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2014年11月

ニッポン最後の百姓一揆「三里塚に生きる」を見て

事件とは、報じられたそのときに世間の注目度がピークとなる。けれども、じつは、われわれに深いことを教えてくれるのは、報じられなくなってからの顛末のほうだと思う。刑事事件であれば、加害者と犠牲者が、それぞれに重い枷を背負って、どのように生きていったのか。おそらく、そこにこそ学ぶべきことがある。


「三里塚」という言葉を耳にしたのは、小学生高学年のときだ。どういう経緯かよく覚えていないが、あるとき学校から帰ってくるとメガネをかけたお兄さんがいて、母にこの人に勉強を見てもらいなさいといわれた。母と仲の良かった近所の奥さんが、自分たちの子供に家庭教師をつけようということで、なにかの伝手で雇ったらしかった。中学受験がブームになりかけていたころだった。


それから大学生だというそのお兄さんに週に一回勉強を見てもらうことになった。髪を七三に分け、メガネをかけた、色白でほっそりとした物静かなお兄さんだった。なにを教えてもらっていたのか、まるで覚えていない。ところがお兄さんは3回か4回か来ただけで、突然来なくなってしまった。


それから何週間かして父宛に一通の手紙が届いた。投函場所は小菅の拘置所だった。拘置所の認め印が押された手紙を父が見せてくれたが、内容はよくわからなかった。ただ、どうやらお兄さんが三里塚闘争に参加していて逮捕されたらしいことはわかった。父が「起訴されたのか」と驚いていた。「起訴」の意味は知らなかったが、もうあのお兄さんが来ないのであろうことはわかった。どうでもいいことだが中学受験は失敗した。


三里塚について覚えていることはそれくらいだ。いまとなっては、この国の多くの人にとって三里塚闘争は過去の忘れられかけた記憶だろう。ある年齢以上のひとなら、それが1960年代、成田空港建設反対のために立ち上がった農民と左翼の闘争であったことを覚えているかもしれない。しかし、結局成田空港は開港し、今年で35年がたち、いまや国際空港としての地位を羽田に明け渡そうとしている。三里塚はもはやその苦さすら思い出せない過去の遠い出来事のように思われている。


だが、リムジンやスカイライナーで空港内に入っていくと気づかないが、いまなお、日本の滑走路と旅客ターミナルや駐機場をむすぶ誘導路にかこまれた畑では、老夫婦が旅客機の発着の轟音の下、農作業を行っている。空港敷地の外の団結小屋には老いた活動家が、いまも独りで暮らしている。一方で、闘いの当事者の農民の中には、当時のことをいっさい口にしない者たちもいる。

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半世紀前に止まった時間の中で、いまだに時計の針を進めることができないまま生きている人たちがいる。いまなお闘争を終えていない人たちも、黙して語らない人たちも、三里塚で人生の歯車を狂わされ、その取り残された時の中で生きている。「三里塚に生きる」は、そんな三里塚に生きる人たちの今を見つめたドキュメンタリー作品なのだが、監督・撮影をつとめた大津幸四郎氏もまた、取り残された時を生きる一人なのかもしれない。というのも、約半世紀前、若き大津氏は、小川紳介監督の「日本解放戦線 三里塚の夏」(1968)でカメラマンをつとめていたからだ。

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「三里塚に生きる」は重い映画だ。とくに三里塚のことをほとんど知らない自分にとっては、その重さは比類なかった。ドキュメンタリーなので、現地で当時の運動に参加した農民たちへのインタビューがメインとなるが、多くの人たちの口ぶりから、それがいまだに過去になりきっていないことが伝わってくる。実際、監督の大津氏が撮影に先立って、1968年に制作された「三里塚の夏」のDVDをもって現地を半世紀ぶりに訪ねたときも、歓迎してくれるひとはほとんどいなかったという。どうして、いまさらそんなことを聞くのか。それでも大津監督たちの辛抱強い取材の中で、現在の三里塚、そしてその現在に深く入り込んでいる止まった時間や風景が浮かび上がってくる。


ただ、この映画を観てわかったのは、三里塚は新左翼の闘いだといわれていたけれど、じつは農民の闘いだったのだということだった。1960年代にはまだ読み書きのできない老人もいた。そんな農民たちが高度成長に勢いづいた国家権力に対して立ち上がったことの意味の大きさに圧倒される。試写会後のシンポジウムで、三里塚は「戦後の日本が近代化のために農業を切り捨てていく分かれ道だった」という発言があった。映画のコピーに「ニッポン最後の百姓一揆」とあったが、まさにそのとおりだった。


