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2014年6月

コンゴ河のハンフリー・ボガート

久しぶりの更新。いまコンゴ河旅の本の原稿を書いていて、関連する資料をあれこれ読んでいる。それで知った思いがけない話。


コンゴ河の旅の起点となった上流のキサンガニの町へ着いた日、河沿いでたまたま見かけたバーで、旅のパートナーのシンゴ君とビールを飲んだ。下がそのときの写真。ぼくたちがどうこうというわけではなく、注目してほしいのは、背後に映っている古めかしい建物だ。左の青いペンキの塗られている建物がバーで、右側に三階建てのレンガ造りの半ば廃虚と化した建物が見えている。

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photo: Shingo Takamura

じつはこの建物はベルギー植民地時代の高級ホテルだったことを、最近知った。その名も「ホテル・プルクワパ」(Hôtel Pourquoi Pas?)。プルクワパとは英語だと「Why not ?」 の意。「いいにきまってるさホテル」といったところか。。。現在バーになっている青いペンキの塗られた部分は、このホテルのレストランだったらしい。


まあ、それだけならよくある話だが、それだけではない。1951年、当時スタンレーヴィルと呼ばれていたこのキサンガニにアメリカから映画の撮影隊がやってきた。映画のタイトルは『アフリカの女王』。主演はなんとハンフリー・ボガートとキャサリン・ヘップバーンという、当時をときめく大スターだった。そのとき、彼らが泊まったのが、ぼくたちの背後にある、このレンガ造りの建物だったのだ。


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『アフリカの女王』の撮影がコンゴで行われたことは聞いていたが、まさか主演俳優、それも世界的な大スターが泊まっていたホテル跡に、自分たちがたまたま来ていたとは知らなかった。キャサリン・ヘップバーンは晩年、この映画の撮影をめぐる回想記『「アフリカの女王」とわたし』という本を書いているのだが、その中でこの建物をつぎのように描写している。


「ホテルは二つの部分からできている。飲んだり食べたりする部分と眠る部分。後者は三階建てになっていて外階段付き。わたしのあてがわれた部屋は通りに面した一階にあった。光の入らない陰気な部屋で、通りすがりの人たちがいくらでも中をのぞき込める。それに引きかえボガート夫妻は。きれいなポーチのついた最上階の部屋を占領している。ポーチからは河を見おろすこともできる」


この「三階建てになっていて外階段付き」の建物が写真の奥に写っている建物で、「飲んだり食べたりする部分」が、写真の左側の青く塗られた建物、つまり今のバーである。ホテル部分はいまはホテルとして使われてはいない。いまはなにに使われているのかは、わからない。たしかなことは、ハンフリー・ボガートはあの三階のテラスで奥さんのローレン・バコールといっしょにタバコをくゆらせながら、コンゴ河に沈む夕日を眺めたにちがいないことだ。あのときそれを知っていたら行ってみて、テラスでタバコを吸わせてもらったのに(タバコは吸えないんだけど)。。。

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バーの前庭から見える夕暮れの河


ヘップバーンも一階の部屋を嫌って、その後ハンフリー・ボガートの隣の部屋に泊まっていた映画スタッフを追い出して、そのあとに入ったという。つまり、あの三階の隣同士でキャサリン・ヘップバーンとボギー、ローレン・バコールという、とんでもなく豪華な大スターが並んで泊まっていたのだ。朝にはヘップバーンは外階段を下りて、われわれの後ろにある「飲んだり食べたりする部分」にやってきて「目玉焼きとトーストとコーヒーとパイナップルのスライス」を注文して、自分で外階段をのぼって部屋まで持って帰ったという。「パイナップルのスライスは、単純にすばらしい」と彼女は書いている。あのころもコンゴのパイナップルは絶品だったのだなあ。

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それにしてもベルギー植民地時代のキサンガニはとても洗練された町だったようだ。ヨーロッパ人が多く住んでいたこともあって、アフリカの中央部のこの密林の町には、おしゃれな店がつらなり、ジャングルを開いてつくったゴルフクラブもあったという。もちろん苛酷な気候や自然は、いまも当時も変わりないが、キャサリン・ヘップバーンの回想録を読むと、彼女もボギーもそれをけっこう楽しんでいることがわかる。


