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秘密があばかれるとき

詩人で明治大学教授の中村和恵さんの「秘密の話、オーストラリア先住民から学ぶ〈知る〉ことの意味」というレクチャーをミッドタウンのd-laboというところで聞いたのだが、これがたいへん面白かった。中村さんは長年にわたってアボリジニ(オーストラリア先住民)のもとへ通い、そのアートや伝統を探っている方である。ドリームタイムとよばれる彼らの神話的伝統の多くは秘密とされている。その「秘密」とはどういうことか。知るとはどういうことか、という観点からの話だった。


中でも面白かったのは、アボリジニ文化の研究者のT・G・H・ストレロー(1908-1978)の話。中央砂漠の伝道所に赴任していたドイツ人宣教師の息子として生まれたストレローは、周囲数百キロ以内に白人は父と自分だけという環境で育ち、彼らの儀礼や言語について膨大な研究を行い、その成果を「Songs of Central Australia」(中央オーストラリアの歌)という800ページちかい大著にまとめた。この本は1971年に出版されたのだが、現在は絶版。アボリジニ文化の研究にとってはきわめて重要な内容が書かれているのだが、それでも再版されない。というのは、中村さんによると内容がきわめて「ヤバイ」のだという。


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どうして「ヤバイ」のか? それはアボリジニにとって秘密とされている儀礼や歌について詳細に書かれているからだという。その公開は彼らの文化の根幹を危機にさらすことであり、先住民の権利意識が高まっている現在では訴訟問題に発展する可能性もある。「秘密」にしておく、ということが、かれらの伝統にとってはきわめて重要なのだ。「秘密」にしておくとは、どういうことか。それは、その固有の価値を相対化されたり、利用されたりしないようにするためなのだろうか。


しかし、実際には秘密はあばかれていく。十分な研究費もなかったストレローはあるとき自分がこれまでに撮影した成人儀礼の写真をドイツの雑誌に掲載した。ところが、その写真が勝手にオーストラリアの雑誌にも掲載されることになり、さらにGEO誌にも転載された。血で染めた羽毛で体を飾った圧倒されるような写真の数々なのだが、本来、成人儀礼は秘密にされているものであり、これが公開されたことで騒ぎになった。


また、ストレローはまたアボリジニから買ったたくさんのチュリンガ(聖物)のコレクションをもっていた。チュリンガとは一般に石や木でできた彼らの神話にかかわる聖なる品といわれているが、中村さんの話だと、それは形のあるものだけではなく、歌や儀礼も含まれており、モノというより、むしろ「よりしろ」のようなものではないかという。そのチュリンガの膨大なコレクションは、ストレローの死後、彼の妻に相続された。しかし、それがまた問題を引き起こした。アボリジニの伝統では女がチュリンガを見ることは禁じられている。だからチュリンガを妻が相続するなど、アボリジニにとっては言語道断なことだった。


そのコレクションは現在アリススプリングスにある研究センターに所蔵されているそうだが、そこに行っても見ることはできない。むかし、チュリンガを研究しているひとに聞いたのだが、オーストラリアの博物館はチュリンガを所蔵しているものの、アボリジニ以外の人が見ることは禁じられている、ということだった。コレクションを人に見せるという目的で白人文化の中から生まれた博物館の中に、見せられないものが存在しているというのが面白いと中村さんがいっていたが、そのとおりだなあ。


ストレローはまた儀礼を記録した膨大な量の映画フィルムを残しているという。それらのフィルムは映像と音がべつべつに記録されているため、それを合わせてなくては見られない。だが、その言語を理解して音と映像を合わせられる人がいない。それをできるだけの言語能力と彼らの文化への深い理解をもっているひとがいないのだという。このためフィルムはライブラリーに死蔵されたままだそうだ。


そんなふうにアボリジニの神話的伝統は秘密にされてきたこともあって白人の幻想をかきたて、ニューエイジ思想の中で神秘化されて語られたりもしてきた。いまさら、先住民の伝統の中に現代西洋文明の行きづまりを超えるような知恵がある、などというナイーブなことは思わないが、彼らの目をとおして見えている世界を体験してみたいという気はする。それは4万年の長きにわたって彼らの身体と精神と社会を支えてきた世界の見方であって、わずか200年ほどの西洋近代合理主義の中でつちかわれた世界観とは比べものにならないスケールをもっている。ブルース・チャトウィンに「ソングライン」というオーストラリアの旅をめぐって書かれたすばらしい本があるが、彼もまたそんな衝動につきうごかされて、アボリジニの歌の道を旅したのではないか。


