旅行

軽井沢で辻邦生展を見る

軽井沢高原文庫で開催されている「辻邦生展 豊饒なロマンの世界」(11月3日まで)を見るために、秋の軽井沢を訪れた。高速をおりてしばらくすると、道路標示に「風越」と書かれていた。辻さんの短編小説に「風越峠にて」というのがある。久しぶりに辻さんの世界にやってきたと思った。

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学生時代、辻さんの小説を読んで衝撃を受け、仕事にかこつけてファンレターを出した。それがきっかけで手紙のやりとりをするようになり、当時、辻さんが勤めておられた学習院大学の研究室に遊びに行くようになった。辻さんは、明るくて、天真爛漫な方だった。ものすごく多忙なはずだったのに、ぼくのような勝手な一ファンが押しかけても、いつも楽しそうに話を聞いてくれたり、親身になって相談に乗ってくれたりした。(その頃の思い出については、10年前、辻さんが亡くなったときに書いた追悼文「辻邦生さんへの最後の手紙」にも記したので、読んだことのある方もいるかもしれませんが、よかったら読んでください。pdfファイルです)。


辻さんが一貫して表現しようとしてきたのは、死や滅びといった無常の中におかれた人間が、いかにして生を肯定しうるかということだった。ぼくは、彼の小説に描かれるさまざまな人物--ユリアヌスだったり、ボッティチェリであったり、信長であったり、ランボーであったり、西行であったり--をとおして、生というものの不思議さ、存在することのおどろきに目を開かされ、本を読み終えたあとは、いつも、自分が生まれ変わったような気持ちにさせられたものだった。

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辻さんが亡くなってから、ぼくは彼の小説になかなか手を出せずにいた。生前に書かれたエッセイや評論をまとめたものが出たり、新たに文庫が出たりすると買ってはいたものの、そのページを開くのはなぜか勇気がいった。それが、なぜなのか、自分でもよくわからなかった。そして気がつくと、辻さんが見つめていた世界から、自分がずいぶん遠ざかってしまったような気がして、空虚な思いにとらわれるのだった。


高原文庫には、辻さんの直筆の手紙、生原稿、創作メモや手記、スケッチなどが展示されていた。辻さんは創作の過程を記したそうした日記や手記を作品といっしょに発表しているので、展示されていた文章には見覚えのあるものも多かった。

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注:これは展示されていたものではありません


初めて見るものもあった。印象的だったのは、小学三年生のときに書かれた「春の景色」という作文だった。筋立てがあるわけでもなく、いわゆる、そつのない優等生らしい作文ではない。それは通学途中の電車の窓から見えた春の風景を、淡々と、ひたすら言葉にうつしかえたものだった。
 

「・・・右がわの林の中にも、ところどころに桜がさいていた。また、かたまっていっぱいさいている所もあった、なかなか面白く、色々の、形に見えている、ねこのような形にも見える、代々木駅の方にきんぎょのようになったのがあった、電車は、どんどん走った・・・左の方を見ると、富士山やそのほか色々の山々が銀のあたまを上にだし、たかくたかくそびえている・・・屋根の裏も、林の裏も桜でいっぱいである・・・」
 

ここからは通り過ぎていく桜や山々に陶然として魅入られている男の子の姿が浮かんでくる。目の前の風景を言葉にすることで、自分がその美しさと一つになってしまいたい。そんな官能的な惑溺がここにはある。


だが、それこそのちの小説家、辻邦生にほかならなかった。日が昇り、鳥がうたい、花が咲き、星がまたたく。そんなシンプルな日々のいとなみへの愛おしさこそ、辻さんの作品世界のいちばん根っこにあったもののように思う。途方もない悲劇や虚無の中にあってさえ、地上にあることの喜びがあれば、この生は生きるに値するものになる。少年の日の作文の中にも、そんな辻さんの美への惑溺があったことに、なるほどなあと思った。


辻さんの肉筆原稿にかこまれた高原文庫の空間は、とて心地よく、いつまでも、その中にたゆたっていたかった。原稿に目を落とすたびに、その本を読んだときのことや、辻さんと話したときのことなどが、ありありと思い出された。長いこと、読み返せなかった辻さんの小説に、もういちど向き合ってみようと思った。まずは、ぼろぼろになるまで読んだ『モンマルトル日記』を読み直そうか、それとも年に一度は読んでいたユリアヌスにしようか。それとも軽井沢に来たのだから、有島武郎の出てくる未読の『樹の声 海の声』にしようか。砂漠を旅しながら、数え切れないほどくりかえし読んだ短編「献身」や「円形劇場から」も読みかえしたい。

こんなことを書いても辻邦生さんの作品を読んだことがない方には、ちんぷんかんぷんかもしれない。でも、そんな人たちは、これからあの辻作品の素晴らしい世界に出会えるという、願ってもない僥倖を与えられている。好みは人それぞれだけど、ぼくの書いた本を読んでくれて、すこしはいいなと思ってくれた人なら、辻さんの本は、きっと気に入ってもらえると思う。歴史物が好きなら、司馬遼太郎さんや塩野七生さんの書くものと辻さんの書くものが、どんなふうにちがうのか、興味深く読んでもらえるだろう。これから、ここでも辻さんの思い出や、彼の作品について折にふれて書いていきたい。


