・ワクチンの予防接種に反対するのだ。・・・


「正直に答えてほしい。もしあなたがアメリカの無人機によって銃撃されたのだとしたら、はたして世界はあなたの医学的容態に関心を示しただろうか? 国の娘だと呼ばれただろうか? キヤニ陸軍参謀長があなたを見舞いに来たり、メディアがあなたを追いかけたり、国連に招かれたりしただろうか? 300人以上の罪のない女性や子どもたちが無人機(ドローン)の攻撃によって殺されてきた。でも、だれも関心を示さない。なぜなら、攻撃者たちは高い教育を受けた、非暴力的で、平和を愛するアメリカ人だからだ。・・・


書簡は、罪のないムスリムの血をこれ以上流すことがないように、と呼びかけるとともに、マララに対して、故郷に帰ってイスラムとパシュトゥン人の文化を学び、マドラサ(イスラム神学校)に通ってクルアーンを学び、イスラムとムスリム共同体のためにペンを用い、新世界秩序という名のもとの邪悪な計略のために、人間性を隷属させようとする一部のエリートの陰謀をあばくようにというアドバイスでむすばれている。


この書簡に述べられたことに筋が通っているかどうかはべつとして、マララをめぐる過度な報道に西側のプロパガンダ臭が最初からついてまわっていたのはたしかだ。マララが11歳のときからつけているという反タリバーン的な内容の日記が2009年にBBCラジオで流されたことがきっかけで、彼女は反タリバーンのオピニオンリーダーに祭り上げられた。そこには彼女の通っていた学校を運営する、詩人でもある彼女の父親の影響も当然強いだろう。だが、彼女の意見はパキスタン国内でかならずしも支持されているわけではなく、国連スピーチのあとは西側メディアの賞賛とは裏腹に、パキスタンのオンラインサイトは、マララのスピーチに対する反発のコメントであふれかえったという。

http://online.wsj.com/article/SB10001424127887323309404578612173917367976.html?mod=wsj_share_tweet

http://www.thenews.com.pk/Todays-News-9-190730-Malala-and-mattersof-the-mind

気の毒な少女が平和や教育の大切さを訴えれば、だれだってそれを表立っては批判しにくい。実際、マララという少女は勇気ある、高潔で、賢く、まっすぐな女性なのだと思う。しかし、だからこそ問題なのだ。問題はマララのスピーチの中にあるのではなく、そうしたまっすぐな子どもをプロパガンダの宣伝材料にする、というやり口にある。そうした少女が国連のスピーチで世界の賞賛を受け、ノーベル平和賞候補にまで祭り上げられる陰で、米軍の無人機による攻撃で昨年だけで300人以上、これまでには2000人以上が殺され、しかもそのほとんどが民間人であるという事実(米軍はそれを事実と認めていないが)はほとんど顧みられていないとは、どういうことなのか? 


もっとも、子どもを戦争に利用するというのであれば、タリバーンだって同じである。子どもを誘拐して「自爆テロをすれば天国に行ける」と教え込んで送り出すというやり方は「罪のないムスリムの血を流すこと」にはならないのか。こうした自爆テロにかり出される少年兵たちについての報道もまた西側による誇張されたプロパガンダなのだろうか。どちらの発表も、どこまでが事実なのかどうか報道を見ているかぎりでは、よくわからない。現在では、あらゆる報道に、それを支えるイデオロギーやプロパガンダといったバイアスがかかっている。


たしかにいえるのは、このグローバル化の進んだ世界では、西洋的な教育と学校が自由や平等や平和をもたらすという考え方が、かならずしも正しいとはいえないことだ。現在いわれている自由も平等も平和もイデオロギーでしかない。エジプトでも一時期いわれていたが、女性が髪をおおっているヴェールをひきはがすことが、はたして「自由」といえるのか、ということだ。圧倒的な強者たちの中に弱者が「この世界は平等なのだから」と追いやられ、自由競争にさらされたら、ひとたまりもない。


