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2014年1月

カメ脱走す!

●はじめに

facebookで連載?していた「カメ介護日記」が今回は長くなってしまったので、こちらに掲載します。

これまでのいきさつーー15年くらい前、当時小学生だったむすこが2匹のミシシッピアカミミガメを飼いはじめる。でも、むすこはすぐ興味を失い、奥さんも臭いからからいやだといい、結局ぼくが世話することになる。ベランダに水槽をおき、エサやって、水換えるだけなので、たいして手はかからない。ときどき自分で水槽から出て、ひなたぼっこしている。それから数年後、冬眠に失敗してオスが死ぬ。残されたメスは10年以上たった今も生きつづけている。でも、愛想もかわいげもなく、いまだにちっともなつかない。

ところが、昨年(2013年)7月、このメスが突然エサを食べなくなる。一ヵ月ほど様子を見るが、なにも食べようとしない。ほおっておくわけにもいかないので、カメをみてくれる獣医に連れていく。レントゲン検査で肺炎と診断される。「カルテをつくるのでカメちゃんのお名前は?」と獣医さんにきかれ、「とくにないんです、カメと呼んでいます」というと、渡された薬の袋に「田中カメ」と書かれていた。薬は効いたんだか効かなかったんだかわからないが、相変わらずなにも食べないまま2014年1月末の時点でまる7ヵ月が経過。。。

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ずっと水の中にもぐりっきりだったカメが、今日は天気がよかったせいか自分で水槽の外に出てきて日なたぼっこしていた。昨年の7月(!)からほとんどなにも食べず、まる7ヵ月間、水だけで生きているのに、水槽のへりをよじのぼったり、近づくとスタスタと足早に逃げたりする体力があるのにおどろかされる。

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このカメは過去に3度、脱走したことがある。最初の脱走はもう10年くらい前だ。帰宅してベランダに出て、カメがいないのに気づいた。たいていエアコンの室外機の下や植木鉢の陰などでうずくまっているのだが、そこにもいない。とすれば、下の芝生へダイブしたとしか考えられない。ベランダの手すりのすきまをくぐれば、真下が芝生だが、うちは2階なので芝生までは3メートルほど高さがある。臆病なやつだと思っていたが、そんな大胆なことをするとは。


下に降りて芝生を探しまわる。カメは見つからない。その様子を見ていた下の階のウメさんに「なにしてるの?」と声をかけらけた。


「カメが逃げ出したみたいで・・・」


「あら、おたくカメ飼ってるの?」


「はい」


「あらそう・・・うちもむかし子どもが飼っていたわ。カメって臭いでしょ」


「はあ、まあ・・・」


その後もしばらく探しつづけたが見つからない。どこへいってしまったのか。愛想もかわいげもないベランダガメなのだが、車にひかれたらかわいそうだな。見つからなかったとしても、だれか親切な人に拾われて飼ってもらえるといいな、などと思ってほぼあきらめかけていた。帰宅した奥さんに、カメがいなくなったんだというと、あらそう、どこいったのかしらね、という。子どもに拾われて飼ってもらえるならいいんだけどねというと、そうだといいけど、うちのカメ大きくて、かわいくないしね〜という。


ところが、翌日近所の掲示板に、「カメを拾いました、お心あたりのある方はご連絡を」と書かれた紙が貼られていた。ワードで描いたらしい楕円形を2つ組み合わせたカメのイラストも添えられ、このくらいの大きさです、とあった。まちがいない。うちのカメだ。


手土産をもって、拾ってくれた方のお宅を訪ねた。奥さまが出てきて、あらよかった、いま連れてきますね、といってカメを取りに行った。しばらくして布にくるまれたカメが運ばれてきた。やっぱり、うちのカメだった。「テレビの下に入ってしまって、そのまま出てこなくって」と奥さま。きっとこの家の子になりたいんでしょう、いいですよ、さしあげますよ、とはいわなかった。子どもが友だちと遊んでいたときに道路を歩いているのを見つけたのだそうだ。うちから100メートルくらい離れた場所だった。カメにとって最初の冒険だった。