高原文庫を出るとき、受け付けにあった展覧会のための小冊子を買った。ぱらぱらと広げると、堀江敏幸さんが寄せた文章の冒頭に「ぼくらはね、だれもが辻邦生になりたかったんですよ」という言葉が飛び込んできた。ああ、そうだ、そのとおりだよなあと思う。自分の中に荒々しいデモーニッシュなものを抱えながらも、その価値観で他人や社会をけっして裁いたりはしない。人間というものがいかに信用のおけない、救いがたい存在であるかは十分認めたうえで、そんな人びとの途方もないいとなみを肯定していくまなざしをもつ。そう、そんなことはだれにもできない。だから、だれひとり辻邦生にはなれなかった。

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翌朝、辻さんがよく散歩していたはずの山の中を歩いた。落ち葉を踏みしめながら歩いていると、上から吹き下ろしてきた一陣の風が、斜面の木々を揺らしながら、下に向けて吹きすぎていった。目に見えない風の精が林の中をかけぬけていったかのようだった。辻さんは最晩年、水村美苗さんとの往復書簡集『手紙、栞を添えて』のあとがきの中で、軽井沢の山で見た「風のトンネル」について書いている。あるいは、これがそうなのかもしれなかった。


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日本海でヨットを見る

夏が終わって、すっかり秋です。また、季刊ブログになっていました。毎度のことで、申し訳ありません。更新しないと罰金という方法もあまり功を奏さない。身辺雑記は苦手だし、なにかテーマをと思うと、それが心の負担になるのかも、といってもいいわけにはならないなあ。これからは身辺雑記でもなんでもいいので、短くても、こまめになんか書くようにします、といっても説得力ないなあ。。。


ともあれ、久々の更新。この前、縁があって新潟で初めて国体というのを見た。見たといってもヨット競技だけである。しかし、ヨットレースというのは、なかなか素人目にはわかりにくく、陸上競技などを見るときのような観客側の盛り上がりに欠けるのだ。

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ヨット競技も、基本的に競争である。洋上に設けられたブイを決められたルートでまわり、一番速くゴールした者が一着となる。そこまでは、陸上競技とか、スキーとかと同じだ。けれども、レースが行われるのはかなり沖合(1キロ以上)なので、陸地からは、なにが起こっているのかほとんどわからない。


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だいたい、いつスタートしたのかもよくかわらない。スキーや陸上とちがって海の上にはスタートラインが引けない。しかも潮の流れや風や波があるため、ヨットは一カ所にとどまっていられない。そこでスタート地点の周辺をぐるぐるまわりながら、スタートの合図があるまで待機している。風がないと何十分もぐるぐるしていたり、風向きが変わるとブイの位置を変えてコースを変更することもある。けれども、陸地からだとなにが起こっているか、スタートしたかどうかすらわからない。


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レースが始まっても、ヨット同士の区別がつかない。帆にはナンバーが書いてあるので高倍率の双眼鏡でもあれば見分けられなくはないのだが、帆はよく動くし数字は小さいし、向きが変わると隠れてしまう。せめて帆の色を変えるとか、数字を大きくするとか、そういう工夫はできないのか。


ブイとブイの間を行ったり来たりするうちに、どれが一位なんだかビリなんだかもわからなくなってしまう。ゴールしてもそこで停まるわけではなく、そのまま走り続けるので、いつレースが終わったんだかもよくわからない。あれ、スタートしたのかな、あれ、もう始まっているのかな、あれ終わったのかな、という感じで、なんともカタルシスに欠けるのである(もちろん、慣れてくればちゃんとわかるのだろう)。

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ヨットというのは、外からのイメージと内実とは、かなり異なるらしい。一見すると、海の上で風を受けて、いかにも優雅な紳士的スポーツのようだが、実際にはスタート時には、相手よりもよい場所をとるために、ヨット同士が牽制しあい、洋上に激しく罵声が飛び交うという。レースが始まってからも、相手の艇の風を遮ったり、進路妨害をしたり、逆に相手の反則を招くような行為をして、そのたびに罵詈雑言の嵐になるのだそうだ。陸地からはそんなことはわからないのだけど。


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意外だったのは競技用のヨットには後ろの部分がないのだ。これでは水が入ってくるんじゃないかと思うのだが、前に進んでいれば入ってこないらしい。うーん、不思議な構造だ。強度的には大丈夫なのだろうか。


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運営の手伝いには地元の高校生のアルバイトが大勢動員されていた。そんな高校生たちがプレハブの陰にすわってさぼっていた。ゲームでもしてるのかなと思ってふと見ると、なんと花札をしていた。いまどきの高校生でも花札なんてやるのだなあ。


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海辺沿いの看板にはロシア語が併記されていた。


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新潟の海岸というと、ふと拉致を思い出してしまうが、日本海に沈む夕日はたいそうきれいだった。


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ハルツームのスーパーにて

エジプト、スーダンより帰国。スーダンには暑い季節、酷暑の季節、猛暑の季節、極暑の季節があるといわれ、今回初めて極暑の季節に、この地を訪れた。なにしろ20年ぶりのスーダンなので、あれも見たい、これも見たいと昂揚していたのだけれど、空港を一歩出ると、あまりの暑さに、すべてのやる気が、みるみるしぼんでいくような脱力感におそわれた。