大津監督がどうして今になって半世紀前にかかわった三里塚をもういちど撮ろうと思ったのか、そのはっきりとした真意はわからない。ひょっとしたら、この映画を撮ることで、彼の中で止まっていた時間を進めようとしていたのかもしれない。しかし、この作品は三里塚に関わった個々の人たちの時間だけでなく、この日本の中で止まってしまっている時間に気づかせてくれるものなのではないか。左翼闘争や百姓一揆という言葉はちょっと前までは過去の遺物のように響いていた。だが、辺野古や原発のことなど考えると、じつはそうではないのではという気がしてくる。時を経て、のちの世代へと受けわたされなくてはならないメッセージが、この重く、静かな作品の中に確実に息づいている。


11月22日から渋谷のユーロスペースで「三里塚に生きる」の上映が始まったので、そろそろ感想を書こうと思っていたところ、まさに今日(11月28日)監督・撮影の大津幸四郎氏の訃報が飛び込んできた。80歳だった。試写会後のシンポジウム席上の大津氏はたいへん疲れているように見えたが、それでもたどたどしいながらも、楽しげに語る氏のふっきれたような姿が印象的だった。この作品を完成したことで、きっと彼の中の時は進んで、成就したのだと信じたい。つつしんで大津幸四郎監督のご冥福をお祈りいたします。

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『三里塚に生きる』(2014)
監督・撮影:大津幸四郎、監督・編集:代島治彦、音楽:大友良英、朗読:吉行和子 井浦新。2014年11月より渋谷ユーロスペースにてロードショー! 全国順次公開。

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HUG ME, I'M PAKI (ハグして、私パキよ)

ふだんは夜明け前の薄靄みたいな死にそうな音楽をかけていることが多いのだけど、ときどき発作的に対極的な音楽を聞きたくなる。PerfumeやLady Gagaもそうなのだが、今年はアゲアゲ系の元気のいいトランスっぽい曲がマイブームだ。そういう音楽は最近はEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)というらしい。クラブとか野外フェスとかでかかる元気のいい音楽だ。(クラブというところには10年ほど前に行ったことがあるのが、じつはひそかに自慢である)。


中でも、今年の春頃に来日したKREWELLA(クルーウェラと読む)という3人組DJユニットが気に入っている。クルーウェラはシカゴ育ちのゴージャスな2人姉妹と、ちょっと気の弱そうな「レインマン」という男からなり、姉妹で来日したときには朝の「スッキリ」というテレビにも出ていた。ゴージャスなんだけど、とても素直でいい子たちだったので、ますますファンになり、一時期は朝から晩までクルーウェラでアゲアゲだった。


PVを見ると、姉妹はどう見てもアラブ・中東系の濃い顔立ちをしている。調べてみたら、髪の長い、ヘッドバンキングするお姉さんの名がジョハーン・ユーサフで、髪の短いボーイッシュな感じの妹がヤスミン・ユーサフだという。なるほど。さらに調べてみたら、お父さんがパキスタン人、お母さんはリトアニアとポーランドとドイツの血をひいているという。 つまりハーフ・パキスタンの姉妹なのだ。


 


EDMはコンピューターとセンスがあれば自宅でも曲を作り込めるし、ネットをつかえばどこにでも配信できるので、グローバル化がすすんでからアジアや南米、中東、アフリカなど世界中からアーティストやDJが登場している。エジプト人の二人組で世界各地のイベントで活躍しているアリ・アンド・フィラというデュオがいるのだが、彼らはカイロやピラミッドを舞台にしたPVをつくっている。ちょっとヘンな感じもするのだが、時代は変わったなあと思う。

  


 


それはさておきクルーウェラだ。その音楽に民族性が反映されているわけではないし、シカゴ育ちの彼女たちではあるが、本名で活動している彼女たちにとってパキスタンやイスラームというバックグラウンドはどのように意識されているのだろう。


ネット上で見たインタビューによると、パキスタンの父の家族のもとを最後に訪れたのはもう10年ほど前だが、パキスタン出身であることは自分たちの誇りであり、そのことはつねにアピールしたいと答えている。シカゴでもパキスタンから出てきた従姉妹といっしょに暮らしていて、ボリウッド産映画を観て、ふだんはパキスタン・フードをつくって食べているという。


一方で、パキスタンのネットフォーラムには、タリバーンが見たら卒倒しそうな格好でパフォーマンスをする彼女たちにたいして、ムスリムとして恥ずかしいという意見もあったり、それとは対照的に、これまでのわが国の女性のロールモデルを刷新してくれたという若いパキスタン女性からの意見もあった。


