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なにを見ても、なにかを思い出せない。。

『なにを見てもなにかを思い出す』というヘミングウェイの短編がある。小説の内容よりそのタイトルにひかれていた時期がある。初めて会う人が、知人のイメージに重なったり、初めて来た場所が過去に見たことある風景を思い起こさせたりということが、いまから10年くらい前までよくあった。


ある程度の長さ、人生を生きてくると、たまった知識や経験が、おのずと目の前の風景に重なるのは自然なことかもしれない。それを人生の豊かさという言葉で表したりもするのだろうが、そのときは豊かさよりも、むしろなにかを思い出してしまうことで、自分が過去の記憶や経験に閉じこめられているような息苦しさを感じていた。


ところが、最近はそういうことが、あまりなくなった。なにを見ても、あまりなにかを思い出さなくなった。過去の記憶を参照して目の前の風景や人を見るということが前ほどなくなってきている。だから、なんどか会っているひとにも、つい「はじめまして」といってしまったりする。。。


たんに忘れっぽくなったせいもあるだろうが、それにくわえて、人生の残り時間が意識されるようになってきたこともあるかもしれない。目の前に起きている現実ーー人との出会いだったり、風景だったり、自分じしんだったりーーが、よくもわるくも、これまでいちども起きたこともなければ、もう二度とくりかえすことのない一回かぎりのものなのだ、という事実にいまさらながら気づく。そこに過去の経験がレイヤーのように重なって感じられることはある。けれども、そのレイヤーに現在に侵入する力はもはやない。過去は手の届かないところに不安げに漂っている。


この「時」が「二度とくりかえすことのない一回かぎりのもの」だとしたら、未来は予想できないし、先も見えない。先が見えないと、ひとは不安になったり心配になったりする。でも逆に、先が見えてしまっても、ひとは不安になったり絶望したりするものだ。『なにを見てもなにかを思い出す』を書いたヘミングウェイも結局自死を選んだ。昨今のテロや紛争も「先が見えないから」というより、「見えすぎてしまった先」をこわしたい衝動に由来しているようにも思う。


見方によっては「先が見えない」とは一回かぎりの新しさの中を生きていることであり、それは先の見えてしまった絶望にくらべると、希望にもなりうるのかもしれない。そのことを感じたのは、10年くらい前、認知症になった母を見ていたときだった。


母は5年にわたって認知症で入院していた。認知症の症状はひとによってさまざまだが、母は認知症になる前から、不幸な結婚生活の記憶のせいで、被害者意識を抱えるとともに、それを十分に受けとめられなかったぼくにたいして愛憎入りまじった激しい攻撃性を見せてきた。それが亡くなる前の一年、認知症の進行にともない過去の記憶がうすれていくとともに、母は憎悪や苦悩から解放されていった。それは認知症の悪化による脳の萎縮のせいであったのだが、ぼくにはむしろ数十年ぶりに母の意識の中に光が射してきたようにすら感じられた。


記憶を失うことで、母はぼくをだれかとまちがえることもあった。それでも、そこにぼくがいることを母は心から喜んでくれた。話をしているさなかも母の記憶は泡のように、たちまち消えてしまうのだけれど、そのたびにぼくは新しい息子として、母の前に出現していたのだと思う。そこでぼくは母と何十年ぶりかに「まとも」な会話をした。こうなる前にそういう会話をしたかったとも思ったが、それでも最後の数ヵ月、母の表情が目に見えて安らかになってきたのは、ありがたいことだった。


ありがたい、といえば、「ありがとう」という言葉の反対は「くたばっちまえ」でも「呪われよ」でもない。「ありがとう」の反対は「あたりまえ」なのだという。なぜなら「有り難う」とはめったに起きることのない例外への賛美だからだ。坊さんのしそうな話だが、そのとおりで坊さんのした話だ。


一方、「あたりまえ」とは「なにを見てもなにかを思い出す」ことであり、「日の下には新しいものはない」ことであり、「先が見えてしまう」ことだ。知識や経験や記憶は、えてしてひとをあたりまえの世界に追いやり、その中に閉じこめてしまう。そのあたりまえが快適ならいいが、そこが苦悩に満ちているとしたら、そこから出たい。自分で出られなければ忘却にたよるしかない。できれば建設的に忘却したいものだが思うようにはいかず、なんどか会った方にも、つい「はじめまして」といってしまうかもしれないが、どうかおゆるしください。。あひる商会CEO誕生日の夜に。<(˘⊖˘)>



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