話は変わるけれど、ケニアでは学校教育が義務化されたことによって、牧畜民であるマサイが青少年期に学校へ通わなくてはならなくなった。しかし、伝統的なマサイの年齢階梯では、ちょうどこの就学期が「戦士」としての修行と遍歴の期間にあたる。この戦士としての時代は10年以上つづき、その間にマサイは世界と自分の民族についての、さまざまな知識を学び、体験を積み、ライオン狩りといった試練を経て、誇りと知恵と力を身につけた一人前の存在となる。


この戦士期間が、彼らにとってどれほど特別なものであるか、マサイの旦那さんをもつ日本人女性の永松真紀さんから聞いたことがある。「グローバル」な教育を受けることで、英語の読み書きができるようになったりはするかもしれないけれど、戦士という伝統だけがあたえられるマサイとして生きることの尊厳のようなものは、この先、どんどん失われていくだろう。チャンスをものにして、グローバルな社会の中で成功する人たちもいるかもしれないが、伝統から引き離されて、自分の生き方に尊厳を感じられずにつぶれていく人たちだってきっといるだろう。


むろんそのことと、アフガニスタンの女性が教育機会を奪われていることとは同列には語れないけれど、その背景にあるグローバリズムに対する期待と危機感には共通するものがあるように思う。世の中とは変化するものだ。それも時代の必然だといってしまえば、それまでだけれど、現在の日本にあって、グローバルという名の一律な価値観や尺度にさらされながら、こんなんでよかったんだろうかと感じることの多い今日この頃だけに複雑だなあ。

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コメント

知的なムスリムの発言は、近代・民主主義・人権・資本主義(投資主義)の暴力性と独善性を際立たせます。ふつうの日本人にアドナンの言い分を読ませてはいけない。なぜなら、共鳴してしまうからだ。アメリカかぶれのマスメディアの本音が聞こえてくるようです。マスコミが報道しない内容を知らせてくださって、ありがとうございました。あなたの仕事は立派です。

山部嘉彦さま コメントありがとうございます。タリバーンの主張もまた正当化できないと思うのですが、さまざまな立場や見方が存在するということは知っておく必要があるでしょうね。

はじめまして。

>グローバリズムに対する期待と危機感
に起因と結論があるように感じました。


日本も、明治以降、欧風文化に洗われ、敗戦後は特に、
おっしゃるグローバリズム(?)の線に乗ってきましたね。


その中で潰され、失い、今や完全に抹殺されようとしている数々の文化・自然があります。


グローバリズムの側に立っても、残る対極。逆も眞。


昨今言われる“上から目線”ではありませんが、全体を推測・想像することは勝手ですが、現に目の前のデキゴトをリアリティとするならば、歴史の流れ・神の意志のごときはよほど慎重にならなければならず、同時に、この“目の前のリアリティ”なるものの背後にひそむ文化的・歴史的「意味と価値」へ、どのように迫るかというコトも大きな課題ですね。


「風に吹かれている」ものはナニモノか。風とは?etc.


根源への探求を前提としない限り、ことの解決はないように思います。

グローバル経済としてはじめて成功した国は
17世紀のオランダに始まります。
ではそのオランダは何をしたか?
・貿易をリスクを減らすために平和を望みました
・より多くの人と取引をするために宗教的にも文化的にも寛容でありました。
・商売で成功するために勤勉でした。
社会保障だって高い収入があって初めて可能になるものです。

いったいイスラム国は何が不満なのでしょうか?