乾燥しているので熱帯雨林のような重たさは感じないが、からだの四方、そして頭上にと、あわせて5台のストーブを背負って歩いている気分だった。それでも現地の人の話では、今年は暑さが厳しくないほうだという。やはりスーダンは暑い季節、せめて酷暑の季節に訪れるべきだ。


20年ぶりということもあって、訪れるにあたってはいろいろ感慨もあった。とくに昔、しばらく滞在して、個人的にとてもいい思い出のあるダルフールが、悲劇的な内紛と殺戮の地として報じられるようになってしまったことへの葛藤もある。だが、今回スーダンにいってみようと発作的に思ったのは、ネット等を通じて得られるヴァーチャルな情報から見えてくるこの国の姿が、自分がなんどか旅し、経験したかつてのスーダンと結びつかなくなってきたことへのいらだちだった。


ヴァーチャルな情報というのは、どこか二次元的だ。自分の中で三次元的に置き換えないと、どうもリアリティが湧かない。それはちょうど地上から星座を見ているのに似ている。地上から見ると隣同士のように見える星同士でも、三次元的に見ると、とても離れているように。情報を立体感をもって感じるには、やはりどこかで身体化というか、歩いたり、嗅いだり、なめたりすることも大切だと思う。

 

で、スーダンだけれど、近年のグローバル化や中国やアラブ諸国の投資マネーのおかげで、首都ハルツームの建設ラッシュぶりは聞いていたが、実際に目にしてやはり驚いた。以前のハルツームはといえば、砂漠の中にうち捨てられた廃墟のような、滅びの街といった印象だったし、商店の棚をのぞいても、がらんとしてなにもなかった。植民地時代につくられた、いかめしい建物はあっても、大きなホテルはヒルトンやメリディアンとあと一つか二つくらいしかなかった。

 


それがナイル川沿いにリビア資本の、湾岸諸国などにありがちな奇抜な形のホテルや、中国語のネオンサインの書かれたホテルなどがたっており、さらに巨大ショッピングモールや、トルコ系の大型スーパーやレストランなどが郊外にぞくぞくつくられている。しかも、高層ビルの多くは、みなそろえたように青いガラス張りである。冷房効率も悪そうだし、砂嵐ですぐにくすんでしまうとおもうのだが、デザインが好みなのだろうか。


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日本や欧米にくらべれば、たいした規模ではないが「AFRA」というトルコ系のショッピングモールにかなり感動した。

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二階建てで中華やイタリアンまで食べられるフードコートもある。マレーシアなど中華系の人が働いている。


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一階はスーパーマーケット。品数は豊富というほどではないし、しゅっちゅう停電するのだけど、それでもハルツームにこんなスーパーができるようになるとは、時代は変わったんだなと感じる。

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なにしろ、iPodだって売っている!

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ただ、よく見ると、ちょっとへんな気もするのだが(クリックで拡大)・・・。

 
 
 
 

これは日本からわざわざ輸入したのだろうか。

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スーダンはアルコール禁止の国のはずだが・・・なにに使うのだろう。


 
 

これはスーダンのオリジナルドリンクらしい。

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粉末で水で溶かして飲むもののようである。バオバブドリンクというのは初めて聞いた。左はアラビアゴムとハイビスカスのミックスドリンク。アラビアゴムというのも不思議な名前だが、どうもアカシアの樹皮からとれる天然のゴムで糖類をふくんでいることから甘味料として使われているらしい。調べてみると、スーダンはアラビアゴムの世界シェアが80パーセントだという。味はというと、買ってきたのだが、まだ飲んでいない。飲んだらご報告します。


これは文房具コーナーにあったスーダン大統領とスーダン国旗の入ったシール。ノートなどに貼って、自分の名前、学校名、クラス名、先生の名前を書くようになっている。買う人はいるのかなと思って、しばらく売り場を見ていたら、ひとりの主婦らしきスーダン人女性が手にとってかなり長い間買おうか買うまいか悩んでいたようだったが、結局、シールを元に戻して行ってしまった。

 
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オバマとベールと黄熱病

取材仕事で2年ぶりにエジプトに来ている。ちょうどオバマ大統領のエジプト訪問直前にエジプト入りしたので、こっちの新聞やテレビでもオバマ関連のニュースが目立った。撮影で大ピラミッドに入ると、オバマがくるのに備えて玄室に電話線を引く工事が行われていた。ピラミッドを訪問する予定とのことだが、いくらなんでもオバマがピラミッド内部の細い通路を腰を曲げて上って、蒸し暑い玄室までやってくるとは考えられない(実際、内部には入らなかった)。


ただ、オバマがカイロ大学で行った演説はエジプト国内ではすごい視聴率だったようで、タクシーの運転手なども、オバマはいいことをいう、と上機嫌だった。オバマの演説はイスラム教徒に呼びかける内容だったそうだが、エジプト国民の一割を占めるコプト教徒についてはなにかいっていたのだろうか。演説の内容をくわしく読んだわけではないのでわからないが。


