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河江肖剰「ピラミッド・タウンを発掘する」が発刊!

ついに、というか、やっと出た。エジプト考古学者・河江肖剰(かわえゆきのり)さんの最初の本『ピラミッド・タウンを発掘する』(新潮社)である。ピラミッドについては、日本でもたくさん本が出ているけれど、その多くはこれまでの研究や学説を要約して紹介したり、仮説を紹介したりするものがほとんどだった。実際にピラミッドでのリアルタイムな調査や研究を紹介したもので、日本人の手になるものは、たぶんこの本が初めてではないか。

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「世界ふしぎ発見」など、いまやテレビでもおなじみの河江さんだが、だからといって、この本は、すんなりサクサク読めて、ピラミッドのことがわかった気になれるという類の本ではない。むしろ、この本の中に出てくる再現された古代エジプトパンのように、「中身がつまって重量感があるが、べたついておらず・・・風味豊かで滋味に富んでいる」というにふさわしい本格的な内容である。ソーメンのようにつるつるとはいかないが、しっかり噛めば「ことのほか美味しい」のは請け合いである。こんないい方をするのははなはだ僭越だが、よくぞここまで、と古い友人として感涙を禁じえない(;´Θ`)ノ


この本を読みながら最初に思い出したのは、カイロに暮らしていた頃、河江さんとスフィンクスのずっと南にある岩山に登ったときのことだ。たしかピラミッドの写真を撮るのにいい場所はないかと二人で歩き回っていて、たまたまたどりついたのがその岩の丘だった。眺めはすばらしく、すごい場所を見つけてしまったと喜んだ。1990年代の半ばだったからもう20年くらい前だ。流れる雲の影のせいで暗くなったり、明るくなったりするギザ台地の風景を、丘の上からしばらく眺めていた。けれども、そのときは彼もずっとあとになって、ふたたびこの丘に登ることになるとは思っていなかったはずだ。


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それから数年後、河江さんはカイロ・アメリカン大学で本格的にエジプト学を学びはじめる。学部を卒業後、縁あって彼はピラミッド研究の最前線を走るマーク・レーナー博士の調査隊に入ることになる。そのレーナー博士が、あるとき彼をあの丘に連れていった。前にぼくとふたりで登ってからおよそ10年後のことだ。


10年前偶然たどりついたこの丘は、ゲベル・ギブリ(南の丘)と呼ばれていて、ギザのピラミッドがつくられた時代においても重要な役割を果たしていたのだった。この丘の下に広がる墓地の北西に、レーナー隊が長年調査を続けてきたピラミッド・タウン、すなわちピラミッドをつくった人びとが暮らした町の跡が広がっていた。レーナー博士は、その風景をしめしながら、ピラミッド建造当時のピラミッド・タウンのことについて語ってくれたという。こうしてレーナー博士にギザ台地を案内してもらう中で、河江さんは長年見慣れていたつもりだったギザの風景が、博士の目をとおしてみると、まったくちがって見えることに衝撃を受けたという。


それからさらに10年、ピラミッド・タウンでの発掘調査をつづける中で、河江さんの目に映るギザの風景もまた大きく変化した。ふつうなら見落としてしまいそうなかすかな特徴や違和感にたいする感覚を研ぎ澄ますことで、ピラミッドが造られた当時、そこで何が起こったのかを推理し、わずかな手がかりをあつめて、その意味を探り、当時を再現する。それは古代エジプトにつきものの宝探し的なイメージとは対照的で、多くの専門家たちの協働作業によって行われる緻密な仕事だ。そこから見えてくるものは宝探しよりも、ずっと人間くさく、生々しい当時の生活の様子だ。


本の後半ではそんなピラミッド・タウンでの発掘の様子や、そこから想像されたピラミッド建造当時の町の一日などが再現されている。個人的にはそここそが、ほかではけっして読めないこの本の真骨頂だと思う。しかし、ピラミッドについてのもっと一般的な話、たとえば内部構造や、ピラミッドがつくられた理由などについても、通り一遍ではない深い考察がなされている。


本書の中でとくに強調されているのは考古学における「記録」の重要さだ。「記録」などというと、当たり前のような気がするかもしれないが、意外なことにエジプト考古学の歴史においては、厳密な意味での記録はむしろないがしろにされてきたのが現実だという。それはエジプトでの発掘というと、どうしてもツタンカーメンの秘宝に象徴されるような宝探し的な面に期待が集まってきたからだ。このため他国においておこなわれてきたような地道に記録を取って、現場から出たものはどんなに小さなものでも手がかりとして扱うということがなされてこなかった。それどころか「お宝」を求めるあまり、小さなもの、些細なものはゴミとして処理されてしまうことも少なくなかったという。


そのいい例がスフィンクスだ。スフィンクスというと謎の象徴とされているが、じつは1920年代に砂に埋もれていたスフィンクスの発掘が行われたとき、スフィンクスのまわりにあった新王国時代の遺構のほとんどが発掘のさなかに破壊されてしまったという。スフィンクスそのものに注目するあまり、そのまわりにあったツタンカーメンのレストハウスや、アクエンアテンの別荘の階段も顧みられることなく破壊されてしまい、今日では写真以外の記録はいっさい残っていない。それによってスフィンクスを深く知るための手がかりとなるはずの計り知れない情報が失われてしまった。「スフィンクスを謎にしてしまったのは考古学者なんです」と河江さんはいう。


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そのほかにもニューエイジ考古学や、フランスの建築家が唱えた「新説」である内部螺旋傾斜路説などについても真正面から実証的な検討を加え、そうした「仮説」を支えている前提の誤りなどが率直に指摘されている。ピラミッドについての本ではあるのだが、考古学の歴史そのものが、時代を反映しており、その時代の思考的枠組みが考古学的解釈に影響を与えてきたことなども説明されている。


そしてなにより、現代のピラミッド研究というか考古学というのは、インディ・ジョーンズのような単独のヒーローによる「大発見」や「新説」ではなく、動物学や植物学、地質学の専門家、さらに工学者やコンピューター技術者、はたまた数学者までもがタッグを組んで行うチームプロジェクトであるということだ。ずいぶん前からそうなっているのだが、メディアの取り上げ方のせいもあって、なかなかそういう認識が一般には広まらない。この本を読むと、そうした考古学の最前線の様子がよくわかるのも楽しい。

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