西洋的価値観を絶対的な正義だとは思わないが、子供に危害を加えるような思想は正当化できないね。

銃弾を撃つ前に、何故この手紙を送ることが出来ないのか。

マララのノーベル平和賞受賞について、あらたな気づきを得られました。ありがとうございます。ブログに引用させていただきました。

様々な価値観に太古の昔から討伐が行われてきた、そしていずれはパワーによって支配される。勿論正義の名のもとに、その正義もまた価値観によって生まれたもの。堂々巡りで勝者は存在しないことになるが、理不尽と言われようが、小さなモノを餌に大きな動物が生きていく様、これが現実なんでしょう。

確かに彼女を撃ったのがアメリカだったなら、全くニュースにならなかったでしょうね。
だって、アメリカの無人機によって虐殺された民間人の名前を僕は一人も知らないから。
タリバーンに殺された人の名前も知らないけど。
手紙の全文を読みタリバーンの人がよく勉強してることだけは分かったけど、何が正しいかとかは全く分からなくなった。
インドの血と肌をもった頭だけはイギリス人という記述は現代の日本人として心が痛い。
もっと勉強しよう。

西洋人が入って来る前に高度な教育がされていたのはわかったけど、その中には女性も含まれていたのでしょうか…

1年以上前に書いた記事にたくさんのコメントありがとうございます。

マララさんがノーベル賞に選ばれた背景には、イスラーム国の台頭という状況を反映した政治的意図もあるのでしょう。
彼女を利用するひとたちはますます増えるだろうし、彼女自身 も今まで以上に身の危険にさらされることになるかもしれません。
それでも、世界のどこかで、この少女のことを知って、そこに素朴に希望の光や勇気を感じるひとたちが増えるのだとしたら、それはいいことだと思います。
米欧型の価値観がかならずしも世界のスタンダードではないし、かといってタリバーンの言い分にも、暴力行為を正当化しようとする身勝手な自己弁護を感じます。
ある方向から光を当てると、かならず影ができて、それは光を当てている側からはなかなか見えにくい。
だから、いろんな角度からものを見ていくことはだいじだと思います。

>名無しさん
国王ザヒール・シャーの在位中(1933-1977)には教育改革が行われ、女子校も作られ女性への教育も行われていたといいます。

はじめまして。
上記のコメントの中に少し気になるところがあったので
コメントさせて頂きます。

しゅうへいさんの疑問に対して、ザヒール・シャー時代の女子教育の例を挙げていらっしゃいますが、
しゅうへいさんは恐らく、西洋人が入って来る前は女子が高等教育を受ける機会はなかったではないか、とおっしゃりたいのだと思います。
つまり、テロリスト共が何を言おうが、それは男の身勝手な言い分に過ぎない、ということをしゅうへいさんは指摘しておられるのだろう、と私は解釈しました。

このしゅうへいさんのコメントに対してザヒール・シャー時代の話を持ち出すのは、ポイントが少しずれているのではありませんか?

まず、ザヒール・シャーの時代は、「西洋人が入ってくる前」ではありません。
そして、教育改革によって行なわれた女子教育は、西洋人の教育思想に沿ったものです。
(そうではない、という反論は当然あるでしょうが・・・)
さらに、この問題は、西洋人が押し付けた教育をやめて、イスラム世界の人たち自身が、自分たち自身の考え方に従って、自分たち独自の女子教育を行うようにすれば解決する、というのではありません。
そうではなく、そもそも女子に教育など必要ない、という考え方があるということなのです。
(念の為断っておきますが、この場合の女子教育とは学校などで行われる「公教育」に、男子と同じ形か否かに関わらず、女子も参加させることを指しています。家庭の中で母親が娘に施すような教育は含めません)