高級ホテルとはいえバスタブからはクモやアリをつまみださなければならず、水も蜂蜜のような色をしていたとヘップバーンは書いている。しかし、彼女はこの水が「やわらかくて、肌をしっとりさせる」ことに感激し、しかも「飲めない。歯を磨いてもいけない」といわれていたその水を飲み、「あまい! 天使の指が口の中で踊っている」と歓喜している。肝のすわった女優さんだったのだなあ。


彼女は中洲の村に渡って、槍と木彫りのオールや腰かけを買ったと書いている。昼間は暑くて仕方ないので、部屋で脚本を読んでいたというが、当初彼女に渡された脚本はひどいものだったようで、「この脚本の退屈さは並大抵のものではない・・・なにかとんでもないことが起こって、この映画に出なくてもよいということにならないだろうか」とさえ思っていたという。「まったくだらけていて、何度読んでも居眠りをしてしまう。ほんとうにもう、どうしようもないったらない」とまで書かれている。そんな脚本でもキャサリン・ヘップバーンとハンフリー・ボガートが出演してくれるのか。。。


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そこまでひどい脚本をもとにした『アフリカの女王』という映画はどんなものなのか。そのあとヘップバーンがかなりあれこれ意見をいって、ずいぶん中身が変わったそうだが、見たことがなかったので、見てみることにした。うーん、映画としてはなんというか、河下っているときの食事はどうしていたのかとか、現地人まるで出てこないじゃないかとか、蚊対策はどうしたのかとか、突っ込みどころ満載で、けっこう脱力してしまう作品なのだが、書き割り的なアフリカ人やドイツ人の描き方とか、いろいろ興味深かった。


かんたんにストーリーをいうと、舞台は1914年、第一次大戦前のドイツ領東アフリカ。ロケ地はベルギー領コンゴで、物語はいまのブルンジとかルワンダとかタンザニアとかのあたりなのだ。「アフリカの女王」というのはハンフリー・ボガートが船長をしているオンボロ船の名で、彼はカナダ人でこのあたりで河川を行ったり来たりして商売をしているという設定。『カサブランカ』のダンディすぎる役柄とは対照的に、この映画のハンフリー・ボガートは饒舌で、品がない、酒好きのいいかげんなオヤジ役。それがじつにいい。

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一方、ヘップバーンはメソジスト教会から派遣されたイギリス人宣教師の妹役。堅物で、融通が利かない。ところが赴任地の村で兄が亡くなり、第一次大戦が始まる。ボギーはヘップバーンとともに「アフリカの女王」丸で河を下って、脱出を図る。その間に急流で船が沈没しかけたり、ドイツ軍に狙われたり、スクリューが折れたり、羽虫の大群やヒルに襲われたり、葦におおわれた湿地帯に迷い込んだりというさまざまな試練がある。その過程で恋心が芽生えてという、まあそんなかんじの話だ。それはさておき、この映画が一部をのぞいて、ほとんどがコンゴ河での現地ロケだというのが驚きである。あ、この風景は、とおもうようなシーンが出てくるたびに、さぞかし、撮影はたいへんだっただろうなあと、その苦労がしのばれる。


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『「アフリカの女王」とわたし』によると、河下りのシーンはスタンレーヴィル(キサンガニ)のさらに100キロほど上流のビオンドという河沿いの町で撮られたという。スタンレーヴィル対岸から鉄道に乗り(いまはもう廃線になっている)、そこからジャングルを車で抜け、河をフェリーで渡り、ジャングルの中のロケ地にたどり着き、そこで小屋に滞在しながら撮影を続けた。

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しかし監督のジョン・ヒューストンは象狩りに夢中になって、撮影をしばしばすっぽかす。「頭がどうにかなりそうだった」が、おかげでこの映画のことは「うんとこまかいところまでむおぼえているし、一瞬一瞬の撮影風景やそのとき自分がなにをしていたかということまでありありと目の前に立ち上がってくる」とヘップバーンは書いている。彼女がこの本を書いたのも、撮影から30数年後のことだ。コンゴ河は、ロケで世界中を旅したキャサリン・ヘップバーンにとっても、とりわけ忘れがたい印象を残したのだなあ。それにしても、そのことを知っていたら、もうすこしまともな写真を撮っておくんだったと少し後悔。。。


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