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2013年11月

ハッサン中田さんのこと

先日、東大の駒場祭で、ハッサン中田さんのシリアについての講演を聞いた。ハッサンさん(日本名・中田考さん)は、1990年代、ぼくがカイロに暮らしていた頃のご近所さんで、ときどきうちで、いっしょにご飯を食べたり、あれこれ話をしたりした。当時かれはカイロ大の院に留学中で、イブン・タイミーヤという中世のイスラム法学者の研究をしていた。


ハッサンさんは敬けんなムスリムで、うちで話をしていても、礼拝の時間になると、ちょっと失礼します、といって部屋のすみでお祈りをするのだった。温和で、いつもにこにこしているのだが、話してみると、かなり過激なイスラム主義者で、それでいて、カイロのアパートの本棚には大量のアラビア語の本にまじって、少女マンガとプロレスの雑誌がずらりと並んでいたりした。


ハッサンさんの語るイスラムの話は面白かった。イスラムを外側から知識で語るのではなく、その内側に入り込んで、その目で世界を見ると、世の中はこんなにもちがって見えるのか、とおどろかされた。話に夢中になって、気がつくと明け方近くになっていることもあった。ちょうど湾岸戦争のはじまる前年で、イラクがクウェートに侵攻したころだった。世界が終わる前に、田中さんたちもイスラム教徒になっておいたほうがいいですよ、そうすれば世界が終わってもちゃんと天国へ行けますよ、とずいぶん勧められた。


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ハッサンさんの部屋で、ときどき目つきの鋭い若いエジプト人に出くわすことがあった。挨拶をすると、すぐさま別室に入って扉を閉め、出てこなかった。街場の人なつこいエジプト人とはずいぶん雰囲気がちがった。気にしなくていいですよ、かれはわたしの家庭教師なんです、とハッサンさんはいった。かれはイスラム過激派のジハード団のメンバーだった。サダト暗殺にかかわったとのことでしばらく投獄されていて、またいつ逮捕されるかわからないという。ハッサンさんの部屋は、そんなかれの隠れ家、というかアジトになっていたのだった。


その家庭教師から筋金入りのジハード思想を吸収していたハッサンさんだが、幸いなことに殉教を急がれることなく、その後、サウジの日本大使館の専門調査員などを経て、40代初めで同志社大学の神学部の教授になった。やはりハッサンさんはすごいなと思っていたら、10年もしないうちに大学をやめてしまった。いまの肩書きはツイッターのプロフィールによると〈放浪のグローバル無職ホームレス野良博士ラノベ作家、「カワユイ(^◇^)金貨の伝道師」、「皆んなのカワユイ(^◇^)カリフ道」家元〉である。。。(;´Θ`)
 

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その後、ハッサンさんはアフガニスタンやシリア、インドネシアやマレーシアなどに足繁く通って、あちらの宗教界の要人と交流をふかめ、正しいイスラムの振興と普及につとめている。アフガニスタンで元タリバン外相に会ったり、タリバンの政治評議会のメンバーの来日を実現させたり、シリアに学生を送ったり、今年は反アサド派に従軍したりもしたそうだ。また、株式会社カリフメディアミクスを立ち上げ、その代表取締役社長として、イスラム世界におけるカリフ制の復活をめざして積極的に活動されている。

 

このように書くと、いったいどういうひとなんだか、さっぱりわからないかもしれない。でも、カイロでハッサンさんの話を聞いたときもそうだったが、かれの話は、自分たちがあたりまえに思っている考え方の枠組みが、いかに西洋的な規範や教育に毒されているかに気づかせてくれるのだ。一般に、知識を身に付けるとは、すでにできあがったフレームの上に知識を肉付けしていくようなイメージかもしれないが、かれの話は、土台となっているフレームそのものにたいして、それはちがうんじゃないか、と問いをつきつけるものだった。


