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ネルソン・マンデラと沼沢均さんのこと

12月5日、ネルソン・マンデラが亡くなったと聞いてすぐに思い出したのは、沼沢均さんのことだった。沼沢さんは共同通信社の元ナイロビ支局長で、ぼくの尊敬する友人だった。「だった」というのは、彼はもうこの世にいないからだ。いまから19年前の1994年、ザイールのゴマへむかう彼の乗ったチャーター機が墜落した。12月6日だった。今年も、あしたは沼沢さんの命日だなと思っていたとき、マンデラさんの訃報を聞いた。


沼沢さんが亡くなることになった年、つまり1994年の4月中旬、彼は南アフリカにいた。この国で初めての全人種選挙を選挙を取材するためだった。当時アフリカ民族会議(ANC)議長だったネルソン・マンデラが大統領に選ばれることになる、あの歴史的な総選挙だ。結果はある程度予想されていたとはいえ、アパルトヘイト体制が名実ともに解体するという状況をひかえて、南アフリカはたいへんな緊張に包まれていた。


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ANCが盤石だったわけではない。ズールー人によって構成される黒人右派のインカタ自由党が選挙のボイコットを主張していた。さらに、白人極右勢力はANCに勝たせたくないがために、インカタに資金を提供するという醜いねじれ構造が起きていた。選挙の二日前には、ヨハネスブルグのANC本部のすぐそばで大きな爆弾テロがあり、100人近くが死んだりけがをしたりした。選挙前日にもヨハネスブルク郊外で無差別爆弾テロが起きた。でも、テロに屈することなく選挙は行われ、ANCは勝利した。


沼沢さんはマンデラ議長がダーバンの中学校で投票する場面を取材している。遺著『神よ、アフリカに祝福を』の中で、彼はこう書いている。


「議長が現れた。投票の前、ANCの創設者で初代ANC議長だった故ドューベ博士の墓に花を捧げた。墓前に花束を置き、三度礼を捧げてから振り向き、博士の孫たちを見つけ、一人ひとりを強く抱きしめた。『幸せだね。本当に幸せだね』独り言のように語りかけるマンデラ議長の目に涙が光っている。まぶたが露を含んだように濡れている・・・どこからともなく歌声が聞こえてきた。〈神よ、アフリカに祝福を〉だ。一番乗りしたマンデラ議長に続いて投票しようと集まってきた周辺の黒人居住区の有権者が、拳をふりあげて静かに歌っている。・・・」


それから数日後、ヨハネスブルグのホテルでANCの勝利宣言のあと「ステージで歌が始まると、マンデラ議長は踊り始めた」と彼は書く。それを見届けてから、沼沢さんはソウェト(ヨハネスブルクの黒人居住区)へ走る。


「・・・タイヤが燃やされ、車のクラクションが耳をつんざく。酒が回され、若者がマリファナを吸っている。ANCのポスターを頭上に掲げ、ひとが踊っている。『うれしいよ。こんなうれしいことは一生に一度もなかったよ』老人がぼくを抱きしめる。『ねえキスして。お祝いなんだから』女の子が飛びついてくる。歌声が夜の闇に響く。火明かりを頼りに踊り始めた。ぼくも輪に入って、笑い物になる。『マンデラが踊ったのをテレビで見たよ。分かるな、あの気持ち。分かるよな』黒人たちのための夜は続いた・・・」


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マンデラ議長の大統領就任式の日、沼沢さんはプレトリアの官邸の中庭で式の様子を見ていた。


「貴賓席に先程から各国代表の姿がある。英国のエジンバラ公は当然のように中央の一番前の椅子に腰かけようとして注意され、戸惑いのまま前から四番目の、それも一番右端の席を与えられた。南アはもはや英国の植民地ではないのだから。ゴア副大統領も前から四番目。キューバのカストロ議長が登場。片手を振り上げる。南ア解放を支援したお返しに拍手の渦。もちろん、一番前の席に。なるほど公平だ・・・」


だが、この『神よ、アフリカに祝福を』に収められた沼沢さんの南ア取材記(「南アよ、アフリカを目覚めさせよ」)の中で圧巻なのは、選挙の前、スティーヴ・ビコの生家をはじめ、そのゆかりの場所を訪ねるくだりだ。スティーヴ・ビコは解放闘争の最中、1977年に30歳で拷問で惨殺された活動家だ。ピーター・ガブリエルは彼のために追悼歌「ビコ」を書いている。ぼくもビコのことを知ったのは、この歌がきっかけだった。沼沢さんは、ビコの運動を継承するアザポ(アザニア人民機構)の若いメンバーAとともに車で目的地を目指す。アザポは黒人政党で唯一選挙に参加しなかった。


道中、Aは「マンデラは日和見だ」「白人とは手を組まない」と口にし、道端の白人警官を見ると「ひき殺してしまえ」と声を荒げる。ハンドルを握っていた沼沢さんは、かっとなって叫ぶ。「かれをひき殺して、それで政治の潮流が変わるとでも思っているのか。プロの政治運動家を自任するなら、つまらない憎しみで人を殺すんじゃない」。Aは、これまで白人警察官が黒人に何をしてきたかをとうとうと説き、「おれたちを抑圧したのはだれだと思う」とやり返す。