オバマ来訪に備えてというわけではないだろうが、空港や遺跡の入り口など、いろんな施設が新しくなっているのにはおどろいた。カイロ空港にはメタルフレームにガラス張りの新しいターミナルビルができていた。床は磨き上げられ、スターバックスみたいな、おしゃれなカフェもある。昔の上野駅のような古色蒼然とした、かつての空港の雰囲気も好きだったのだが、時代は変わるのだなあ。いま、これを書いているのだってカイロ市内のマクドナルドである(自分のコンピューターなので、もちろん、ひらがな入力!)。カイロのマクドナルドでは、いまや全店無線ランが通じている(遅いし、不安定だが)。ここの女子大生たちもパソコンを持ち込んでいる。


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街並みの雰囲気はあまり変わったようには見えない。自動車の数がますます増え、以前から手の施しようもなかったカイロの街の渋滞がさらにひどくなった。あっちでプップー、こっちでプップーとクラクションのとぎれる暇がないのも以前と同じだ。


渋滞がひどいので移動には地下鉄を使うことが多い。地下鉄はたしか2000年くらいに開通したはずだが、この国では日本などに比べると物が古びるスピードが10倍くらい速いのではないかと思うほど、車両といい、窓や座席といい、もう50年もたったのではないかと思うほどに、すっかりくたびれている。路線を示したシールははがれ落ちたり、一部読めなくなっていたりするし、プラスチックの座席は黒ずんで、亀裂が入っていたりする。こう見ると、日本の地下鉄や電車はきちんとメンテナンスしているのだなと、あらためて思う。列車がホームに着くと、人が降りる前に乗り込んでくるのは、以前と変わらない。

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あと、2年前との大きなちがいは携帯の普及である。ただの携帯ではなく音楽機能のある端末が普及したのか、車内で携帯で音楽をかけているエジプト人がけっこういる。それもヘッドホンなど使わないで、携帯のスピーカーで堂々と鳴らしている。となり同士でちがう曲をかけていることもある。携帯のスピーカーだから音質はよくないし、音量を上げれば音が歪む。でも、だれも注意しない。音に対して寛大なのはあいかわらずである。


携帯でクルアーン(コーラン)を流している人も多い。突然、隣の座席に座っている人のポケットからクルアーンが鳴りだしたりもする。携帯の着信音をクルアーンに設定しているのだ。タクシーで運転手がラジオでクルアーンを流していることはよくあるが、着信までクルアーンとは。もちろん、そこには信仰心もあるだろうが、くわえて周囲に自分の信仰心をアピールするという見栄もあるのだろう。


あと、街中でベール(ヒジャーブ)をかぶって髪を隠している女性の姿が、さらに増えた。ベールの着用率は1990年代から増えてきたといわれるが、いまでは若い女性の8割近くがベールをしているのではないか。この現象をイスラム回帰と見るむきもあるが、むしろ、ベールが宗教的シンボルではなく、ここの女性のファッションとして定着したというほうがあたっているように思う。現にベールのデザインは以前よりバラエティーにとんでいるし、それがいちがいに宗教回帰と思えない理由に、ベールはしているけれど、ボディーラインが浮き出るようなぴっちりした服やジーンズの若い女性の姿が目立つ。べール&ボディコンである。

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話はがらりと変わる。このあとスーダンに行くので、先日、黄熱病の予防接種を受けにいった。日本だと接種場所がかぎられ、接種にかかる代金が約1万円と高い。カイロだとその数分の一ですむ。ただし、接種場所は病院ではなく、新市街にある古いホテルの中。いかにも怪しいのだが、ずいぶん昔、やはりそこで接種を受けて、公式なイエローカードをもらった記憶がある。いまもやっていると聞いて、足を運んだ。


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くだんのホテルは看板は出ているものの、中はがらんとして真っ暗で営業している様子もない。奥の方では壁をこわしている人もいて、ほとんど廃墟と化している。つぶれたのかと思って帰ろうとしたら、中にいた人が注射はあっちだと教えてくれる。教えられた方へ行くと、奥に一室だけ明かりがついている。六畳ほどの小部屋に小さな机と椅子があり、そのまわりでベールをした普段着のエジプト人女性が三人でおしゃべりしている。


ぼくが入っていくと、みながいっせいに振り向く。「ここで黄熱病の接種をしてくれると聞いたのですが」というと、ここだ、ここだといって、すわるようにいわれる。どこに行くのかと訊くので、スーダンに行って、それからエジプトに戻ってきて、日本に帰る予定だというと、机の前にいた女性が「それなら3本だ」といって、指を3本立てる。


3本? 聞けば、「アフリカ」からエジプトに戻ってくる場合には、黄熱病のほかにコレラと髄膜炎の接種が必要だという。そんな話は初耳である。日本の外務省では接種が義務化されているのは黄熱病だけのはずだと反論しても、「エジプトに戻ってくるのなら3種打たなくてはだめだ」の一点張り。しかも、その3種をいちどに打つという。