結局、西洋的な枠組みである領域国民国家や民主主義、人権思想、「独裁は悪」といった事々を前提として、イスラムを論じれば、たいていネガティブな見方になってしまう。もととなっている考え方の枠組みがちがうので、そこからイスラム世界についてなにかをいおうとすると、否定するにしても、肯定するにしても、本質がずれて、とんちんかんになりがちなのだ。カイロでも、そんなことを聞くのがおもしろくて、それならいっそ徹底的に語ってもらおうと思って、ハッサンさんに長時間インタビューして、それを雑誌に連載することにしたのだが、1回目を掲載したところでその雑誌がつぶれてしまった。もう20年も前のことだ。。。そのつづきをやりたいなあ。


 
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今回の講演はシリア情勢を中心とした内容だった。途中で礼拝のための休憩をまじえつつ、つまるところ領域国家や西洋的規範を前提としていてはシリア内戦もイスラムもわからない、といった内容の話だった。引用が不正確かもしれないが、印象に残ったところなどを。。。


「アルカイダというのは基地という意味の一般名詞。組織ではない。人間の構成原理がちがう。日本だったら家という単位のように。でも、組織という考え方がイスラムにはない。人間がいるだけで、一人の指導者と個々の人間がつながるという形でネットワークができている。。。
 

「アサドは洗練された独裁者。1970年代にムスリム同胞団を徹底して弾圧した。密告を奨励して、国民全スパイ体制をつくった。これがひじょうにうまくいった。ハマは町ごとつぶされ、何万人殺されたかわからないが、その証拠を徹底的に隠蔽。アラブの春が始まる前には、イスラム主義者は国内から一掃されていた。密告を怖れて、弾圧の話も次世代に伝えられなかった。ところが、アラブの春でアサド政権の怖さを知らない若い世代が立ち上がってしまった。息子のバッシャールは、そんなに悪いようにはしないだろうと見くびっていた。でも、体制は変わっていなかったと気づいたときには、もう遅かった。。。


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「独裁かどうかというのは、たいした問題ではない。ヨーロッパの考え方では、支配は人間がするもの。でも、イスラムではだれが支配するかは問題ではない。アサドが独裁であろうとなかろうとそれはどうでもいい。問題はイスラム法に従っているかどうかであって、イスラム法を施行できる立場にいながら、西洋の法律に従ってしまい、それをしていないのが問題。。。


「自由シリア軍は実体がない。シリアでは徴兵制があって国民はみな武器を使えるし、小銃を隠し持っている人はいくらでもいて、だれでも立ち上がれる。シリアは国民国家の形成に失敗。エジプト人は国家という統一性が比較的高いのにたいして、シリアは地域ごとにちがい、各都市毎にアイデンティテがある。自分の宗教的指導者がいて、それぞれ自分の先生がいちばん偉いと思っている。。。


「地方によって差があるが、反政府勢力の中でもカイダ系はお金がない。自由シリア軍のほうがはるかにお金があるし武器ももっている。カイダ系は連絡が密ではなく、メールどころか伝令によって連絡をしている。カラシニコフが全員に行き渡っておらず、弾丸がもったいなくて撃てないから、連射ができない。旧ソ連領ではカラシニコフは100ドルくらいなのに、シリアでは1500ドル。お金を出して買えないので、敵から奪って使っている。

 
「訓練もされていない。いま来ている義勇兵は戦争経験のない人たちばかりで、基本的にはなにも知らない人たちばかり。シリアだけでなく、アラブ世界はともかく段取りが悪い、というか段取りがない。子どものときから、段取りをつけて物事を進めるという教育を受けていないので、できるわけがない。軍も同じで、すべてがおおざっぱ。「今日はあの飛行場落とすぞー」「おーっ」というかんじでやっている。。。


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途中でお祈りのための休憩


「シリアの内戦が問題であるというのは、現代の国民国家システムが問題であるということ。ヨーロッパや中央アジアで暮らしにくい人たちが、いまは家族でシリアに亡命してきている。なぜかというと自由だから。シリアはもともと社会主義で、税金が高くて、暮らすにはハードルが高かったが、内乱が始まって自由に貿易ができるようになった。密輸とか密入国は犯罪というイメージがあるが、それは明らかにまちがい。密輸入がいけないのではなく税金を取る国家のほうが泥棒。むしろ犯罪者は国家。。。