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口論をしながらビコの暮らしていた黒人居住区につき、二人はビコの老いた母親に会い、そこからまた移動して警察がビコを収容し、拷問を加えていた雑居ビルの一室をたずねたりする。そのさなかにも、Aは武器をとって白人と戦うといい、そばにいる白人を遠慮なく指さして、「あいつらは黒人の土地も文化も財産も威厳も奪って、のうのうと生きている。選挙が終わったって、それが返ってくるのか。マンデラは全人種融和だという。白人を許すという。だが、それでいいのか。今の状態じゃ黒人は白人の経済奴隷だよ・・・」とまくしたて、酔うと「白人の豚め、白人の豚め」と吐き捨てる。


沼沢さんは、ポートエリザベス郊外の黒人居住区はずれにあるAの家を訪ねる。マッチ箱のような家並みがつらなるすぐ向こうには巨大な火力発電所があった。しかし、そこから伸びる送電線は一本たりとも黒人居住区には伸びていなかった。日が暮れると発電所のとなりに広がる黒人居住区のそこここでロウソクの火がともった。そこで沼沢さんはAとAの仲間や親類たちと酒を飲む。酔ったAが「解放」とか「闘争」という勇ましい言葉を吐くのを、仲間たちはにこにこしながら聞いている。彼は書いているーー。


「Aのように怒りを抑えきれず、ロウソクの火の下で、酒に飲まれる男達がどれだけ南アに埋もれているだろう。Aの悲劇は怒りを消化できず、実践に転化できないでいることだった。だが、ぼくはAを責めたくない。あの巨大な火力発電所とマッチ箱の家並みの差に等しい残忍さで、社会はAたちを受け入れないからだ。
 マンデラ新大統領は、黒人生活の生活向上を最優先公約に挙げている。柱は失業問題の解消、住宅の供給、教育の提供、医療水準の向上だ。『黒人の怒りを鎮めること』。ぼくには大統領の公約がそう読める。・・・」


沼沢さんのこの南ア取材の約2ヶ月後、ぼくも南アを訪れた。選挙の興奮が覚めやらないのではないかと思っていたのだが、町は驚くほどクールだった。白人しかいなかった地区に黒人が入り込んだことで治安が悪化した、という話をひんぱんに耳にした。黒人政権になってうまくいくはずなんかない、アフリカのほかの国を見ていたら、よくわかる、黒人だって、そのことはわかっているはずだ、という白人もいた。町なかを歩いていたら、いきなり見知らぬ黒人に声をかけられ、「仕事を探しているんだ。庭師か何かに雇ってもらえないだろうか」と頼まれたりもした。人々は祭りの後の現実の中に置かれていることに気づいていた。


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ヨハネスブルグのバーで、となりに座った若い女の子は、選挙にはなにも期待していないといった。金がなくて12歳までしか学校へ行けなかった。仕事がないので、一年前にヨハネスブルクに出てきたといった。「マンデラなんて、だいっキライ。『マイピープル』なんていっているけど、その中にあたしは入っていないの。お金持っている人は変わるけど、あたしの人生はなにも変わらない・・・」といって、ビールをせびられた。


それでも、南アに長く暮らしている人たちは、人びとの顔が以前より和んでいる、と口をそろえた。一段落したら反動が来るかもしれません、いまのバランスがとれているのはマンデラの人柄のおかげです。問題はマンデラが死んだあとです、というひともいた。


初夏に南アからナイロビに戻って、そのとき沼沢さんと会った。南アの印象など話しながら、日本食レストランでいっしょにカツ丼を食べた。来年の春に任期が切れて日本に帰国するので、その前にエジプトに寄りたいんだけど、その頃はまだいるかい、といった。ぜひ来てください、ピラミッドの頂上に案内しますよ、とぼくはいった。それはおもしろそうだね、と彼は笑った。それが沼沢さんと会った最後だった。


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彼は『神よ、アフリカに祝福を』の南アフリカ取材記のむすびにこう書いている。


「・・・ぼくは南アに多くの期待を抱いている。アフリカで最も過酷な解放闘争を生き抜き、現実を受け入れながらこの選挙を成功させた成熟したANCの政治力は、これまでアフリカが求めても得られなかった蓄積である。黒人を含め国民の成熟度は高く、何よりも経済力がアフリカではずば抜けている。マンデラ大統領がいるかぎり大丈夫だ。かつてアフリカの独立の父たちが陥った、腐った独裁や汚職体質、狭窄した視野から来る急激なイデオロギー化、そして最も深刻な問題としてアフリカにある黒人同士の差別ーー内なるアパルトヘイトーーという停滞の悪循環を大統領は決して選択しないだろう。アフリカを救って欲しい。南アからまず、アフリカを目覚めさせて欲しい」


ネルソン・マンデラは亡くなった。そしていま南アフリカもまたほかのアフリカ諸国と同様、経済成長とひきかえに、高い失業率や深刻な貧困問題を抱えている。アパルトヘイトはなくなったけれど、黒人間の所得格差や差別はいっそう顕著だ。治安も悪く、役人の汚職や賄賂も横行している。


それでも、この国にマンデラがいたことは、この国がこれから困難なつらい道を歩むことになったとしても、けっして消えることのない希望の光となるだろう。いま、きみが生きていたら、たずねてみたい。南アはアフリカを目覚めさせることはできたのだろうか、と。



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コメント

映画『Cry Freedom』で初めてビコの存在を知りました。実際に南アフリカの歴史に身をおかれた方のお話は大変興味深いです。ついつい物事を単純化して理解しようとする自分にブレーキをかけてくれました。『神よ、アフリカに祝福を』を是非読んでみたいとおもいます。ご紹介に感謝です。

投稿: ETCマンツーマン英会話 | 2014年4月 7日 (月) 23時40分

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