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2度目の脱走はそれから数年後だった。雨の日だった。夕方帰宅してまもなくカメがいないのに気づいた。やれやれまたかと思って、カサをさして、前回と同じように芝生を探しまわった。前に見つかったという道路のあたりまで広い範囲を雨に濡れながら探すが、いない。すると前と同じく下の階のウメさんがベランダに出てきて「なにしてるの?」と声をかけてきた。


「カメが逃げ出したみたいで・・・」


「あら、まだ飼っていたのね」


「はい・・・」


「見つかるといいわね」


「はい・・・」


濡れた芝生の上をカメを探して行ったり来たりするうちに、これでカメがいなくなってしまったら、やはりさびしいだろうなと思った。慰めや癒しを与えてくれるわけでもないし、長く飼っているのにちっともなつかず、近づくだけで首を引っ込める。エサをやろうとすれば、指に噛みつく。それでも、10年近くも世話していると、カメがいるのが自分にとって、あたりまえになっていた。


ほかのカメは知らないが、このカメを見ていると、世の中にはどうやったって理解し合えないもの、コミュニケーション不能な他者が存在するのだ、ということを思う。心が通じ合うとか、理解し合うといった一般的に愛玩動物が与えてくれる慰めとは対照的に、このカメは、理解もコミュニケーションも幻想であり、他者との間には超えられない深く、空しい闇が横たわっていることを教えてくれる。


カメに名前をつける気になれなかったのも、名前をつけることで、いたずらにカメを擬人化したくなかったせいかもしれない。カメに敬意を表すればこそ名前をつけたくなかったのだ、とも思う。そのかわりに、そのときどきにおいて、カメはいろんな他者を思い出させた。いちばんよく思い出すのは母親だった。花や美しい景色ならまだしも、カメを見て母を思い出すというのもなんだかなあと思うのだが。。。


雨の中、落下したカメはどっちへ向かったのだろう。足どりを想像しつつ濡れた芝生の中を自分がカメになったつもりで行ったり来たりする。狭苦しいところが好きなので、芝生のまわりの植え込みや木の根元など捜索範囲を広げて丹念に探す。1時間以上たった頃、植え込みの下にうずくまっているカメをついに発見。思わず「いたー!」と声を上げた。カメを抱えて戻るとき、ウメさんがめざとく見つけて出てきた。


「カメ、見つかったのね。どこにいたの?」


「あそこの植え込みの下です」


「あら、あんなとこに・・・よかったわね」


「ええ、おかげさまで」


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3度目の脱走はそれからまた数年後だった。前と同じく、帰宅したらカメがいなかった。だが、このときは、どういうわけか、もうカメは見つからないかもしれない、そうだとしても、それは仕方ないなと思った。カメがどうして逃げだしたいのか、カメ自身だってわからないだろう。ここにいたほうがカメにとっては安全だし、エサももらえる。冬にはヒーターも入れてもらえて暖かく過ごせる。ときどき甲羅だって洗ってもらえる(カメはいやがるけど)。


でも、そんなことはカメにとっては知ったことではないのだ。それよりも、どこかへ行きたいのだ。パートナーを求めてなのか、それともなにかほかの理由があるかわからないが、とにかく、どこか、ここでないところへ行きたい。そのためには体長より高い段をどうにかしてよじのぼって、手すりをすりぬけて、3メートルの高さから地面に身を投げるのも辞さないのだ。それはカメの本望なのだ。


それでも一応、カメを探しにいった。今回はもう見つからないかもしれない、と思っていたけど、じつは内心では、見つからないでほしい、ぼくが、いや人間が見つけることのできないほど遠くまで行ってほしいという願いがあったのかもしれない。たとえどこかで捕まったり、車にひかれたり、あるいは飢えて死んでしまったりしたとしても、狭いベランダしか知らないカメに、柵や壁のない世界を思う存分歩き回ってほしい、と思ったのかもしれない。