 

「小学生や中学生にヒジャーブをつけるのがよくないとヨーロッパやシリアの反イスラムの人がいっている。でも、それをむりやり外させるのが自由なのか。日本だって学生はむりやり制服を着せられる。。。。国民国家はいろんなところで自由の抑圧を行っている。アラブは22カ国にわかれているが、もともとはひとつで、自由に動いたり、貿易できるはずなのに、それがさまたげられているのが問題。その意味で、シリアは世界の問題を引き受けている。。。


「世界にとってシリアはもめていたほうがいい。カイダ系の組織が勝ってしまうと、スンナ派の国々や豊かな湾岸諸国が困る。イスラム世界が1つになってしまうと、富が独占できなくなってしまうから。シーア派はスンナ派が勝ってしまうと自分たちが困る。シーア派が勝つとスンナ派もイスラエルも困る。チェチェンも入っているので、そっちが勝つとチェチェンの反体制運動に対抗しているロシアや中国が困る。でも、シリア人がいくら殺されても国際社会は困らない。それで見殺しにしているという状況。ある意味では、世界中の困った人たちを吸引している。終わらないまま、だらだらずっとつづきそう。。。

 

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鈴木純郎さんの展示がよかったこと

以前、拙著「孤独な鳥はやさしくうたう」のカバーで作品を使わせていただいた造形作家の鈴木純郎(すずきすみお)さんの展示を見に玉川大学へいった。スミオさんは芸大の院を出たあと、マサイマラにある某ロッジの内装や家具を手がけるためにケニアに2年滞在し、そのあとバリ島に移住して工房をつくってバリの職人といっしょにたくさんの家具や造形作品を制作して16年すごし、数年前帰国し、いまは玉川大学芸術学部の木工室で技術指導している。


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玉川大に職を得たのは一年半ほど前だが、以来木工室で指導のかたわらにつくった多数の作品が展示されていた。バリ滞在時の作品も一部あったが、最近の作品が中心。それもずいぶんある。「ここに来てからこんなにつくったの?」と聞くと、「ひまなんだよ」といった。ひまでも、たのまれたわけでもないのに、こんなにあれこれつくってしまうとは、このひとは、たえずなにかつくらずにはいられないひとなのだな。


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かれの作品はアートにつきまとうコンセプトとかイメージとか、あらゆるややこしいフレームワークから自由だ。天衣無縫な遊び心にあふれていて、かわいくて、ちょっと不気味で、見ていてたのしく、そしてほのかにせつない。木工が中心だが、木にこだわっているわけではなく、たまたま、まわりに木があったから木をつかっているのであって、金属でもプラスチックでもいいという。そこにあるものでつくる、ということらしい。まず自分のイメージがあって、それにあわせて素材を加工するのではなく、素材をいじっているうちにそこからイメージがわいてきて作品になる、という。


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いちばんびっくりしたのは、薄く剥いだ松材の板の木目を一枚ずつスキャンして、それを動画にした最近の映像作品。その美しさには戦慄をおぼえたほどだ。木の内側の層や虫食いやふしなどが、雲や潮のように流れたり、渦を巻いたりして、それがいつしか木星の模様のように変貌していく。木のなかに息づいている生命の流れが可視化されるかのようで、これはまごうことなき大傑作! この美しさは見ないとわからないので、たくさんのひとに見てもらう機会があるといいなあ。


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展示は11月29日まで。
玉川大学3号館ギャラリー。
造形デザイナーの鈴木よしひろさんとのコラボ展。
「たとえば、二人の鈴木が生きてきた道生きていく道」
お近くの方はぜひ。
http://www.tamagawa.ac.jp/arts/news131118.html


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