そんなの大丈夫なのか。日本ではコレラだって二回に分けて打つ。黄熱病はたしかほかの接種との間隔を一週間くらい空けるんじゃなかったか。それにまとめて3本も注射してちゃんと免疫ができるのか、副作用はどうなのか。説明を求めても、「だいじょうぶ、怖がらなくていい。先月まではさらにインフルエンザの接種も必要だったので4本だった。あなたは3本なんだからラッキーなのよ」という。答えになっていない。医学的におかしいのでは、となおも反論するも、その女性は「私は医者よ、医者の私がいっているのだからだいじょうぶ」という。そのとき初めて彼女が医者だと知った。彼女は、これはエジプトの法律にのっとって行われることなのだ、断ればイエローカードは発行できないという。うーん、ほとんど脅迫ではないか。


押し問答するも、こちらもイエローカードが必要なので結局、観念する。注射代135ポンド(約2500円)を払うと、看護婦らしき別のエジプト人女性がにこにこしながら、冷蔵庫からワクチンと3本の注射器を取り出して、左腕に二本、右腕に一本、たてつづけに注射。「腕がだるくなるかもしれないけど、それはノーマルだから」といわれイエローカードを渡され、「バイバイ」といわれる。


そのあとネットで調べてみると、黄熱病の接種についての日本語の解説ページに、「接種後10日目から10年間有効です。接種しますと、1ヶ月は何も注射できませんのでご注意下さい」とある。1ヶ月だって? あーあ、なんてことだ、と思っても、もう後の祭りである。発熱などはないし、気持ち悪くもならなかったが、腕はだるいし、やはり不安なので翌々日に大使館の医務官に電話して聞いてみる。


医務官は、3本ですか、といってちょっと黙っていた。そのあと「ただ、緊急の場合には同時に注射をすることはあります。副作用のリスクという点からすれば望ましいことではありませんが、それがもとで免疫ができないということはないとおもいます。まあ、二日たって発熱などないようでしたら大丈夫でしょう」とおっしゃる。「緊急の場合」ではけっしてなかったはずだが、とりあえずは、ひと安心する。


カイロの居候先のエジプト在住ウン十年のWさんに話すと、「それは交渉しなくてはいけませんな」といわれる。「冗談まじえて、エジプト人のあんたたちは強いから3本でも大丈夫だけど、日本人は弱いから1本で十分なんだとか、この前、黄熱病だけしか打っていなくてエジプトに来た日本人の知り合いがいたとか、うそでもいいので、いろいろいうことです。実際には黄熱病だけでも空港で問題になることはないはずですから。まあ、そのときに笑いやジョークをまじえながらするのですよ。そうしないとこっちの人は意地になりますからね」。


さすがに、ジョークをまじえるゆとりはなかったな。Wさんによると、カイロ空港でも黄熱病の接種は受けられるそうだが、その場合イエローカードが発行されないこともあるらしい。「それじゃ受けたことを証明できないので意味ないじゃないですか」というと、「まあ、そうですな、ははは」という。エジプトはあいかわらず、深いのか浅いのかわからない。

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宇宙徘徊流転の旅へ

このブログでも紹介したことのある旅の仙人、水津英夫さんが12月8日の朝、旅立たれました。


水津さんが世界中を旅をされていたころ、ご自宅に電話しても、たいてい留守でした。

だから、私のなかでは、水津さんはいつも留守の人でした。

水津さんが旅立ったときいても、その不在の感覚は私にとってはなじみ深い気もします。

これまで水津さんのいないところで、彼について語ってきたように、これからも彼について書いたり、語ったりしていくことにはかわりありません。

かつて、旅をしている友人にあてて、届くかどうかわからない手紙を、大使館気付けで送ったように、これからも、あなたに手紙を書きつづけるでしょう。


道中、お気をつけて。


よい旅を!

水津英夫、おおいに語る

旅の仙人写真館(棋士・森信雄さんのサイト)

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エジプトの酒がおいしくなったこと

エジプトが元気である。なにが元気って、ビールが本当に美味しくなった。1990年代の後半まで、この国の国産ビールといえば「ステラ」という銘柄だけだった。ただし、その味はといえば、しょっぱい石けん水といったかんじの、なんともいえないもので、しかも、瓶によって内容量もばらつきがあれば、味もしょっぱかったり、酸っぱかったりとばらばらだった。いまはステラの味もずいぶん進化したが、90年代初期にはステラを買うのはクジをひくようなものだった。

アレキサンドリアのホテルでこのステラを注文したことがあるのだが、1本目はコップに注ぐとビールなのに不気味に白濁していた。こんなのは飲めない、べつのをもってこいと2本目を頼むと、今度はすっかり気が抜けていて、まったく泡が立たない。これもだめだと3本目を頼むと、今度は中に白い絆創膏のようなものが浮遊している。やれやれ、これもだめかと、それでもしつこく4本目を頼む。こんどは黒ビールでもないのに色が茶色っぽく、すえたような臭いがする。かんべんしてくれよ、と5本目をたのんで、ようやく本来のしょっぱい石けん水の味のするステラが出てきた。

ところが、勘定をしようと請求書を見ると、なんと五本分の金額が書かれている。おい、こんなので金取るのかと、ウエイターに食ってかかる。ウエイターはすました顔で、だって五本注文したではないかという。そうじゃない、どれもこれも腐っていたから代わりのを持ってこさせたんじゃないか、こんな腐ったビールでカネをとるつもりとは信じられないというも、相手は腐ってなんかいないという。腐っていないというのならこの白く濁ったやつや、この中に変な物が浮かんでいるやつを飲んでみろ。ところが、ウエイターは自分はムスリムだから酒は飲めない、だからこれが腐っているかどうかもわからない、ともかくあんたは五本注文したのだから、その分を払えと言い張る。

