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カメ脱走す!

●はじめに

facebookで連載?していた「カメ介護日記」が今回は長くなってしまったので、こちらに掲載します。

これまでのいきさつーー15年くらい前、当時小学生だったむすこが2匹のミシシッピアカミミガメを飼いはじめる。でも、むすこはすぐ興味を失い、奥さんも臭いからからいやだといい、結局ぼくが世話することになる。ベランダに水槽をおき、エサやって、水換えるだけなので、たいして手はかからない。ときどき自分で水槽から出て、ひなたぼっこしている。それから数年後、冬眠に失敗してオスが死ぬ。残されたメスは10年以上たった今も生きつづけている。でも、愛想もかわいげもなく、いまだにちっともなつかない。

ところが、昨年(2013年)7月、このメスが突然エサを食べなくなる。一ヵ月ほど様子を見るが、なにも食べようとしない。ほおっておくわけにもいかないので、カメをみてくれる獣医に連れていく。レントゲン検査で肺炎と診断される。「カルテをつくるのでカメちゃんのお名前は?」と獣医さんにきかれ、「とくにないんです、カメと呼んでいます」というと、渡された薬の袋に「田中カメ」と書かれていた。薬は効いたんだか効かなかったんだかわからないが、相変わらずなにも食べないまま2014年1月末の時点でまる7ヵ月が経過。。。

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ずっと水の中にもぐりっきりだったカメが、今日は天気がよかったせいか自分で水槽の外に出てきて日なたぼっこしていた。昨年の7月(!)からほとんどなにも食べず、まる7ヵ月間、水だけで生きているのに、水槽のへりをよじのぼったり、近づくとスタスタと足早に逃げたりする体力があるのにおどろかされる。

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このカメは過去に3度、脱走したことがある。最初の脱走はもう10年くらい前だ。帰宅してベランダに出て、カメがいないのに気づいた。たいていエアコンの室外機の下や植木鉢の陰などでうずくまっているのだが、そこにもいない。とすれば、下の芝生へダイブしたとしか考えられない。ベランダの手すりのすきまをくぐれば、真下が芝生だが、うちは2階なので芝生までは3メートルほど高さがある。臆病なやつだと思っていたが、そんな大胆なことをするとは。


下に降りて芝生を探しまわる。カメは見つからない。その様子を見ていた下の階のウメさんに「なにしてるの?」と声をかけらけた。


「カメが逃げ出したみたいで・・・」


「あら、おたくカメ飼ってるの?」


「はい」


「あらそう・・・うちもむかし子どもが飼っていたわ。カメって臭いでしょ」


「はあ、まあ・・・」


その後もしばらく探しつづけたが見つからない。どこへいってしまったのか。愛想もかわいげもないベランダガメなのだが、車にひかれたらかわいそうだな。見つからなかったとしても、だれか親切な人に拾われて飼ってもらえるといいな、などと思ってほぼあきらめかけていた。帰宅した奥さんに、カメがいなくなったんだというと、あらそう、どこいったのかしらね、という。子どもに拾われて飼ってもらえるならいいんだけどねというと、そうだといいけど、うちのカメ大きくて、かわいくないしね〜という。


ところが、翌日近所の掲示板に、「カメを拾いました、お心あたりのある方はご連絡を」と書かれた紙が貼られていた。ワードで描いたらしい楕円形を2つ組み合わせたカメのイラストも添えられ、このくらいの大きさです、とあった。まちがいない。うちのカメだ。


手土産をもって、拾ってくれた方のお宅を訪ねた。奥さまが出てきて、あらよかった、いま連れてきますね、といってカメを取りに行った。しばらくして布にくるまれたカメが運ばれてきた。やっぱり、うちのカメだった。「テレビの下に入ってしまって、そのまま出てこなくって」と奥さま。きっとこの家の子になりたいんでしょう、いいですよ、さしあげますよ、とはいわなかった。子どもが友だちと遊んでいたときに道路を歩いているのを見つけたのだそうだ。うちから100メートルくらい離れた場所だった。カメにとって最初の冒険だった。


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2度目の脱走はそれから数年後だった。雨の日だった。夕方帰宅してまもなくカメがいないのに気づいた。やれやれまたかと思って、カサをさして、前回と同じように芝生を探しまわった。前に見つかったという道路のあたりまで広い範囲を雨に濡れながら探すが、いない。すると前と同じく下の階のウメさんがベランダに出てきて「なにしてるの?」と声をかけてきた。


「カメが逃げ出したみたいで・・・」


「あら、まだ飼っていたのね」


「はい・・・」


「見つかるといいわね」


「はい・・・」


濡れた芝生の上をカメを探して行ったり来たりするうちに、これでカメがいなくなってしまったら、やはりさびしいだろうなと思った。慰めや癒しを与えてくれるわけでもないし、長く飼っているのにちっともなつかず、近づくだけで首を引っ込める。エサをやろうとすれば、指に噛みつく。それでも、10年近くも世話していると、カメがいるのが自分にとって、あたりまえになっていた。


ほかのカメは知らないが、このカメを見ていると、世の中にはどうやったって理解し合えないもの、コミュニケーション不能な他者が存在するのだ、ということを思う。心が通じ合うとか、理解し合うといった一般的に愛玩動物が与えてくれる慰めとは対照的に、このカメは、理解もコミュニケーションも幻想であり、他者との間には超えられない深く、空しい闇が横たわっていることを教えてくれる。


カメに名前をつける気になれなかったのも、名前をつけることで、いたずらにカメを擬人化したくなかったせいかもしれない。カメに敬意を表すればこそ名前をつけたくなかったのだ、とも思う。そのかわりに、そのときどきにおいて、カメはいろんな他者を思い出させた。いちばんよく思い出すのは母親だった。花や美しい景色ならまだしも、カメを見て母を思い出すというのもなんだかなあと思うのだが。。。


