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絶望したときには絶望読書を

頭木弘樹さんの『絶望読書』(飛鳥新社)が出た。頭木さんは『絶望名人カフカの人生論』『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』(ともに飛鳥新社)と、カフカと絶望をキーワードにした著作を発表されてきた。このたびの『絶望読書』は、頭木さんの絶望哲学?の濃密なエッセンスを、みずからの絶望体験をまじえつつ、わかりやすく解説した、とても心にしみいる本だ。

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絶望読書といっても、読んだら絶望する本という意味ではない。絶望しているときに、自分の気持ちに寄りそってくれる本とはどういうものか、という意味だ。もちろん、絶望の奈落に落ちたばかりのときには本など読む気になれないかもしれない。しかし、少し落ち着いて、目をあげると、どんよりした暗い雲が重く、低く、行く手にどこまでも垂れこめているようなとき、ぼくたちは本を手に取りたくなるかもしれない。でも、それはどんな本なのか。


よくあるのは「あきらめなければ夢は叶う」とか「考え方を変えれば幸せになれる」といった前向きポジティブ本だったり、困難にめげることなく目的を達成した人の話とか、そうでなければドタバタコメディだったりするかもしれない。あるいは、本ではないが「アフリカで飢えている人たちにくらべれば」とか「シリアの難民たちにくらべれば」というふうに極端な例とくらべて相対的に「自分の絶望なんてたいしたことない・・・」と考えようとしたりする。


それで元気になれるひともいるかもしれないが、そうでないひともいる。むしろ、そういう本やアドバイスによって、ますます気持ちが暗く沈んでいくこともある。そうした本やアドバイスには、暗く落ち込んでいるのはよくないこと、ひとは幸福であるべき、明るくなければ人生に意味はない、というメッセージがこめられている。つまり、いま落ち込んでいる自分を望ましくないものとして否定し、そこから一刻も早く回復することを促そうとするからだ。


でも、それは絶望のさなかにあるひとにとっては酷だ。いま絶望している人に幸福のすばらしさを説いても、苦しくなるだけだ。では、どういう本がいいのか。頭木さんは、そんなとき「やはり絶望した気持ちに寄り添ってくれるような本」がいいと書く。暗い闇の中に長くいたひとを、いきなりまぶしい光の下に連れ出すようなものではなく、その絶望にしんぼうづよく寄りそってくれるような本だ。裁いたり、道を指ししめしたり、笑わせたりするのではなく、絶望の中にいることを否定も肯定もせず、ただそこにいることをゆるしてくれるような本だ。それが絶望読書だ。


頭木さんは大学生のとき難病になって、13年にわたる闘病と手術によって、なんとか普通の生活が送れるようになった。長い闘病の間、自分が「人生の外」にいるかんじだったという。これが会社とかキャリアを積む中での一時的な挫折だったら、あるいはポジティブ本に書いてあるようなことで気持ちをきりかえて、がんばろうという気になれるかもしれない。そのひとはただ後れをとっただけだから。前にもひとはいるが、後ろには「自分よりも不幸な人」や「シリアの難民」もいる。


しかし「人生の外」へ出てしまったと感じているときには、そういう考え方はできない。そこはコース外であり、前も後ろもない。あらゆることから切れていて、どちらに歩いても、どこにもつうじていない。そこにいるのは自分だけ。それはひたすらに孤独な世界だ。しかも、いつまでつづくかわからない。そういう絶望とは無縁な人生もあるかもしれないが、なにかの偶然で、そんな人生を生きなくてはならなくなることも少なくない。そういうひとたちのために絶望読書が必要だ、と頭木さんはいう。それは気晴らしや娯楽、あるいは教養のための読書とはちがう。溺れているひとが空気を必要とするように、砂漠で渇いたひとが水を必要とするように、生きるうえでなくてはならないものを与えてくれるような読書なのだ。


この本の中では、カフカはもとより、ドストエフスキー、太宰治らの小説のほかに、桂米朝の落語、山田太一のテレビドラマ、金子みすずの詩など、さまざまな物語がとりあげられている。そこに付せられた頭木さんの解説がとてもいい。「落語の明るさ」とは「太陽のような、闇を追いはらう明るさではなく、月のように夜の暗さと共にある明るさ」だという。とても美しい表現だし、ああ、そうかとおもう。なにが「ああ、そうか」は、ぜひ本書を読んでほしい。


現生人類のことを「ホモ・サピエンス」(知恵のある人)というが、知恵があるがゆえに、ひとは現実と言葉やイメージの世界を混同して、しばしば現実を受け入れられなくなって絶望する。ひとは絶望するもの(ホモ・ディスペラトゥス?)といってもいいかもしれない。でも、そんなとき、すぐ答えを見つけなくてはとか、いそいでここから出なくてはと考えるのではなく、時間をかけて、あせらず、しっかり絶望とつきあったほうが結果的に生きる力につながることがある。その伴侶となってくれるのが絶望読書だ。


話はそれるが、その頭木さんが選りすぐった絶望本を集めた「絶望読書フェア」が青山ブックセンター本店で開催されている。選ばれている31冊の本の中には、拙著『たまたまザイール、またコンゴ』も選ばれていた。ある方が写真を撮影して送ってくださった。

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コメント

香菜子と言います。家族の病気(精神疾患・精神障害)や自分の人間関係トラブルなどに悩んでいて絶望している時間が続いています。精神疾患・精神障害の家族のお世話で心身ともに疲労しているときに、少しだけカフェで読書することが息抜きになっています。自分勝手で自意識過剰かもしれませんが、わたしが世の中で一番不幸じゃないかしら、なんて思うこともあります。絶望読書、読んでみようと思います。香菜子

投稿: 香菜子 | 2016年8月12日 (金) 18時18分

>香菜子さま
コメントありがとうございます。精神疾患・精神障害の家族のお世話、心身ともにお疲れのことと思います。自分勝手で自意識過剰でもちっともかまわないと思いますよ。自分が世の中で一番不幸と感じてしまうくらい孤独なのでしょう。「絶望読書」ぜひお読みになってみてください。

投稿: 田中真知 | 2016年8月12日 (金) 22時06分

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