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カフカを読むとアタマがよくなる !?

インターネットによって、ひとは世界のさまざまな情報に自由にふれられるようになった。まちがいではない。しかし、現実に即していうならば、ひとは、インターネットによって、自分の好みの情報に特化してふれることが可能になったというほうが、より正確だろう。


自分の興味のある情報にアクセスし、共通の興味のあるひとたちをつなげる。それがインターネットの大きな力だ。一方で、それは、自分にとって関心のない世界や情報をスルーしたり、排除したりすることを可能にした。ネットの中では、しっくりする情報、しっくりする考え方、しっくりくる人たちとだけつながることができる。


人間の脳はしっくり来るものを好む。しっくり来る人たちとつながっていれば、承認欲求も満たされるし、居心地もいい。そこに居つづけることによって、自分の見方はますます強化されていく。逆に、居心地の良さをおびやかす情報には、不快感や抵抗感をおぼえる。そこで脳は、しっくり来ないものは「正しくない」「重要でない」と見なし、意図的に見ないようにする。そのうちに、それらはほんとうに目に入らなくなってしまう。


そうなると、ひとは見たいものしか見なくなる。見たいものしか見えないと障害物がなくなるので、本人には世界が広がったように感じられる。じつは視野が狭くなって、現実が見えなくなっているのに、そのことに気づかない。


危機が迫っていようとも、しっくり来る世界を守るために、壁を作ってその外を見ようとしない。そのような壁を、かつて養老孟司さんは「バカの壁」とよんだが、インターネットが広まったことによって、自分もふくめて、だれもが、ますますそうした状況に陥りやすくなっている。


じつのところ、その壁の中で一生、生きていけるのなら、それはそれで本人は幸福かもしれない。けれども、実際にはしっくり来ないもの、不快感や抵抗感をもたらす現実が、日々、刻々と起こっている。見て見ぬふりをしていても、ときに不快な現実はいやおうなく迫ってきて、自分たちの生命や生活をおびやかす。「バカの壁」はなんの守りにもならないどころか、ひとをとりかえしのつかない危険にさらしかねない。


作家のマーガレット・ヘファーナンは福島の原子力発電所の事故のときに起きたのが、このような深刻な事態に対する「意図的な無視や無関心」だったと著書『見て見ぬふりをする社会』(Willful Blindness)の中で書いている。現状の居心地の良さを保つためには、それをおびやかす事実には知らんぷりする。たとえ、そのために身を滅ぼすことになるとしても、秩序を乱しかねない不快なもの、抵抗のあるものは、自動反応的にあらかじめ視界から取り除かれる。


人間にとっては、自分がなにを見ているかよりも、なにを見ていないかに気づくことのほうが、ずっとむずかしい。自分が知らず知らずのうちに見落としていたり、スルーしたりしているものはなんなのか、それに気づくことが脳の新しい回路をつくることになる。


では、どうすればいいのか? ヘファーナンは「意図的な無視」のパターンに気づく手がかりを与えてくれるものとして、カフカの作品を扱ったある実験心理学の論文を紹介している(Connections from Kafka: exposure to meaning threats improves implicit learning of an artificial grammar. Proulx T1, Heine SJ. 2009)


ネットの記事(「カフカを読むと、あるいはデビッド・リンチの映画を見ると頭がよくなる」Reading a book by Franz Kafka –– or watching a film by director David Lynch –– could make you smarter)によると、ブリティッシュ・コロンビア大学の二人の教授が、2つのグループにカフカの『村の医者』という短編小説を読ませたという。


『村の医者』は邦訳にして10ページ足らずの小品だが、カフカの短編の中でも、とりわけ、とらえどころのない奇妙な作品だ。村の医者が激しい吹雪の中、10マイル離れた村の重病人を診察にいく話で、始まり方はノーマルなのだが、読んでいくと、どんどんわけがわからなくなっていき、なんどもツッコミをいれたくなるのである。

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実験では、この小説を一方のグループにはそのまま読ませ、もう1つのグループには、意味や辻褄が合うようにテキストをわかりやすく翻案して書き直したものを読ませた。それから、それぞれのグループに、文字列の中に隠されたある規則性(人工文法)のあるパターンを探させる、という実験を行った。人工文法学習というのは認知心理学の方法のようだ。要するに、テキストの文字列の中から規則性を探させるということらしい(といっても、よくわかっていない。。)


結果はというと、翻案したテキストを読んだグループよりも、オリジナルのテキストを読んだグループの方が、より多くの規則性を見出したという。


これはなにを意味しているのか? どうやら、意味がつかみやすいように翻案されたカフカのテキストでは、人は慣れ親しんだ認識のパターンの範囲内でしか、頭を働かせようとしないということらしい。


けれども、オリジナル・テキストを読んだ者たちは、その矛盾をはらんだシュールな内容を前にして、自分たちのなじみの理解や解釈が通用しないことに気づいて、新しい認識のパターンを作りあげようとした。それが、より多くの規則性の発見につながった、ということのようだ。

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予測不可能な状況下におかれると、それをなんとか理解しようとして脳は無意識に過去とはちがうパターンで働き始める。同様な効果はデビッド・リンチの映画「ブルー・ベルベット」についてもいえるという。観たことがあるひとならわかるだろうが、あれもふつうの映画だと思って見始めると、とんでもないことになる。。。


正直なところ、いまひとつよくわからない実験なのだが、「予測可能で」「居心地のいい」「わかりやすさ」の中にいると、脳はそのパターンを守る方向でしか働かず、結果的に見たいものしか見えないということになる、ということのようだ。


「心地よさ」や「直観」をだいじにする、「好きなことをする」というと、一般にはすばらしいことのようにいわれている。しかし、好きなことをつづけるには、心地よさばかりではなく、抵抗やモヤモヤがともなうのも事実である。居心地の良さを優先して、モヤモヤに向き合わないと、結局、「見たいものしか見ない」「見たくないものは見えない」という回路の強化でしかなくなる可能性もある。


モヤモヤやイライラや抵抗の中にこそ、見えていないものに気がつくきっかけがあるのではないか。だとすれば、コンゴ河を旅しながらカフカを読んだりすれば、イライラとモヤモヤで脳はいやおうなく活性化する、かもしれない。。。


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コメント

ちょうどSARSが流行したころに、よくある日本嫌いで中国どっぷりの学者さんが中国で暮らしていたので、「SARSに気をつけてくださいね」とメールしたら「そんな事実はない、日本政府の陰謀だ」云々との返信でびっくりしたことを思い出しました。中国でだってインターネットは使い放題だったのに・・・もちろんすぐ後に中国でも事実が公表されだしたのですが。自分の見たい事実だけを見るというのは、怖いことです。

投稿: かおり | 2016年3月30日 (水) 20時05分

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