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井筒俊彦は力道山と木村政彦の試合を見たか?

今年2013年は井筒俊彦の没後20年にあたるとのことで、慶應義塾大学出版会から全集が刊行されはじめた。刊行記念に慶應の言語文化研究所では井筒さんの業績をめぐるシンポジウムなども行われた。


井筒俊彦といえば、生前から半ば伝説と化していた知の巨人だった。 言語学、西洋哲学、中世ユダヤ哲学、禅や老荘思想、イスラム哲学など東西の宗教・思想・哲学についてこれほど幅広く、しかも深い洞察を展開し、それが世界的に評価されている日本人学者はほかにいない。トルコでは井筒さんのコーラン解釈をイスラーム神学部の教科書として採用しているところもあるほどだ。


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井筒さんの非凡な天才性をしめすエピソードは多いが、なによりもまず語学の天才だった。井筒さんに「外国語はなにができますか?」と聞かれて、「英語とドイツ語なら・・」と答えると、「英独仏は外国語ではありません」といわれたという伝説も聞いたことがある。実際、ヨーロッパのほとんどの言語の他、古代ギリシア、アラビア語、ペルシャ語、トルコ語、ヘブライ語、中国語、ロシア語、タミール語など30を超える言語を自在に使えたと聞く。岩波文庫の「コーラン」の翻訳も井筒さんである。



それはさておいても、井筒俊彦の著作には、他をよせつけない超然とした魅力があった。80年代初めころから知の大衆化がすすみ、それまでの権威的で、重く、いかめしいアカデミズムに代わって、若手の学者たちによる軽やかで如才ない言説が流行しはじめていた。その中にあって、旧世代の学者であったはずの井筒俊彦が、革命に揺れるイランから帰国後、立て続けに発表した著作群には、他を寄せつけない、重厚で、圧倒的な迫力があった。とくにスーフィズムの存在論を論じた『イスラーム哲学の原像』と代表作『意識の本質』は衝撃的だった。『意識の本質』はわからないなりに、なんども読んだが、やっぱりよくわからなかった。でも、わからないのだけど、おもしろいのだ。



井筒さんの著作は難解だ。だが、書かれ方はけっして難解ではない。書かれ方は難解だけれど、じつはたいしたことをいっていない本というのもよくあるが、そういうのとはまったく逆だ。いかに内容を薄めず、イスラーム哲学や東洋思想のもっとも深い部分を伝えられるか、ということに徹しているという意味では、これほど親切で、ていねいに、平易に、わかりやすく書かれた本はない。



そのわかりやすさは、テキストを厳密に分析したからというだけでなく、井筒さん自身がその内容を客観的な知識ではなく、生きるための哲学として身体的にとらえようとしていることから生まれているのだと思う。だからこそ、そこには生半可な理解を拒む迫力や歯ごたえがあるし、それを理解するには、読む側に相当の知的体力や想像力、観察力が必要とされる。イスラームとはどんなものか、禅や密教のような東洋的思惟とはどんなものか、かいつまんで、かんたんに知りたいという人には、井筒さんの本はまったく向いていない。だから、ここで井筒さんの思想や哲学をかんたんに紹介することはしない、というか、できない。
 

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古典的な哲学を、現代を生きるための血の通ったものとして、みずからの体の中に甦らせたいと思うひとにとっては、井筒さんの本は汲みつくせない知の水源となるはずだ。わからないなりにもなんども読むうちに、概念ではなく、一種のイメージができあがってきて、そのイメージをよすがに、イスラームなり東洋思想なりについて、たんなる知識ではない身体的な理解が深まっていくという感じだろうか。そういう本というのは、とても珍しい。



慶應のシンポジウムも聞きにいった。古代哲学研究者の納富信留さんが30代半ばの井筒さんが発表した『神秘哲学』(1949)をとりあげて論じた。これはプラトンやプロティノスなどのギリシア哲学に見られる神秘主義の展開を追った本だ。幼い頃から漢学をたたき込まれ、座禅を組まされるような東洋的無の雰囲気が濃厚な家庭に育った井筒さんにとって、西洋のルーツとされる古代ギリシア哲学を研究することは、みずからの東洋を相対化し、解放の可能性をさがすものであった。ところが、東洋と対比する対象であったギリシア哲学が、じつはその本質において東洋的なものにつながっていたことに気づく。つまり、かつては自明とされていた東洋と西洋という枠組みそのものを見直すことへと、井筒さんの研究がシフトしていくことになる。それが井筒さんのその後の研究の方向性を決めていくことになる。