前の2回の短い脱走の間、カメは自由だった。どこかで養殖されて誕生し、ホームセンターで売られ、うちに買われて、ほとんどの時間をベランダで過ごしてきた人生、いやカメ生の中で、あの短い時間だけカメは自由だった。そのときカメが感じていた興奮や、力強い歩みや、その目に映っていた景色のことを想像した。そして今回、その自由の空間を、つかまることなく突っ走ってほしいと思った。カメになにかを投影するなんて無意味なのはわかっていたけれど、このまま見つからないのだとしたら、せめてカメが自由の時間の中を、なるべく長く歩んでいければいいと思った。


でも、そんな予感や期待はあっけなくくつがえった。カメは落ちた芝生の地面のすぐそばにいた。前回や前々回のように、遠くまで歩くこともなく、建物の下の地面でくつろいでいた。近づくと、いつものように、シューと短く息を吐いて、首と手足をひっこめた。


ベランダに戻り、土で汚れた甲羅をじょうろの水で洗う。カメはじっとしている。しばらくすると、甲羅から首と手足を出し、まわりを見回すと、なにごともなかったかのように水槽の縁のスロープをのぼって、脱走前まで自分がいた水のなかに、ぽちゃんと飛び込んだ。


その後、カメは成長して、甲羅が手すりのすきまよりも厚くなった。以来、脱走は物理的にできなくなった。すきまに入ろうとしているのを目にすることもあるが、甲羅がつかえてしまうので、しばらくするとあきらめる。それでも、ときおり、手すりのすきまからじっと外の景色を見つめていることがある。そんなときは、いかにも思慮深そうな表情をしているが、じつはたいしてなにも考えていないのだと思う。


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取り返しのつかない物語ーー「かぐや姫の物語」

ハンナ・アーレントを見る数日前に高畑勲監督の「かぐや姫の物語」を見た。「ハンナ・アーレント」が満席で入れず、せっかく都会?まで出てきたし、映画見るぞモードに入っていたので、かわりに探して入ったのがこれだった。なんの予備知識もなくみたのだが、いい作品だった。


あたりまえだけど、おなじジブリでも宮崎駿と高畑勲ではずいぶん雰囲気がちがう。宮崎駿はかつてどこかのインタビューで、自分は取り返しのつかないもの、やり直しのきかないものは描かない、といったことを述べていた気がするのだが、「かぐや姫」はその意味では、取り返しのつかない、やり直しのきかないことがテーマの物語だった。子どもも楽しめるようにつくってはあるけれど、これは大人のための物語だと思った。あの雅子さまが、これを見たらどう思うだろう、などとちらっと考えた。

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映画は原作の竹取物語に比較的忠実だが、副題(姫の犯した罪と罰)にもあるように、かぐや姫が地上にやってきたのは罰のためであったという設定が物語の鍵になっている。その意味がわかるのは、物語も終わり近くなってからだ。地上は生きることにまつわるさまざまな葛藤や不安に満ちている。そこには喜びだけでなく、苦悩や悲嘆もあれば、欲望や虚飾や不条理も渦巻いている。地上に生きるとは、こうした清濁ないまぜになった煩悩の海に生きることを、それでもあえて肯定することだ。


けれども、姫はこの地上の生の一部である不条理のなかに生きることにたいし、最終的に否といってしまう。だが、それは地上の生の喜ばしい側面にたいしても否を唱えることだった。それらはともに表裏一体で切り離せないものだからだ。このことがきっかけで姫は月へ帰還しなくてはならなくなる。このあたりの表現が曖昧で違和感もあったのだけど、ともあれ、ここにいたって、姫に与えられた罰とは、無数の業にまみれた地上へと転生させられたことそのものだったことがわかる。


姫を連れ戻しに月からの一行が地球にやってくるシーンは、竹取物語ではクライマックス場面のはずだ。一行をひきいているのは絵柄からするとお釈迦さんだ。そのことから月はあらゆる執着や葛藤、迷いや苦しみから解放された清浄な悟りの境地であることがわかる。けれども、雲にのって光につつまれて地球にやってくる月のひとたちの、なんと無表情で、退屈そうなことか。彼らはだれかを愛することもなければ、苦しんだり、悲しんだりすることもない、穏やかだけれど、おそろしく単調で、退屈な世界の住人を思わせる。