らちがあかない。そこでマネージャーを呼びにやって、五本のビールをそれぞれコップに注いで、その色や臭いをたしかめさせた。ところが、やってきたマネージャーは、まったく気の抜けたビールを一口含むと、あろうことか「ノープロブレム」とのたまわった。ウエイターが横で勝ち誇った顔で、こっちを見てにやついている。やれやれ。ともかく、こんなビールに断じて金は払わないといって、一本分の金だけをおいて立ち上がり、そのレストランをあとにした。うしろからミスター、ミスターと声をかけられたが、無視してそのまま店を出た。

さすがにこういう経験は一度だけだが、ふだんでもステラを1ダース買うと、一、二本はたいていハズレがあった。それでも、ステラはまだよかった。ワインにはさらに凄みがあった。エジプトは歴史的にワイン発祥の地である。だから名前も、クレオパトラとか、ファラオとか、プトレミー、オマル・ハイヤームといった、いかにも歴史的な重厚感のあるネーミングがなされていた。ところが、これらのワインを飲んだ翌朝は、かならず重厚感のある頭痛、ときには吐き気に悩まされるのがつねだった。

それでもワインはまだよかった。問題はエジプト産のウイスキーだった。下町の酒屋の店先には一見、スコッチによく似たボトルのウイスキーが並んでいた。ところが、その名前をよく見ると、Johnny Walker(ジョニー・ウォーカー)とあるべきところが、Black Johnny (ブラック・ジョニー)となっていたり、White Horse かなと思ってよく見ると、White House (ホワイトハウス!)であったり、Ballantine (バランタイン)かと思ってよく見ると、Valentine (バレンタイン!)だったりした。

ボトルの形や、ラベルのデザインはよく似せてあるので、一見だまされそうになってしまうのだが、当時、これらには絶対手を出してはいけないという大使館からの通達があったほどだ。というのも、その頃エジプト産ウイスキーを飲んでドイツ人が視力障害を起こしたという噂がささやかれていたからである。

だが、こうしたエピソードも昔話になりつつある。数年前から酒造産業に民間が参入し、ドイツのノーハウでのビール造りが行われるようになって、エジプト・ビールは生まれ変わった。ステラも前に比べれば飲める味になったし、品質も一定してきた。SAKARA GOLD(サッカラ・ゴールド)という国産ビールはピルスナー系のビールとして十分満足できるレベルに達している。

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ビールだけではなく、ワインも進化した。これまでエジプトのワインは、ワイン通にいわせればとてもワインと呼べるしろものではなかった。後味が薬くさく、添加物だらけなのが素人にもわかるような人工的な味で、おまけに翌朝には激しい頭痛がもれなくついてきた。けれども、2005年に発売されたというChateau des Reves(夢の城)という赤ワインは、チリワインを思わせるワイルドなコクと香りのある良質のワインである。ボトルもおしゃれだ。エジプトもここまでできるようになったのかと、初めて口に含んだときは少なからず感動した。頭痛のおまけもついてこなかった。

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ただ、これまで泡の立たないステラや、頭痛ワインを飲んだときに感じた、ああエジプトだなあという不愉快と愉快のいりまじった独特の感慨が失われていくのは、なんとなく寂しい気もするのだが、酒好きにとってエジプトの愉しみがひとつ増えたことにはまちがいないので、まあよしとしよう。ちなみに、オマル・ハイヤームとか、プトレミーといった従来のエジプトワインもラベルデザインを変えて中身は昔のままで売られているので、頭痛とともに昔のエジプトを懐かしみたい人は、こちらもどうぞ。

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エチオピアでサングラスをかけると

エチオピアからエジプトに戻ってきたので、ようやく更新できる。エチオピアのネットは回線速度がえらく遅いうえ、ホームページの表示すらままならなかった。

さて、エチオピアに入って早々にメガネを落として割ってしまった。目が悪いのでメガネがないと、ほとんどなにも見えないのだが、幸い、度付きのサングラスを持ってきていたので、それをいつもかけることにした。かなり濃いレンズなのだが、日の光がとても強い土地なので、昼間は快適である。

問題は夜である。エチオピアの夜は暗い。田舎に行くと街灯もない。そこにサングラスをかけると、もう真っ暗である。でも、サングラスを外すと物の輪郭が曖昧になり、暗い霧の中を歩いているようで、足下の石さえはっきり見えない。サングラスをかけると、もっと暗くなるのだが、物の輪郭や遠近感はなんとかつかめる。仕方なく真っ暗闇でサングラスをかけて歩く。芸能人みたいだ。

夜、部屋に入ってもサングラスをはずせない。エチオピアの宿の部屋というのは、どこもとても暗い。安宿だと、たいてい40ワット電球が一つだけである。そこに濃いサングラスをして入ると、もう闇の中である。部屋なのだからサングラスをはずしてもいいのだが、昼間撮影した写真をパソコンに読み込んだり、本を読んだり、書き物をするには、やはり裸眼だと見えにくいのでサングラスをかけてしまう。しかし、やはり世界が暗いと、どうしても陰気な気分になってくる。