話がとぶが、以前、生粋マサイのだんなさんをもつ永松真紀さんから聞いた話だが、だんなさんを友だちの別荘のある上高地だったかにつれていったところ、彼がひとりで森を散歩したいといったという。初めて来た異国の土地で、似たような別荘がならんでいる中をひとりで歩いたら絶対道に迷うからやめたほうがいいと、その友人はいったそうだが、だいじょうぶだといってだんなさんはひとりで森に散歩に出かけ、2時間くらいしてぶじ帰ってきたという。どうして迷わないの?ときいた友人に対して、彼は、だって木は一本一本ちがうから、といったそうな。でも、かれが都会にくるとビルの見分けがつかないのだそうだ。


そのマサイのだんなさんに案内されて彼の村のあるケニアのサバンナをすこし歩いたことがあるが、かれは地面や木にのこされた痕跡から、そこに、いつ、どんな動物が来て、どんなことがくりひろげられたのかをたちどころにいいあてる。それはその文化の中で育った者ならあたりまえのことなのだが、そうした見方が風景だけでなく、世界観にまでひろがっている。われわれには、なにもないと思われる場所が、そうした目で見ると、意味にみちた豊饒な空間として立ちあらわれる。


話はもどるが、アボリジニが4万年にわたって伝えてきた、とほうもない伝統の深みと意味がほとんど理解されないままに失われてしまうのはやはりもったいない。秘密にされることによって保たれてきた価値や意味が、いま秘密にされることによって失われてしまいかねないというのも皮肉な話だ。かといって秘密はあばかれてしまうと、その本質はおうおうにして伝わらない。それは金銭のようなべつの価値に変わってしまうか、消費されて終わってしまいかねない。そんなジレンマを抱えたまま、ストレローの本やフイルムは眠りつづけている。


ほかにも、「アレンテ族には〈歌〉をあらわす語彙がない」とか、「歌は個人の所有物であってシェアできず、その感覚はいわばいまでいう知的財産権に近い」とか、「70年代に白人が彼らにカンバスとアクリル絵の具をつかって絵を描くことを教えたところ、いっせいにみなが描き始めた、それがいまのアボリジナルアート」といった話もおもしかった。アボリジニは白人との接触が遅かったため、いま生きている人たちの中にもまだ伝統的な神話的図案が肉化されていて、それをスラスラと表現できた、ということらしい。それにくらべると、ブッシュマンの岩壁画は南部アフリカにたくさんのこっているけれど、彼らは19世紀末にはもう絵を描かなくなってしまったので、その意味をいま彼ら自身の口から知ることはほとんど不可能になってしまっている。


あと「ウランが出るところは、たいていアボリジニの聖地。だから、鉱山会社の人たちはアボリジニの神話を知りたがる」といった話もへーと思った。「秘密の話」なのに、こんなに書いてしまっていいのだろうか。中村和恵さんにはぜひアボリジニとそのアートについての本を早く書いてほしいです。


ちなみに、絶版になっているというストレローの「Songs of Central Australia」だが、なにげなく調べてみたところ、たまたまヒットしたオーストラリアの古書サイトでは日本円にしてなんと65万円(!!!)という値がついていた。うひゃー!
(;´Θ`)

Sca


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コメント

 中村和恵さんの本は、『世界の中のアフリカへ行こう』と『地上の飯』の2冊しか読んでいませんが、どちらも上出来でした。それほど遠くない将来に『日本語に生まれて』を読もうかと思っています。

投稿: 前川健一 | 2014年2月20日 (木) 00時40分

 追記
 なかなか手に入らない英語の本を探すときは、カナダの古本通販サイトAbe Books(エイブ・ブックス)を利用しますが、ここではその本は4冊扱っていて、売値はus$3948
~5959です。日本の図書館の蔵書を調べてみたら、国会図書館と早稲田大学、東京外国語大学にはありませんね。

投稿: 前川健一 | 2014年2月20日 (木) 02時08分

売り値、ずいぶん幅がありますが、それでもやっぱり高いですね。1000部しか発行されていない本だそうなので仕方ないのかな。「日本語に生まれて」はおもしろそうですね。読んでみます。

投稿: 田中真知 | 2014年2月20日 (木) 07時47分

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