雨の中、落下したカメはどっちへ向かったのだろう。足どりを想像しつつ濡れた芝生の中を自分がカメになったつもりで行ったり来たりする。狭苦しいところが好きなので、芝生のまわりの植え込みや木の根元など捜索範囲を広げて丹念に探す。1時間以上たった頃、植え込みの下にうずくまっているカメをついに発見。思わず「いたー!」と声を上げた。カメを抱えて戻るとき、ウメさんがめざとく見つけて出てきた。


「カメ、見つかったのね。どこにいたの?」


「あそこの植え込みの下です」


「あら、あんなとこに・・・よかったわね」


「ええ、おかげさまで」


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3度目の脱走はそれからまた数年後だった。前と同じく、帰宅したらカメがいなかった。だが、このときは、どういうわけか、もうカメは見つからないかもしれない、そうだとしても、それは仕方ないなと思った。カメがどうして逃げだしたいのか、カメ自身だってわからないだろう。ここにいたほうがカメにとっては安全だし、エサももらえる。冬にはヒーターも入れてもらえて暖かく過ごせる。ときどき甲羅だって洗ってもらえる(カメはいやがるけど)。


でも、そんなことはカメにとっては知ったことではないのだ。それよりも、どこかへ行きたいのだ。パートナーを求めてなのか、それともなにかほかの理由があるかわからないが、とにかく、どこか、ここでないところへ行きたい。そのためには体長より高い段をどうにかしてよじのぼって、手すりをすりぬけて、3メートルの高さから地面に身を投げるのも辞さないのだ。それはカメの本望なのだ。


それでも一応、カメを探しにいった。今回はもう見つからないかもしれない、と思っていたけど、じつは内心では、見つからないでほしい、ぼくが、いや人間が見つけることのできないほど遠くまで行ってほしいという願いがあったのかもしれない。たとえどこかで捕まったり、車にひかれたり、あるいは飢えて死んでしまったりしたとしても、狭いベランダしか知らないカメに、柵や壁のない世界を思う存分歩き回ってほしい、と思ったのかもしれない。


前の2回の短い脱走の間、カメは自由だった。どこかで養殖されて誕生し、ホームセンターで売られ、うちに買われて、ほとんどの時間をベランダで過ごしてきた人生、いやカメ生の中で、あの短い時間だけカメは自由だった。そのときカメが感じていた興奮や、力強い歩みや、その目に映っていた景色のことを想像した。そして今回、その自由の空間を、つかまることなく突っ走ってほしいと思った。カメになにかを投影するなんて無意味なのはわかっていたけれど、このまま見つからないのだとしたら、せめてカメが自由の時間の中を、なるべく長く歩んでいければいいと思った。


でも、そんな予感や期待はあっけなくくつがえった。カメは落ちた芝生の地面のすぐそばにいた。前回や前々回のように、遠くまで歩くこともなく、建物の下の地面でくつろいでいた。近づくと、いつものように、シューと短く息を吐いて、首と手足をひっこめた。


ベランダに戻り、土で汚れた甲羅をじょうろの水で洗う。カメはじっとしている。しばらくすると、甲羅から首と手足を出し、まわりを見回すと、なにごともなかったかのように水槽の縁のスロープをのぼって、脱走前まで自分がいた水のなかに、ぽちゃんと飛び込んだ。


その後、カメは成長して、甲羅が手すりのすきまよりも厚くなった。以来、脱走は物理的にできなくなった。すきまに入ろうとしているのを目にすることもあるが、甲羅がつかえてしまうので、しばらくするとあきらめる。それでも、ときおり、手すりのすきまからじっと外の景色を見つめていることがある。そんなときは、いかにも思慮深そうな表情をしているが、じつはたいしてなにも考えていないのだと思う。


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コメント

カメさんとウメさんには、何か因縁があるのでしょうか・・・?

投稿: すずさわかおり | 2014年1月31日 (金) 21時46分

いわれてみれば韻を踏んでいました。とくにないと思います(笑)

投稿: 田中真知 | 2014年2月 1日 (土) 00時52分

田中さま

 飼い主に何ら愛想も払わず、自己の世界で独自に生きるカメと、飼い主に無愛想で自己中心的なカメとその生き方を見詰める田中氏の姿勢、スタンス、心の在り方が、読み進む裡に、「何処かで読んだような気がしてきた」のです。
 題材も、環境も異なっている上に、筆者の執筆動機も違うのでしょうが、「既読の気配がある」のです。

 さて、それは一体何だろう----と思いつつ、最後の段落を読み終えて合点がいきました。井伏鱒二の『山椒魚』だったのです。
 自由に憧れ自由を求めるものの、それが実現されない現状に、当事者である主人公が決して苛立たない情況設定が、何処かしら似通って見えるのです。
 また機会有りましたら、平凡な日常を面白く綴って下さい。お元気で。
 

投稿: Yozakura | 2014年10月12日 (日) 11時06分

Yozakuraさま

ご感想ありがとうございます。
「山椒魚」!
なるほど、いわれてみれば似ているかもしれませんね。
コメントを読んで、そういえばつげ義春の「峠の犬」(だったっけな?)にも似ているかなと思いました。
いつもエサをやっていた犬がいなくなって、しばらくして、べつのところで別の名前で飼われているその犬を発見する。
むかしの名前で読んでみるが反応すらしない。
そんな話だったような気が。

>また機会有りましたら、平凡な日常を面白く綴って下さい。

はい、更新がとどとこおりがちですが、よろしくお願いします。

投稿: 田中真知 | 2014年10月15日 (水) 00時26分

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