それならビールでも飲みに行くかと外に出る。もちろんサングラスをかけているから、夜道はひたすら暗い。しかも、エチオピアのバーがまたどこも異様に暗い。40ワットの電球に赤いセロハンを巻いてあったりして、裸眼でも暗すぎると感じるのに、サングラスをかけていると、もう闇の中の手探り状態である。料理を頼んでも、闇鍋状態で、ビールのコップが汚れているのかどうかもわからない。

取材で写真を撮影するときも困った。山の中にある岩窟教会をめぐったのだが、岩を掘りぬいただけの教会なので中はとても暗い。もちろん電灯などない。壁画を見るために、僧が棒の先にローソクを灯して掲げてくれるところもあるが、こっちにはなにも見えない。ガイドが「みごとなものでしょう」というが、真っ暗なのでなんともいえない。とりあえずストロボをたいて撮影して、あとで見て、へえ、こんなものだったのかと納得したりする。

そんなふうだったから、室内の写真は失敗も多かったのだが、それでもなんとか取材を終えて首都のアジスアベバに戻ってきた。アジスアベバの宿は、エチオピアでも屈指の由緒のあるホテルなのだが、古い建物なので天井が高く、そこに例によって40ワットの裸電球がぽつねんとぶら下がっている。サングラスをかけたままだと、本を読むにも、パソコンで文章を書くにも、暗すぎて作業にならない。

そこで電気屋で150ワットの電球を買ってきて付け替えてみた。すると陰気な馬小屋のようだった部屋が、空港免税店の化粧品売り場のように煌々とした眩しい空間に生まれ変わった。裸眼だとやや明るすぎの感もあるが、サングラスをかけるとちょうどいい。さらに、もうひとつ使われていない電球ソケットがあったので、そこにも電球を買ってきてねじ込んだところ、パーティー会場のようになった。やはり、光は人間の心をゆたかにしてくれる。

アジスアベバも首都とはいえ、夜はまだまだ暗い。宿のあるピアッサという地区は、ブンナベットと呼ばれる、いかがわしい飲み屋が軒を連ね、麻薬の売人やポン引き、娼婦も多い界隈である。アフリカの都会の中では治安がよいほうだといわれているとはいえ、夜に歩くにはやや緊張する。ましてサングラスのせいで視界はほぼ真っ暗である。行き交う黒人の顔もほとんど真っ黒くつぶれてなにも見えないので、襲われたりしたらいやだなあと思いながら足早に歩く。

でも、真っ暗な中、サングラスをかけているのは、周りの人間にとっても奇妙に写るようで、「そんなんで見えるのかい」と聞いてくるあんちゃんもいる。そんなときは、そのまま無言でニヤリと笑うと、たいていそれ以上はなにも聞いてこない。

サングラスをかけていると、こちらの目の表情を読まれない。ふだんは、それがフェアじゃない気がして、めったにサングラスはかけないのだが、こうして何週間も昼も夜もかけっぱなしだと、だんだん慣れてくる。サングラスをかけると、大胆な行動にも出やすいことに気がついた。仮面をしているようなものかもしれない。

エチオピアはどこへ行っても、子供がうるさい。それもあいさつ代わりに、いきなり「ユー、ユー、ブル!」(おい、おまえ、カネ!)といってくる不届きなガキも少なくない。下校時の小学生の集団などに出くわすと、そのうち1ダースくらいがいつまでもついてきて、ずっと「ユー、ユー、ブル!」とか「ファランジ、マネー(ガイジン、カネ!)」と口々にいってくる。根性の悪いのになると、ポケットに手を突っ込んでくるやつもいる。彼らはべつに乞食やストリートチルドレンではなく、いたってふつうの小学生である。

いったい、どういう教育を受けているのか、となんどもこういう状況に出くわすたびにやりきれない思いでいたのだが、あるとき、アジスアベバ郊外の布市場で買い物していたときに、やはり同じ状況になった。そこはちょうど小学校の門のところで、折しも授業を終えた小学生たちが一斉下校するところだった。そろいの緑のセーターを着た彼らは、めざとくこちらの姿を見つけると、さっそく「ユー、ユー」「ブル!」「マネー!」と口々に叫びながら、まわりをとりかこんだ。

最初は無視していたが、やがてその中のいたずら好きがこっちのカバンをつついたりする。周りの大人が追っ払うが、何十人もの集団にふくれあがった小学生どもはもはや別の生き物と化していた。

「ユー、ユー」「ブル、ブル!」「マネー!」

濃いレンズの奥から彼らの顔を一人ひとりじっくり見回し、それから数を数えながら深呼吸をゆっくり五回くりかえす。

「ユー、ユー」「ブル、ブル!」「マネー!」

以前見たことのあるエチオピアの飢餓に苦しむ子供の写真を思い浮かべ、マザーテレサの祈る姿を思い浮かべ、行進するガンジーの姿を思い浮かべ、苦行する仏陀像を思い浮かべ、コーランの冒頭の文句や般若心経などを心の中で唱え、心の中に広げた半紙に「慈悲」という文字をゆっくり書いてみる。