そのクルーウェラが今年の7月、毎年夏にベルギーで行われているトゥモローランドという世界最大級のミュージックフェスティバルに参加したのだが、そこでドキッとさせられるような光景を目にした。


このトゥモローランドというフェスは、3日間で30万人以上を動員し、10万枚のチケットが1秒で売り切れるという、とんでもないフェスティバルだ。規模も途方もなく大がかりで、たった3日間のために、広大な敷地にディズニーランドかと見紛う幻想的な舞台装置をつくりあげる。その記録は毎年編集されて30分ほどの動画として公開されているのだが、これを見ればそれがどんなに手の込んだものかがよくわかる。2014年度版も公開されている。


 

自分も若かったら行ってみたかったなあと思ったりもしたが、今だからそう感じるのであって、実際に若いときは、こういう明るさに反発したり、疎外感をおぼえていたりしたから、行きたいなどとはけっして思わなかっただろう。そう考えると、なんか切ない。ここには自分の生きられなかった明るさが眩しいほどにあふれだしている。もし自分が自分でなくて、しかも若かったら、こういうのに行ってみたかったなあという、なんだかややこしいノスタルジーを感じるのだった。


話を戻そう。このトゥモローランドでのクルーウェラのステージで、ドキッとさせられるような場面があったと書いたが、それがこれである。

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お姉さんのジョハーンが着ている黒いTシャツに「HUG ME, I'M PAKI」(ハグして、私パキよ)と書かれ、パキスタン国旗の三日月と星があしらわれている。一方で客席では、イスラエルの国旗柄の巨大な斧やハンマー型の風船が、歌っている彼女たちの前でふりまわされている。なんとも微妙な象徴的風景だ。もちろん、イスラエル風船をふりまわしている観客もファンなのだろうが、アゲアゲの盛り上がりの中でのこの対照は非現実的だった。おそらく動画の撮影者もそのコントラストを意識してカメラをまわしていたのかもしれない。


というのも、このステージが行われたのは7月の下旬だ。7月下旬といえば、イスラエル軍によるガザへの激しい空爆が行われていた時期だ。結果的に2000人以上のパレスチナ人の命が失われたこの空爆のさなかに、このイベントは行われていた。パキスタンでも、各地でイスラエルのガザ空爆に対する反対デモが行われていた。彼女たちがそのことを知らなかったとは思えない。

ネット上で見たかぎり、彼女たちは政治的な発言はいっさいしていない。「HUG ME, I'M PAKI」のTシャツを着た理由についてもなにも語っていない。だからその意図はわからないけれど、白人中心の(しかもこの手の音楽イベントにはイスラエル人がけっこうたくさん来る)このフェスティバルで、あえてこの時期に、このシャツを着た彼女になんの思いもなかったとは考えにくい。


PAKIとはもともとは宗主国だった英国人による一種の侮蔑を含んだ言葉だ。ちょうど日本人のことを欧米人がJAPというのと似たようなニュアンスがあるが、パキスタン人だけでなく周辺のインドやアフガニスタンやバングラデシュなどの南アジア系の人たちから、ときにアラブ人までをひとからげにした呼称でもあるらしい。要するに、欧米人の南アジア系の人たち全般に対する、偏見にもとづいた呼び方である。そのTシャツをハーフ・パキスタンである彼女があえて着て、その前でイスラエルの斧型風船で彼女らを鼓舞する観客。真夏の夜の夢のようなイベントならではの、皮肉なのか、冗談なのか、あるいはシリアスなのかわからない現実感の希薄な光景だった。


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経済学者ロレッタ・ナポレオーニのイスラーム国(IS)分析

ちょっと前になってしまったが、10月下旬にイタリア文化会館で経済学者のロレッタ・ナポレオーニの講演を聞いた。テーマは「テロ組織の資金調達 グローバル経済における新しい方法」というもので、IS(イスラーム国)を例にあげて分析する、というものだった。


ロレッタ・ナポレオーニは、欧州でグローバリズム批判の立場に立つイタリアの経済学者。主著の一つ、Rogue Economics (2008)(邦訳『ならず者の経済学ーー世界を大恐慌にひきずりこんだのは誰か』)は、ソ連が崩壊し、東西対立が終結した1990年代以降、民主化運動とともに世界中に広がっていった犯罪的でグレーな経済を、ならず者経済と名づけて分析した快著だ。


