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2014年10月

ナイジェリアからリクエストが・・・

ナイジェリアの人からフェイスブックの友だちリクエストがきた。共通の友だちもいないし、ナイジェリア人に知り合いもいない。そのひとのウォールを見ても英語の書き込みばかりで、どうしてぼくにリクエストをくれたのかわからない。メッセージもない。


たまに外国人からそういう謎のリクエストがくる。アカウント乗っ取りの可能性もあるので、たいていはほうっておく。けれども、なにげなく、そのひとの友だちリストをのぞいてみたところ、思いもよらない事実が判明した。友だちの多くはアフリカ系の人なのだが、その中にちらほらと日本人がいる。ところが、その名字のほとんどが「タナカ」なのである!


ざっと見ただけで、20人ほどのタナカさんがフォローされていた。でも、それぞれのタナカさんの間には、名字がタナカという以外、共通点は見当たらない。どうやら、このひとは、タナカという名字の人を探しては、ランダムにフォローしたり、友だちリクエストを出しているらしい。なんでだかわからないが、タナカマニアなのだ。


ツイッターで、発言内容とは関係なく、アイコンがかわいい人を集めてリストに入れたり、ということをやっているひとはいる。たとえば、アヒルのアイコンの人を集めて、アヒルリストをつくって、ひそかにたのしんでいるとか(ぼくではありません)。


そんなかんじで、このひとはタナカさんを集めて、ひそかに眺めては悦に入っているのだろうか。でも、名前が「タナカ」というだけで、アイコン写真はオヤジだったり、ぱっとしないのも多い。アイコンの写真とは関係なく、「タナカ」という響きに萌えるのだろうか。タナカという言葉は、ナイジェリア人にとって、なにか特別な意味があるのだろうか? 


ひとつ思い出したのは、1980年代前半にアフリカを旅した女性が書いた旅行記だ。その中で、当時のラゴスでは田中角栄がとても有名だったと記されていた。


でも、その理由は芳しいものではない。一国の首相という地位を利用してロッキード社から5億円の賄賂を受けとった田中角栄は、汚職と賄賂がまかりとおっていたナイジェリアにとっては一種の憧れと見なされていたというのだ(手もとに本がないので、うろおぼえです)。


しかし、そんな30年以上も前のことが関係しているとは考えにくい。では、なぜなのか? ナイジェリアというと近年インターネット詐欺で悪名高いので、タナカというのをターゲットにしているとか、そういうのだったらやだなと思ったが、ウォールからは、そんな邪悪なものは感じられない。


プロフィールにはスーツにネクタイをしめた紳士然とした写真が載っているし、書き込みも、最近のニュースへのコメントとか、人生の知恵とか、いたってまじめなかんじだ。コンサルティングの仕事をしている方らしい。だまそうとしているとか、ふざけたりしているようには見えない。


では、どうして、タナカさんばかりコレクションしているのだろう。そういえば、シャーロック・ホームズ・シリーズに赤毛連盟というのがあったなとか、考えていると想像がどんどん現実離れしていく。


このままほおっておくにしても気になるので、そのナイジェリアの人に直接メッセージを送ってみた。


友だちリクエストありがとうございます。あなたの友だちリストをみると、タナカという名前の方がたくさんいるようです。私にリクエストをくださったのも、私の名前がタナカだからだと思われますが、それにはなにかわけがあるのでしょうか? ナイジェリアの人にとって、タナカという名前はなにか特別な意味があるのでしょうか? さしつかえなければ、教えていただけますか。


しばらくしたら、本人から返信が来たーー。


私は日本にいたことがあります。熊本と浜松で働いていたのですが、どちらでも「タナカ」という日本人と友だちになりました。私の国に技術指導に来てくださった方も別の「タナカ」さんでした。あなたが同じタナカ・ファミリーの方かどうかはわかりませんが、それでリクエストを出したしだいです。・・・私はこれまでに数回仕事と訓練のために日本を訪れました。私にとって日本は、西洋諸国よりもずっと親しみのある、魅力的な国です・・・。


なるほど、そういうわけだったのか。名字が同じなら同じ一族かもしれないと考えるあたりがおおらかでアフリカ的でとてもいい。もちろん、友だちリクエストは承認した。ただ、承認したら、親愛の情からなのだろうが、自分の書き込みを自動翻訳で日本語にしてウォールにのせてくれるようになった。かえって読みにくいんだけど、そうした心遣いが、またなかなかいい。(*´Θ`;)ノ

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ドゥミのこと

秋の海へ。途中で花を忘れたのに気づく。海の最寄りの駅の近くには花屋がなく、代わりにコンビニで酒を少し多めに買う。灰色の低い雲の下に、暗い海が広がっている。水鳥が一列になって水面すれすれに飛んでいく。昨年もこんな天気だった。


