« 秘密があばかれるとき | トップページ | 「希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話」のこと »

ファレルのHappyで英国のムスリムが踊ってみた

ファレル・ウィリアムスの「Happy」が大ヒット中だ。ぼくもわりと好きだ。この曲で「踊ってみた」動画も世界中にひろがっているが、つい最近「Happy British Muslims」バージョンというのが登場した。英国在住のムスリムが、ファレルのこの歌に合わせて踊っている。なんだか、とてもごきげんでいいかんじだ。できれば大きな画面で見てほしい。



ただ、案の定というか動画のコメント欄はアップされてすぐに大荒れとなった。「こういう音楽は禁じられている」vs「クールでいいじゃないか。目くじらを立てるな」的な平行線の論争がムスリム、非ムスリム入り乱れて、えんえんとつづいたあげく、結局コメント欄は2日で閉鎖されてしまった(その後、復活)。関連動画に「Happy Kuwait」や「Happy in Jerusalem」などもある。そっちはまだコメント欄が生きているが、やっぱり荒れているなあ。


「宗教的に」よいかどうかという議論よりも、問題はこうした動画においてさえ、かれらは個人として見てもらえず、ムスリムというコミュニティの代表者として見られてしまうことにあるようにおもう。懸念があるとすれば、こうした「わかりやすさ」「親しみやすさ」に歩み寄ることで隠蔽されてしまうものがあるのでは、ということではないか。「わかりやすさ」とはあくまで西洋的な価値観にとってわかりやすい、親しみやすいということであり、いぜんとしてわかりにくい彼らの置かれた社会的立場や不平等や差別の構造は逆に見えにくくなりかねない、ともいえる。


ただ、このような動画が出てくる背景にはイギリスにおけるイスラモフォビア(イスラム恐怖症)へのムスリム自身の戸惑いもあるのだろう。フェイスブックでこの動画をとりあげていた米国在住のムスリムが、「この動画を見て自分がまちがっていたと気づいた。英国のムスリムはみな気の触れた過激派ばかりだと思っていたけど、じつは彼らもそういう見方をされることに苦しんでいたんだね。ネットで憎悪をむきだしにするやつらがコミュニティを代表しているわけじゃない。彼らが主張する理想的イスラム社会なんて存在しないのだね」とコメントしていた。
 

Img_1510


一昨年のクリスマスイブのことだが、ロンドンのセントポール寺院の前で、英国在住ムスリムたちが、参観者や観光客に「今年のクリスマス、イエスは牢獄にいる」と書かれたチラシを配っていた。「イエスがもしここにいるならば、抑圧的なキャメロン政権を批判する最前線にいるはずだ。そんなイエスを政府はほっとくわけがない。イエスは牢屋に入れられている」といったようなことが書かれていた。「イエスはムスリムだ」と書かれた横断幕も広げられていた。
 

Img_1532

興味深かったのは、彼らが一方的にしゃべるのではなく、通りすがりのキリスト教徒(たぶん)がムスリムたちと対話する姿が、教会前広場のそこここで見られたことだった。クリスマスなのでサンタのコスプレをした金髪の女の子が、ニカーブをした子連れの女性たちと議論したりしていて、それはそれでいいかんじだなと思った。ただ、その様子を屈強な警官が、じっとビデオに撮っているのが、なんだかなあという感じだったが。
 

Img_1513

 

ちなみに、アメリカにもオープンなムスリムのライフスタイルを打ち出しているミップスター(Mipsterz)という活動?がある。ミップスターとは、「ムスリム・ヒップスター」の略で、要はイケてるムスリムというような意味らしい。米国在住のムスリム女性が中心のようで、フェイスブックページもある。それによるとミップスターは「イスラムの伝統にインスピレーションを求め」「最新の音楽や流行、アート、思想、食べ物、イマジネーション、創造性などの最前線に立つ」という。


わかったようでわからない定義だが、要するに、これまでの保守的なムスリムのイメージとは対照的に、若い世代によるスタイリッシュなムスリムのライフスタイルを提案する、ということのようだ。西洋からはネガティブなイメージをもたれがちだったヒジャーブをおしゃれに着こなすとか、スケボーに乗るとか。こんな動画もある。ただ、ここもコメント欄も賛否が入り乱れている。「クールだ!」と賞賛するのもあれば「お金持ちのお遊び」「ムスリムの恥だ」と弾劾するものもある。
 

個人的にはミップスターの動画より、「英国のムスリムがファレルのHappyを踊ってみた」バージョンに心がなごむ。ファレルのHappyは、「いかれちまったように見えるかもしれないけれど・・・熱気球になって、宇宙まで浮かんでいけそうな気分なのさ・・・だってハッピーなんだ、浮かれちまっているのさ、たのむよ、おろしてくれよ・・・」といったすごく脳天気な歌詞なんだけど、その歌詞の内容とはうらはらにメロディーはそこはかとなく哀愁をおびていて、どこかせつない。ハッピーなんだけど、それがいつまでもつづくわけではないこともわかっている。そんな哀しみのようなものが伝わってくるからかもしれない。


踊っているのか、踊らされているのか。じつは当人たちもわからないのかもしれない。それはじつは同じことなのかもしれない。ファレルは歌っている。


 悪い知らせだとかいって なんだかんだいうやつはいるさ
 遠慮はいらないさ なんでも いうがいいさ
 でも いっとくけど おれは そんなこと 気にしない 
 あんたには悪いけど 時間のむださ
 だって おれは ハッピーなんだから

 Here come bad news talking this and that
 Yeah, give me all you got, don’t hold back
 Yeah, well I should probably warn you I’ll be just fine
 Yeah, no offense to you don’t waste your time
 Here’s why
 Because I’m happy


|
|

« 秘密があばかれるとき | トップページ | 「希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話」のこと »

「音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 秘密があばかれるとき | トップページ | 「希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話」のこと »