 
 

納富さんの話はおもしろかったのだが、三田まで行く電車の行き帰りで、たまたま増田俊也さんの『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を読んでいたせいで、話を聞いているうちに、井筒俊彦は学問の世界における柔道の木村政彦のような存在なのではないかという考えがなんとなく浮かんできた(ここから先は世迷言です)。

 

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井筒俊彦全集のパンフレットに文芸評論家の安藤礼二氏が「井筒俊彦は20世紀の日本が生み落とすことができた最大かつ最高の思想家である。思索の対象としたジャンルと地域の多様性においても、その理解の深みにおいても他の追随を許さない」と書いていた。だが、この評価はそのまま木村政彦にもあてはまる。こんなふうにーー。


 
「木村政彦は20世紀の日本が生み落とすことができた最大かつ最高の柔道家である。研究の対象とした格闘技ジャンルと技の多様性においても、その理解の深みにおいても他の追随を許さない」


井筒俊彦は既存のアカデミズムや学問のジャンルといった枠を超え、さらに若いときから外国へ出て、膨大な学問分野を渉猟し、それをアカデミズムという枠を超えて、現代を生きるための、いいかえれば現代を戦うための実践的な哲学としてまとめあげようとしてきた。日本のアカデミズムとは距離を置き、イラン王立アカデミーの教授となり、ユングやエリアーデとともに「エラノス会議」という知の異種格闘技戦に、鈴木大拙に次ぐふたりめの日本人正式レクチャラーとして15年にわたって参加し、東洋哲学について講演を行ってきた。その桁外れの学識の広さと深さは、日本はもちろん、むしろ世界でこそ知れ渡っているし、あまりにもすごすぎて、他の追随をゆるさない。


一方、木村政彦は、全日本柔道選士権3連覇を達成し、全日本選手権13年連続保持、天覧試合優勝も含め、15年間不敗の不世出の天才だった。柔道のほかに、空手やボクシングなど、さまざまな格闘技を積極的に研究し、講道館のスポーツ柔道の枠を超えて、実践的な武道としての柔道を追求しつづけた。講道館からはにらまれ、プロ柔道、さらにプロレスに足を染めて海外にわたり、ブラジルで柔術家のエリオ・グレイシーを倒し、ほぼ半世紀後のグレイシー柔術発展の種をまき、今日の総合格闘技のスタイルの先駆となった。力道山との試合で謎のKO負けを喫するが、いまなお技術的にも、その技の幅の広さにおいても「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられ、いまなお史上最強の柔道家とされている。


こう書くと、井筒俊彦のどこが木村政彦なのかとつっこまれそうだし、たしかにまったくちがった人生、とくに木村の後半生は悲劇的なものがあったし、対比したからなんだというものではないのだけれど、ひとつ一致する点があるとすれば、木村政彦もまた今年、没後20年だということだ。つまり、井筒俊彦(1914-1993)と木村政彦(1917-1993)は、ほとんど同世代なのである。


もちろん、都会の裕福な家に生まれ、幼い頃から禅や書に親しんで育ち、好きな学問に集中することのできた井筒俊彦と、熊本の貧しい田舎で川で父の砂利拾いの仕事を手伝いながら育ち、食うためにはなんでもやらなくてはならなかった木村政彦の人生はあまりにもちがう。若き日の井筒俊彦が街頭テレビで力道山と木村の一戦を夢中になって見ていたとも想像しにくい。けれども、境遇はことなれど、同じ時代の空気を吸って生き、それぞれに孤高の道を歩んでいったことはまちがいない。


ともに「道」という東洋的伝統の中から出発し、やがて、そこに息苦しさをおぼえ、異なる分野を渉猟することで、おのれのなかの東洋をいっそう身体的に深め、より強靱なものへと鍛え上げていき、ついにはだれも到達しえない境地へと達したという点では共通するものもあるのではないか(もっとも、木村は思想性というものには無縁だったようだが)。世迷言は承知で、井筒俊彦は知らないけれど格闘技のことは知っているというひとに、「井筒俊彦は学問の世界における木村政彦のような存在だ」といって紹介することは、半分くらいは当たっているという気がしなくもない。



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