酒を海に流しながら、ずっと昔、まだ学校に上がる前に家で飼っていたドゥミのことを思い出した。ドゥミはぼくが二歳くらいのときに、うちにもらわれてきた雑種犬だ。毛並みが茶色く、鼻のまわりが黒かった。不精者だった父が、どうして犬を飼おうなどという気になったのか、いまとなっては知るすべもない。


古いアルバムをひっぱりだしてみたら、三輪車にまたがった自分がまだ子犬だったドゥミと遊んでいる写真があった。その数年後に撮られたらしい写真では、ドゥミはすっかり大きくなっていた。こんなふうに、小さかった自分のそばにはいつもドゥミがいたのだろう。

Photo


といっても、ドゥミについて憶えていることは、あまりない。おとなしい犬だった記憶はあるが、いっしょに遊んだり、餌をあげたり、散歩に行ったりしていたはずなのに、そういう光景がほとんど思い出せない。心に刻まれる思い出をつくるには、自分はまだ小さすぎたのかもしれない。そのくせ、ドゥミをつないでいた鎖の留め金が外れにくかったことはなんとなく憶えている。


そのころ暮らしていたのは平屋の貸家だった。縁側に面した庭には栗の木があって、秋にはとげとげの実が地面に散らばった。家屋のわりには広い庭だった気がするが、幼かったから広く感じていただけかもしれない。


ある朝のこと、母が雨戸をあけたら、縁側に知らない男の人が寝ていた。酔っ払いらしく、夜中に庭に入り込んできて、そのまま寝てしまったらしかった。ドゥミはまったく吠えなかった。ドゥミの鳴く声を思い出せない。


ドゥミという名前は少し発音しにくかった。変わった名だとは思ったけれど、とくに気にしなかった。名前の由来を知ったのは、ずいぶんあとになってからだった。

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たしか小学3、4年生のころだったと思う。そのころは、もうドゥミはいなかったのだが、なにかのきっかけで母との会話の中でドゥミのことが話題になった。ドゥミというのは父がつけた名前だと母がいった。ほかの犬にくらべて頭があまりよくなくて半人(犬?)前だからフランス語で「半分」を意味するドゥミと名づけたのだという。


じつは、このこともふくめて、ドゥミについてのぼくの記憶は、このとき母から聞いた話がもとになっている。話をしたときにはまだドゥミのことはよく覚えていたのだと思う。でも、いまは、どこまでが自分自身の記憶で、どこからが母から聞いたことなのか、自分でもわからない。


いちど、ドゥミがいなくなったことがあった。幼稚園から帰ると、犬小屋にドゥミがいなかった。母も父もどこへ行ったかわからないといった。いつのまにかいなくなってしまった、そのうち帰ってくるだろうという。エサをやるときの金皿が犬小屋のそばにころがっていた。


でも、ドゥミは帰ってこなかった。一週間たっても、二週間たっても帰ってこなかった。ドゥミはもう帰ってこないんだと思った。さびしかったけれど、いつまでもさびしがっていると父の機嫌が悪くなるので、つとめてなんでもないようにふるまっていた。でも毎日、朝起きるとドゥミが帰っているんじゃないかと思って、まっさきに窓を開けて庭の犬小屋を見た。


ドゥミがいなくなって、ひと月ほどたったころだった。ある日、ひょっこりドゥミが戻ってきた。母の話だと、ぼくはドゥミの首を抱いて、いつまでも離れなかったそうだ。ドゥミはすっかりやせこけて、毛もすっかり汚れて、ボロ布のような状態だったそうだ。


母との会話の中で、あのときドゥミはどこへ行っていたのかな、よく帰ってきたくれたよねとぼくはいった。ところが、そのとき母はドゥミがいなくなった本当の理由を教えてくれた。じつは、あのとき、しばらくしたら引っ越すことが決まっていた。そこでは犬が飼えないので、父がドゥミを遠くまで連れていって捨ててきたのだという。


電車で連れていったのか、タクシーとかべつの手段で連れていったのかはわからないが、父はずいぶん遠いところの川べりでドゥミを放してきたのだという。そして、ぼくにはドゥミがいなくなってしまったと告げたのだ。


でも、ドゥミは戻ってきた。捨てられた先から、一ヵ月かけて、ぼろぼろにやせこけて戻ってきた。ものもろくに食べずに、いろんなところを彷徨って、やっとうちを探しあてたのだろう。そのことを初めて知って泣かずにはいられなかった。そんなけなげで聡明な犬をドゥミ(半分)などと名づけていたとはーー。


でも、そのあとドゥミはもういちどいなくなってしまった。たぶん、戻ってきてからそんなにたってはいなかったと思う。ドゥミはまた戻ってくるだろうと思っていたけれど、その前に引っ越す日がやってきてしまった。