女子教育の是非については、いろいろな考え方があってもいいと個人的には思います。女子教育を認めないのは反近代的な考え方ですが、近代=善、反近代=悪、などという図式が現代では通用しないですし、イスラム教の教義から導き出される理想的な人間の生き方、社会のあり方のためには、女子教育を否定するというのも一つの立場ではあると思います。ただしそれはあくまで「一つの立場」に過ぎず、イスラム教に則った生き方、共同体建設のあり方には様々な可能性があるはずです。原理主義者の物の考え方は狭すぎるのです。ましてテロリストの言い分には、広くて多様なイスラム世界に通用する普遍的なものがなく、ただ暴力を肯定する身勝手な屁理屈しか見られません。
そういう意味で、前近代のイスラム社会を必要以上に高く評価する彼らの言い分には同意できません。勿論、近代の西洋人たちがインドなど、高度に発達した文明を誇っていた諸国・諸地域を植民地化したことは、決して正当化できませんし、彼らが非西洋文明を西洋文明に劣ったものと見なして極端に低く評価し続けてきたことは問題です。更にイスラム教の一つの立場を他のありかたとは全く別なものであるかのように「原理主義」と呼ぶことは、レッテルを貼って済ましてしまい、その実態を捉えることを困難にする可能性があります。しかし、グローバリズムの手垢に塗れたものは何でも排除しようとする連中は果たして物事を客観的に評価する基準を持っているでしょうか?「偏っている方が正しい」と思うのは勝手ですが、自ら対話を拒否するような行動を繰り返しておきながら、いまさら手紙を送りつけるとは笑止千万です。弱者を標的にする輩に正義はありません。それがアメリカやイスラエルの圧倒的強者であれ、サル山のボスザルであれ。
マララさんを利用して世界を汚染しようとする勢力に本気で対抗したいのなら、自らの信仰(あるいは主義・哲学)に殉じるべきです。それが出来ない野郎はおとつい来い!聖書の神ではなく金銀を神とする輩を非難する連中が、コーランの神ではなく暴力を崇拝するとはあきれます。

ペットボトルの蓋で途上国の子供がポリオワクチンで命が
助かると聞いて協力した時期がありましたが、ワクチンに
AIDSを入れて接種していた事をWHOが認めているそうでショックです。古代南インドからタミール人が九州に来ているそうです。文明が高かった事を知り納得しました。飛騨の口碑で知りました。学校の先生のやり方が、随分変わりました。まさしくラッセルのやり方です。子供達は学校を拒否して行ってませんが、教師達に進言しても、全く話にならないです。
昔は、岡潔先生みたいな情緒を大切にする先生方だったのでイジメも無く、クラス全員仲が良かったです。
学校やテレビは、洗脳の道具ですので本当の事を子供達に教えていきたいです。ありがとうございました。

 私は、タリバーンについては、普通の日本人がマスメディアを通して植え付けられているような西側の都合にもとづく偏った情報と、アフガニスタンで長年に渡り現地の人々と医療や農業の活動を続けておられる中村哲医師による若干のコメントを読んだりテレビインタビューを通して聴いたぐらいの知識しか持ち合わせていません。

 タリバーンに対する西側の評価は明らかに極端に偏ったものですが、タリバーンの思想が聖典クルアーンや預言者ムハンマドの教えをすべて正しく解釈しているとも思えません。おそらく、タリバーンの解釈も多かれ少なかれ極端に偏ったものだと思われます。

 しかし、少なくとも、タリバーンの(特にその中の穏健派と呼ばれる良識を持った人々の)見解は、グローバル主義者の偏った独善的思想に対するアンチテーゼとしての意味は大いにあると考えます。

 真の神の教え(真理)は、おそらく、そのどちらにも偏らないところ(もちろん、単なる「中間」という意味ではありません)にあるのではないでしょうか?

 アドナイ氏の主張にも真剣に耳を傾けるべきところがあることは間違いないと思います。貴重な情報を提供してくださりありがとうございました。

追伸

 Facebookと小生のブログにて、貴殿の記事へのリンクを貼らせていただいてよろしいでしょうか?

すみません、最初の投稿の「アドナイ」は「アドナン」の打ち間違いです。

>アブドゥッラー・ザ・ブッチさま

ご感想ありがとうございます。
リンクはもちろんかまいません。
よろしくお願いします。

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