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ニッポン最後の百姓一揆「三里塚に生きる」を見て

事件とは、報じられたそのときに世間の注目度がピークとなる。けれども、じつは、われわれに深いことを教えてくれるのは、報じられなくなってからの顛末のほうだと思う。刑事事件であれば、加害者と犠牲者が、それぞれに重い枷を背負って、どのように生きていったのか。おそらく、そこにこそ学ぶべきことがある。


「三里塚」という言葉を耳にしたのは、小学生高学年のときだ。どういう経緯かよく覚えていないが、あるとき学校から帰ってくるとメガネをかけたお兄さんがいて、母にこの人に勉強を見てもらいなさいといわれた。母と仲の良かった近所の奥さんが、自分たちの子供に家庭教師をつけようということで、なにかの伝手で雇ったらしかった。中学受験がブームになりかけていたころだった。


それから大学生だというそのお兄さんに週に一回勉強を見てもらうことになった。髪を七三に分け、メガネをかけた、色白でほっそりとした物静かなお兄さんだった。なにを教えてもらっていたのか、まるで覚えていない。ところがお兄さんは3回か4回か来ただけで、突然来なくなってしまった。


それから何週間かして父宛に一通の手紙が届いた。投函場所は小菅の拘置所だった。拘置所の認め印が押された手紙を父が見せてくれたが、内容はよくわからなかった。ただ、どうやらお兄さんが三里塚闘争に参加していて逮捕されたらしいことはわかった。父が「起訴されたのか」と驚いていた。「起訴」の意味は知らなかったが、もうあのお兄さんが来ないのであろうことはわかった。どうでもいいことだが中学受験は失敗した。


三里塚について覚えていることはそれくらいだ。いまとなっては、この国の多くの人にとって三里塚闘争は過去の忘れられかけた記憶だろう。ある年齢以上のひとなら、それが1960年代、成田空港建設反対のために立ち上がった農民と左翼の闘争であったことを覚えているかもしれない。しかし、結局成田空港は開港し、今年で35年がたち、いまや国際空港としての地位を羽田に明け渡そうとしている。三里塚はもはやその苦さすら思い出せない過去の遠い出来事のように思われている。


だが、リムジンやスカイライナーで空港内に入っていくと気づかないが、いまなお、日本の滑走路と旅客ターミナルや駐機場をむすぶ誘導路にかこまれた畑では、老夫婦が旅客機の発着の轟音の下、農作業を行っている。空港敷地の外の団結小屋には老いた活動家が、いまも独りで暮らしている。一方で、闘いの当事者の農民の中には、当時のことをいっさい口にしない者たちもいる。

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半世紀前に止まった時間の中で、いまだに時計の針を進めることができないまま生きている人たちがいる。いまなお闘争を終えていない人たちも、黙して語らない人たちも、三里塚で人生の歯車を狂わされ、その取り残された時の中で生きている。「三里塚に生きる」は、そんな三里塚に生きる人たちの今を見つめたドキュメンタリー作品なのだが、監督・撮影をつとめた大津幸四郎氏もまた、取り残された時を生きる一人なのかもしれない。というのも、約半世紀前、若き大津氏は、小川紳介監督の「日本解放戦線 三里塚の夏」(1968)でカメラマンをつとめていたからだ。

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「三里塚に生きる」は重い映画だ。とくに三里塚のことをほとんど知らない自分にとっては、その重さは比類なかった。ドキュメンタリーなので、現地で当時の運動に参加した農民たちへのインタビューがメインとなるが、多くの人たちの口ぶりから、それがいまだに過去になりきっていないことが伝わってくる。実際、監督の大津氏が撮影に先立って、1968年に制作された「三里塚の夏」のDVDをもって現地を半世紀ぶりに訪ねたときも、歓迎してくれるひとはほとんどいなかったという。どうして、いまさらそんなことを聞くのか。それでも大津監督たちの辛抱強い取材の中で、現在の三里塚、そしてその現在に深く入り込んでいる止まった時間や風景が浮かび上がってくる。


ただ、この映画を観てわかったのは、三里塚は新左翼の闘いだといわれていたけれど、じつは農民の闘いだったのだということだった。1960年代にはまだ読み書きのできない老人もいた。そんな農民たちが高度成長に勢いづいた国家権力に対して立ち上がったことの意味の大きさに圧倒される。試写会後のシンポジウムで、三里塚は「戦後の日本が近代化のために農業を切り捨てていく分かれ道だった」という発言があった。映画のコピーに「ニッポン最後の百姓一揆」とあったが、まさにそのとおりだった。


大津監督がどうして今になって半世紀前にかかわった三里塚をもういちど撮ろうと思ったのか、そのはっきりとした真意はわからない。ひょっとしたら、この映画を撮ることで、彼の中で止まっていた時間を進めようとしていたのかもしれない。しかし、この作品は三里塚に関わった個々の人たちの時間だけでなく、この日本の中で止まってしまっている時間に気づかせてくれるものなのではないか。左翼闘争や百姓一揆という言葉はちょっと前までは過去の遺物のように響いていた。だが、辺野古や原発のことなど考えると、じつはそうではないのではという気がしてくる。時を経て、のちの世代へと受けわたされなくてはならないメッセージが、この重く、静かな作品の中に確実に息づいている。


11月22日から渋谷のユーロスペースで「三里塚に生きる」の上映が始まったので、そろそろ感想を書こうと思っていたところ、まさに今日(11月28日)監督・撮影の大津幸四郎氏の訃報が飛び込んできた。80歳だった。試写会後のシンポジウム席上の大津氏はたいへん疲れているように見えたが、それでもたどたどしいながらも、楽しげに語る氏のふっきれたような姿が印象的だった。この作品を完成したことで、きっと彼の中の時は進んで、成就したのだと信じたい。つつしんで大津幸四郎監督のご冥福をお祈りいたします。

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『三里塚に生きる』(2014)
監督・撮影:大津幸四郎、監督・編集:代島治彦、音楽:大友良英、朗読:吉行和子 井浦新。2014年11月より渋谷ユーロスペースにてロードショー! 全国順次公開。

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