ぼくはドゥミがまた戻ってきたとき、ぼくたちがいないとかわいそうだ、といっていたそうだ。でも、そんなことをいっても、どうしようもないこともわかっていた。


母は、もうひとつ本当のことを教えてくれた。それはつらい話だった。ドゥミが二度目にいなくなったのは、父がドゥミを保健所にひきとってもらったからだというのだ。そのときまで、ぼくはドゥミがどこかで生きているにちがいないと疑わなかった。でも、そうではなかった。ドゥミはもうこの世にいないのだ。


たぶん、ぼくはそのあとずいぶん泣いたのだと思う。父への怒りはなかった。ドゥミが哀れでしかたないのと、自分がなにも知らずにいたこと、なにもできなかったことが情けなくてしかたなかった。たとえ知っていたとしても、幼稚園児だった自分にはなにもできなかっただろう。真実を教えてくれた母には感謝した。


父の命日にドゥミのことを思い出したのは初めてだった。だから、酒を海に流したとき、半分はドゥミを捨てた父のために祈り、そして半分はドゥミのために祈った。

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ハッサン中田さんのこと 2

ISISに参加するつもりだったという大学生をめぐるニュースが連日流れ、その仲介にあたった「元大学教授のイスラーム教徒」についての、さまざまな批判や憶測が流れているのを聞いていて胸が痛む。


なにしろああいう風貌だし、いわゆる常識に照らし合わせれば、そのいっていることは過激に響くかもしれない。率直なところ、自分にも彼のいっていることがわかるとはとてもいえない。いえないのだけれども、そこに彼が長年にわたって真摯に考え続けてきた理があることを疑ったことはない。


カイロにいたとき、当時留学中だった中田さん(以下、ハッサンさん)に何夜にもわたってイスラームについての疑問をぶつけたことがある。それは日本で、たとえば井筒俊彦さんのようなイスラーム哲学関連の本に描かれていたイスラームとはまるでちがう世界だった。


イスラームの知の普遍性というのは魅力的なテーマだけれど、ハッサンさんにいわせればイスラームでなにより重要なのは法学だという(彼自身も法学者だ)。高邁な哲学や、あるいは美しいモスクや、旅人を歓待するホスピタリティの世界とはまったく別のリアリティをもった世界がそこには広がっていた。


ああ、彼はこういう世界に生きているのか。それは西欧諸国の価値観に歩み寄るような物分かりのいい世界ではない。けれども、それがなければ、イスラームが宗教として形骸化してしまいかねない根っこのようなものに彼はふれているのだと感じた。


ハッサンさんがつちかってきた幅広いムスリム・ネットワークは、公安のような国家権力組織からすれば危険きわまりないものと見なされるのかもしれない。しかし、このようなネットワークをこつこつとつくってきた日本人がどのくらいいるだろう。そして、そのネットワークこそ、日本や欧米が切り捨ててきた対話のルートであり、平和へとつながる細い道になりうるのではないか。


あの風貌で、テレビやネットの動画にくりかえし出演するのがイメージ的にどうかなということはさておいて、彼と会って、話したことのある人なら、腹に一物もない、慈悲深く、邪心のない人柄にいっぺんで魅せられるはずだ。まわりに迷惑をかけないために大学教授の職を退き、イスラーム関係団体の責任者をやめ、覚悟を持って一人になり、「イスラーム学徒、放浪のグローバル無職ホームレス野良博士ラノベ作家、「カワユイ(^◇^)金貨の伝道師」、「皆んなのカワユイ(^◇^)カリフ道」家元」となったハッサンさんの身を案じるツイートが、ツイッター上にはあふれている。


かつてハッサンさんから聞いた話の中で印象的だったのは、なにかができるから、なにかを行ったからその人間に価値があるという見方をイスラームはしない、ということだった。そのことをハッサンさんはカイロにいた頃から身をもって実践していた。できない人、しない人、弱い立場にある人たちにたいして彼はとてもやさしかった。


ISISへの参加を望んだ大学生は、社会的な挫折経験をきっかけに、日本で流通しているフィクションの外に出たかった、でもシリアやISISのことはほとんど知らないと語ったらしいが、そういう人を受け入れるところもハッサンさんらしいなと思った。


人はわからないものを恐怖し、たたきつぶそうとする。逆にいえば、たたきつぶしたいものがあるならば、それをわからないものに仕立て上げて恐怖をあおればいい。オリエンタリズムがそうであったように、それは西洋がイスラーム世界に対して行ってきたことである。けれども、そのやり方はまちがっている。本当に恐怖をなくすには、わかろうとする努力をすることだ。わかるためには深い知識と信頼できる人的ネットワークが不可欠だ。その両者をあわせもったハッサンさんに、神のご加護があらんことを。


北大生支援の元教授インタビュー
公安の事情聴取を受けた中田考氏が語る「イスラム国」
http://goo.gl/eNcMEj

ハッサン中田さんのこと 1
http://earclean.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-740d.html


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