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2015年3月

西牟田靖『本で床は抜けるのか』を読んだ

ノンフィクション作家・西牟田靖さんの『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社)は、タイトル通り、床が抜けるほどの大量の蔵書を持つ人たちが、どうやってそれらの膨大な本と生活との折り合いをつけていったかを、丹念な取材によってレポートしたルポルタージュ作品だ。

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蔵書家の苦労を扱った本ならば、これまでにもあったけれど、その多くは技術的な工夫だったり、珍奇なエピソードだったり、偏執狂的な本マニアのキャラクターにスポットが当てられていたりするものが多かったように思う。でも、西牟田さんのこの本は、本というものを人生の中に抱え込んで生きざるをえない、人間の業のようなものをつよく感じさせるという点で、読んでいてなんどもしみじみするものを感じた。


なにより、著者の西牟田さん自身が、本を抱え込んでしまったことがきっかけとなって大きな人生の変転に直面することになった顛末が明かされるにいたって、本というのはなんなのだろう、とあらためて考えさせられた。「本を読みなさい」「本を読まないとろくな人間になれませんよ」みたいなことを学校教育でいわれつつ、本を読みつづけたあとに待っているこうした運命を知るとなんともいえない気持ちになる。


ここには、死後、遺族が途方に暮れるような蔵書を遺した井上ひさしさんや草森紳一さん、大量の蔵書をもちながらも病気がきっかけで、大半の本を処分したイラストレーターで作家の内澤旬子さん、難病でからだの負担を軽減するために電子化もふくめて、徹底的な本の管理化を図った大野更紗さん、自分の脳内を階層化したような構造を持つ円筒形の書庫をつくった経済学者の松原隆一郎さんら、本をめぐる業によくもわるくも人生を左右された人たちの話が展開されている。じつはぼく自身も西牟田さんからインタビューを受け、父親の大量の本を処分したときの話をさせていただいた。その話も本書の中に収められている(「天文学マニアだった父親の蔵書を捨てる」)。


『本で床は抜けるのか』というタイトルを問いかけだととるならば、まちがいなく「抜ける」と思う。ある臨界量を超えた本は、現実の物理的な床ではないにしても(そういう例も本書には報告されているが)、かならずなにかの床を突き破る。ここに登場する人たちもみな、本に人生の床を突き破られてしまった人たちだ。床が抜けること自体はいいことでも悪いことでもないが、本は床を抜かすために読むものであるのはたしかだ。そうでない読書なんて意味がない、とまではいわないが、それだけ本を読んでいれば床が抜けても持ち直せるような力はきっとついているはずだ。たぶん。

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