それは音楽の使い方にも表れている。月からのご一行がやってくるとき背景に流れるのは荘厳な雅楽でもなければ、天上を思わせる幻想的な調べでもない。それどころか笑っちゃうほどチープで軽い音楽だ。久石譲はどんな注文をうけてこの曲をつくったのだろう。それにたいして、地上で姫が奏でる筝の調べはこよなく美しい。それはいうまでもない。地上には、月の世界には存在しない執着や葛藤や悲しみや愛情、さまざまな煩悩や不条理が絶えることなく渦巻いているからだ。


しかし、そのことに姫が気づいたときには、もう遅すぎた。姫は月に帰る前にすべての地上での記憶を消される。もう取り返しがつかない。元には戻れない。やり直しもきかない。たぶん宮崎駿ならそういう描き方はしない。でも、高畑勲はそんな残酷な現実を淡々と描く。


けれども、ここは月ではない。悟りの境地など存在しない。どこまでいっても煩悩と虚飾と不条理にまみれた地上がひろがり、たのしい記憶もいやな記憶もついてまわる。こんな世界はいやだ、といっても月から迎えが来ることもない。それが絶望なのか救いなのか、なんともいえない。ただ、それゆえにこそ地上の音楽は、月の音楽よりきっと美しい。


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ハンナ・アーレントーー沈黙と思考停止の間

評判になっている映画「ハンナ・アーレント」を見た。重い内容なのに、どうして人気があるのか不思議だったが、半世紀後の現代にまさに重なるテーマを扱っているからなのだな。


収容所経験のあるドイツ系ユダヤ人のアーレントは、1961年にナチス戦犯のアイヒマンを裁くエルサレム裁判を傍聴。その傍聴記録をニューヨーカー誌で発表したところ、ユダヤ人からの猛反発に合う。いまでいうところの「炎上」だ。


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歴史的な事実なのでネタバレということもないだろう。アーレントの指摘は2つ。ひとつは悪の権化と見なされていたSS幹部のアイヒマンは、じつは上からの命令を忠実に実行するだけの、悪意すらない、思考停止した平凡な役人に過ぎなかったこと。もうひとつは、ユダヤ人の大量虐殺にナチスに協力した一部のユダヤ人指導者層もからんでいたこと。この第2の点がユダヤ人たちの逆鱗にふれ、彼女は友人や世間から総スカンを食う。


いまアーレントの指摘を冷静に受けとれば、それは事実を明らかにする学問的作業であり、ユダヤ人を批判するものではないことは、映画を見ている観客にも伝わってくる。すくなくとも、この映画を見てアーレントに激怒する観客がいるとは想像しにくい。しかし戦後まだ15年しかたっていなかったこの時代には、いかなる形であれユダヤ人の責任を問うことはタブーであった。600万ものユダヤ人が殺されたのに、おまえはその悲しみにさらに塩を塗り込もうというのか、というおよそ感情的な反応が世の中を覆っていた時代だったのだ。

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いまこのような映画をつくることができたのは、アイヒマン裁判から半世紀以上たって、そうした感情的な反応から彼らもまた解放されたということなのだろうか。エンドロールにはイスラエルの教育省をはじめユダヤ機関の協力があったことが書かれていた。その一方で、ホロコーストのような大きな問題ではないにせよ、いまや、なにか世間の大きな感情を逆なでするようなことをいうと、ネットの浸透もあって激しい反発や炎上がかんたんに引き起こされる。劇中アーレントが語っていたように「読みもしないで」批判したり、あるいは同調したりするのも、すっかりおなじみだ。


世界の各地ではテロや戦争や天災や人災による大量死が起きている。無限につづくかに思われる犠牲とそれにともなう悲しみ。その前ではひとはどうしても沈黙せざるをえないし、そこには死者に対する敬意や哀悼も多分に含まれているのだと思う。だが、敬意から発した沈黙が、思考しようとする他者の声をも沈黙させ、思考停止をうながす無言の圧力になるとしたら、それはやはり暴力だ。「ハンナ・アーレント」はそんなことを考えさせられる作品だった。

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