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パレスチナ映画「オマールの壁」を見た

パレスチナ映画「オマールの壁」を見た。原題は「オマール」(主人公のパレスチナ人青年の名前)なのだが、日本では「オマールの壁」というタイトルで公開された。外国映画の日本語タイトルには(「愛と悲しみのなんとか」とか)がっくりくるようなものが少なくないが、この作品については、見終わって、とても気の利いたタイトルをつけたものだと感心した。

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ネタバレになるので内容にはふれないが、壁で分断された現代のパレスチナが舞台となっている、ということから、政治的な意図や、告発的要素がつよい映画なのかなと思っていた。


たしかに、そういう見方はできる。実際、動画サイトにひんぱんにアップされるイスラエル兵によるパレスチナ人への過剰暴力や虐待の映像を重ね合わさずに、この映画を観ることは困難かもしれない。けれども、その点からだけ、つまり現在のパレスチナの現状報告という視点ばかりが強調されすぎると、この作品の魅力が平板になってしまう気もした。


なにより、この作品は映画として、とてもていねいにつくられている。アクション、それにサスペンスタッチのエンターテインメント性もある。パレスチナという時代と場所に限定されない普遍的なテーマもきっちり描かれている。それでいながら、ストーリー展開に予定調和的ながっくり感がない。


「壁」は人の移動を物理的に妨げるものであるとともに、人間同士の「信頼」にも分断をもたらしていく。壁によって、オマールやその周囲の人たちの内面にも壁が築かれ、それは容易に乗り越えられないものになっていく。その過程がこまやかに描かれている。オマールの壁という日本語タイトルが気が利いていると感じたのは、そのせいだ。


この作品はイスラエル当局の許可をとって撮影されているのだろうか。だとしら、イスラエル兵を絵に描いたような悪役として表現することに制限が入ることはないのだろうか(あとでパンフを見たら、すべてパレスチナ領内で撮影されたらしい。壁を登ることについては許可を取ったという)。


この映画だけではなく、イスラエル兵はしばしは機械のように冷酷で無慈悲な悪役としてカリカチュアされる。それはイスラーム武装勢力が暴力性に支配された野蛮な輩として描かれがちなのと同じだ。そういう描かれ方をされることにイスラエル当局が干渉してくることはなかったのだろうか。


「表現の自由」というのは悩ましい表現だ。中国や北朝鮮のように表現に対してあからさまに規制をかける体制もある。しかし、規制がないからといって自由だというわけではない。表現の自由が認められている、とは、その表現が体制に及ぼす影響が取るに足らないと見なされているからでもある。「文化人」がなにをいおうと、体制にほとんど影響はないという状況下での「表現の自由」をけっして喜ばしいとはいえない。むしろ、それはあからさまな表現の規制以上に厄介かもしれない。


上映後、主演のオマール役の俳優アダムさんが舞台挨拶に登場した。場内(とくに女子)がどよめいた。映画では坊主頭だったが、いまはウェーブのかかった黒髪で、しかもハンサム。スタイルもいい。

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席からの写真撮影はかまいません、というアナウンスがあるや、客席のあちこちから携帯やカメラがいっせいにとびだした。話しだしたら声もいい。受け答えもスマート。前の列の女性はずっと携帯をかまえたままだ。液晶画面に彫りの深い顔がアップになっている。何枚撮っているんだ。うーん、世の中はやっぱり不公平だ。。。

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