ならず者経済とは、たとえば東西対立の終わりとともに旧ソ連圏から西側に流入したおびただしい売春婦らを搾取する仕組み、違法漁業、コピー商品の濫造、企業レベルで行われる奴隷労働による搾取など。グローバライゼーションによってならず者経済が拡大し、「民主主義と奴隷制が互いに支え合って盛衰をともにする関係」が作られたと彼女はいう。一見、相反するように思える民主主義と奴隷制はじつは正の相関関係にあるというわけである。

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講演は、こうしたならず者経済の視点をふまえて、イスラム国の台頭の経済的背景を分析したものだった。ナポレオーニは、ISとアルカイーダやタリバーンなどのそれまでのイスラーム主義勢力とのいちばん大きなちがいは「国家運営をしている」点だという。他国からの資金提供を受けて、それを資金源としている武装組織とはちがい、国家を運営することで資金を自前でまかなう仕組みを作ったことだという。


それが可能になった背景には、冷戦以後の多極的無秩序があるという。現代の戦争は、かならず他国の資金提供のもとに行われる複雑な利害のからんだ代理戦争の体をなしている。冷戦終結以後、その構造はいっそう込み入ったものになり、とくにシリアについてはロシアや中国もからんでいることから西洋が介入しにくい状況がつくられた。そこにつけいって領土を確保したのがISであった。ナポレオーニによれば、冷戦以後にできあがった多極的無秩序という状況に、西洋世界がもはや対応できなくなった。逆にその空白にうまく適応したのがISだったというのだ。


むろん、そこで獲得したダムや油田や銀行は略奪したものなのだが、ISにとってもっとも大きな収入源は農業であるとナポレオーニはいう。領内の農民と契約して穀物の大部分を買い上げて、それをイラク政府に売っている。また、原油もシリアの部族たちと契約してシリア政府に売る仕組みを作っている。さらに武装勢力の武器を回収して、それを他の武装組織に転売をしている。収税の仕組みもある。このようにしてスポンサーをあてにすることなく、国家の運営によって資金をまかなえる仕組みを作ったところがISのユニークな点だという。それは土地の人びととのコンセンサスや商取引に基づく一種の「ジョイント・ベンチャー」のようなものだとナポレオーニはいう。


ISの国家予算はこの夏頃のCIAの概算では20億ドルほど。PLOが80-120億ドルあったのに比べるとたいした額ではないが、それでもGDP換算すれば隣国のヨルダンより高い。ただナポレオーニは、CIAの20億ドルという概算は低すぎ、少なくともその倍の40億-50億ドルはあるだろうという。あるインタビューの中で、彼女は、9.11以前でも、いわゆるテロ組織の資金の3分の1は「合法的な」ビジネスから生み出されていたというが、その割合はISの場合、さらに増しているという。なにをもって「合法」とするかはむずかしいところだが。


くりかえしになるが、米国型の新自由主義にもとづく新世界秩序が、現実の世界に対応できなくなっている。そのすきまに生まれてきたのがIS。グローバリズム批判の立場に立つナポレオーニは、ISをきわめて危険な現象だとしながらも、冷戦以後の多極的無秩序の中から彼らのような存在が生まれてきたことを理解することが必要だと述べる。


経済や世界秩序という立場からISをとらえた話は新鮮だったので、「ヨーロッパでは、あなたのような見方をする人はほかにも多くいるのですか?」と訊ねた。彼女は「けっして多くはありません。ポリティカル・コレクトネスの立場からすれば、ISはならずもの国家といわざるをえないですから。でも、国家運営によってそこにいる人たちが利益を得られるシステムとして、それが出てきたことについては冷静に見るべきでしょう。もっとも国家とはいっても、それは近代以前の17-18世紀頃の時代の国家に似ているかもしれない。コンセンサスを得た上で、国家運営によってそこにいる人たちが利益を得られる仕組みがあるならば、それは認めてもよいのでは。敵と戦うためには敵を知らなくてはならない。実態を見ようとしなければフランケンシュタインをつくってしまう。それはブッシュがやったことであり、それをくり返すべきではない」というようなことを答えてくれた(メモと記憶なので不正確かも。。)。


地元民とのコンセンサスといった点については疑問もあるし、あとで彼女の本を読んで、グローバリズム批判のためにイスラム金融や中国経済をある意味、理想化しすぎている傾向も目についた。ただ、今回の話はあくまで経済ベースのことなので、人権状況や独裁や専制についての言及がないのはしかたないのかもしれない。もうすぐ出るのか、出たばかりなのか、彼女の新刊 Loretta Napoleoni「The Islamist Phoenix: The Islamic State and the Redrawing of the Middle East」でそのあたりのことも、くわしく述べられているようなので、そのうち読んでみようと思う。

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