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岩手県立美術館の松田松雄展へ行った

盛岡の岩手県立美術館で開催されている松田松雄展を見に行ってきた。3年前、父の遺品の中に、この画家のパステル画があったのをきっかけにその存在を知った画家で、これまでにもなんどかその作品について書いたことがある(「父の遺品の絵」「澄みわたった絶望」)。


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松田松雄の作品にふれたときのインパクトは圧倒的だった。黒い布をまとった人びとが身を寄せあい、ある者はうなだれ、ある者は子どもを抱え、ある者は身を屈してうずくまっている。いずれも顔は描かれず、モノトーンの独特の質感で描かれている。一見すると、暗く、重苦しい印象を受けるのだが、その奥に人間の存在の本質を見とおすような深い、すみとおった、しずけさがあり、すっかり魅入られてしまった。今回は没後初めての大回顧展ということで、少し遠かったが足を運んだ。


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昭和に活躍した洋画家というと、たいてい洋画の技法を使って日本の風物を描くといった折衷的なものか、そうでなければモダンアートやデザインにいってしまうとか、いずれにしても西洋絵画の影響をいやおうなく感じさせる作品が多い。


けれども松田松雄(1937-2001)はちがった。陸前高田出身のこの画家は、生涯のほとんどを東北で過ごした。にもかかわらず、そこにはローカルなものを思わせる要素もなければ、西洋絵画のまねごと的なものからも、はるかに遠い地点にいるように見える。実際、彼は絵は独学だった。その作風は時代によって、まるで別人になったかのようにダイナミックに変化する。


おそらく松田松雄の代表作は、冒頭でふれた黒い服を着た人びとを描いた一連のシリーズだ。制作されたのは1970年代後半から80年頃にかけてである。よけいなものをいっさいとりのぞいて、人間のおかれている本源的なありようを、ここまでシンプルに、しかも普遍的に表現した作品を知らない。砂漠の民を描いた絵のようにも見えるが、どこか特定の場所を描いたわけではない。


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広い館内の部屋の壁を巨大なキャンバスに描かれた「風景」シリーズがぐるりとかこむさまは圧巻だった。これらの作品には「風景(民ーA)」とか「風景(母子)」「風景(家族)」といった、いずれもきわめてシンプルなタイトルがつけられている。そこに嘆きや悲しみ、絶望やいたわりを読みとることはできるけれど、画家自身はそうしたエモーショナルなものを表現したかったわけではなく、人間がこうしてそこにいる、というその普遍性・実存性を表現したかったように思う。それは時代や場所が変わっても、けっして変わることのない「風景」なのだ。


展覧会では画家の若い頃から晩年にいたる作品が、その作風の変化を追えるよう順を追って配置されていた。初期のあざやかな色をもった幻想的な世界から、白い背景に黒い服をまとった人びとが描かれたモノトーンの作品、そして人物がいなくなり、形体がばらばらの黒い断片に解体されていった抽象世界、その黒い断片が白い線で塗り込められたもの、そこからふたたび淡い形体が生まれてくる禅画を思わせる晩年の作品。ひとつの表現が役割を追えると、あたかも蛇が皮を脱ぎ捨てるように、そこから脱して次の表現へとうつる。過去は模倣しない。そこにこの画家の真摯さを感じる。


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前にも書いたが、40年近く前に描かれたこれらの作品が、3.11やアラブの春、シリア難民など、いま世界で起きている重い出来事の原風景のように見えてくる。文化的な背景がいかに異なっていようと、これらの絵にはそのちがいをこえて、深く心に訴えかけてくる圧倒的な普遍性がある。欧州や中東やアジア諸国などでも展覧会ができればいいのにと思う。


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ミューゼアムショップでは、ネットで偶然知った松田松雄の絵にインスピレーションを受けてつくられたというカナダのCFCFというアーティストによるLPレコード(!)が売られていた。エレクトロニカ&アンビエント系でネットで試聴もできる


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同じくミューゼアムショップにあった松田松雄の随筆集『四角との対話』(回無工房)という本を買う。読みはじめたばかりだが、最初の方にあったこんな一節に目がとまった。


 気分がのるとかならないとか、夜中に突然のように絵を描きだすとか、狂人に近い者でないといいものが描けないとか、ということは、 ほとんど芸術家のうそのように思われた。私は、絵がうまくなることを急ぐよりも、下手でも地道な勉強と、しっかりした生活の習慣を身につけることの方が、作家生活には大切であることを知った。・・・
  そして、この世界で優れたプロになれる人と、なれないで終わる人との差は、その連続する苦痛の時間に耐えられるかどうか、 常に安定した精神を保てるかどうか、で決まるように思えた。 自分の作品と対決さえしていれば、いずれ作品の方が根負けして作者に語りかけてくれるようになる。・・・
  私は今でも、画家になるための勉強とは、ただ日常的に自分自身と直面することに耐えられる、ごくあたりまえの精神をもつことだと思っている。

(松田松雄『四角との対話』 p24)


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