「ユー、ユー」「ブル、ブル!」「マネー!」

つぎの瞬間、ぼくは足下にあった大きな石を手に取り、それを地面にたたきつけた。子供たちがさっと数歩下がった。ぼくは顔を上げると、校門からなおもはき出されてくる子供たちの流れをかきわけながら、学校の校舎にむかった。ファランジ! ファランジ!とまわりじゅうで歓声があがった。その子供の歓声の中を、ひたすら無言で校舎に向かい、最初に目に入った大人に声をかけた。先生か、と聞くと、うなずくので、これまでたまっていた思いの丈を、息せき切って英語でまくしたてた。

あんたの学校では子供たちにマナーというものを教えているのか。それとも、見も知らぬ外国の大人にいきなり「カネ、カネ」といいなさいとでも教えているのか。英語では、あいさつはハローというんだ、だが、このガキども、いや、このお坊ちゃまがたは、カネ!というのが挨拶だと誤解しているらしい。あんたも教育者なら、こんなふざけた態度を子供たちが平気でとることを同じ国民として恥ずかしく思うべきではないか。エチオピアが立派な国になるためにも、子供たちにきびしくマナーを教えてほしい。ユーユーだとか、ブルブルだとかいうのは、失礼なことだということを子供たちにちゃんと教えてもらいたい。見れば、この子たちはむずかしそうな英語のテキストをもっているけれど、一番の基本はちゃんとした礼儀正しい挨拶をできるようにすることではないのか。

こちらの剣幕に押されたのか「先生」は少しおどおどしていた。それでもときどきうなずいたり、眉をしかめたりして、こっちの話に共感はもってもらえたようだった。たしかに手応えを感じて、ぼくはさらに子供の教育について持論を展開した。子供たちがまわりをドーナツ状にとりかこみ、ファランジーとか、ユーユーといった嬌声が飛び交っていた。校門のところからは町の人たちが事の成り行きを見守っていた。

「先生」がなにかいいたそうにしているので、ぼくは言葉を切った。言い分があるなら聞こうではないか。「先生」は、アイ、アイとかいいながら、申し訳なさそうに小首を振った。それから片手をあげて、イングリッシュ、リトル……と小声でいった。イングリッシュ、リトルって……だって、あなた、うなずいていたじゃないですか!

ひょっとしてなにもわかっていなかったのか。そこで「キャン・ユー・アンダースタンド・イングリッシュ?」と聞くと、「先生」は照れくさそうな笑みをうかべて、目をぱちくりしている。

あなた先生ですよねと、ぼくは念を押した。すると「先生」はそれもわからないというふうに首をふった。どうやら最初から適当に返事していたらしい。ぼくはまわりの子供に向き直って、「先生」を指さしながら「ティーチャー?」と聞くと、みんな首を振る。なんだよ、じゃあ、だれなんだよ、この人は。「先生」は申し訳なさそうな顔をして、そそくさと行ってしまった。たまたま校庭にいた関係ないひとだったらしい。がっくり。。。

ハア、と大きなため息が出た。どっと疲れが押し寄せてきて、ぼくはその場にうなだれた。いったい、自分はなにをやっているのだろう。さっきまでの興奮がすっかりしぼんで、脱力感だけが残った。近くの木の枝で鳥が鳴くのが聞こえた。

そのとき、不意にぼくの手が握られた。顔をむけると、坊主頭の男の子がぼくの手を取り、白い歯を見せて笑っている。反対側でべつの男の子がもう一方の手を取った。すると、まわりの子供たちも、競って手を伸ばし、ぼくと手をつなごうとした。

ぼくは先ほどまでさんさん腹を立て、ののしっていた子供らを両手いっぱいにぶら下げるようにしながら、複雑な思いで校門を出た。後ろからファランジ、ファランジとはやし立てる声が追いかけてきた。通りすがりの大人たちがじっと見ていたが、そのときサングラスの奥でぼくがどんな目をしていたのかは、彼らにもけっして想像つかなかったことだろう。

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エジプト・エアはなつかしい

エジプト・エアに乗るのは久しぶりだ。カイロに暮らしていた頃はエジプト・エアばかりだったが、以後は選択の幅もひろがって、あえてエジプト・エアに乗ることもなかったのだが、久々に乗ってみると、とてもなつかしい。

まず座席のテーブルの留め金のプラスチックのツマミがかたい。かたいなんてもんではなく、両手でひねらないと動かない。どうしてこんなにかたいのだろうと、よく見てみるととなりのツマミと形がちがう。いったん座席から外れてしまったのか、市販のねじ釘でとめてあるのだ。それだけならいいのだが、そのねじ釘が途中で曲がってしまったのか頭の部分をペンチのようなもので切ったらしく、その切り口が外に飛び出している。これはちょっとワイルドだ。まわりを見渡すと、ほかにもそんなワイルドなつまみがある。

前にすわった若いやつが、離陸からすぐに背もたれを倒しっぱなしにしている。機内で読むためのものをあれこれ用意してきたのに、狭くて作業にならない。前をのぞくと、長髪でサングラスをかけていて、耳にiPodをねじこんで寝ている。腹が立ってきて、膝で前の座席を押したり、揺らしたりしてやるが反応がない。さすがに食事のときは、「おい貴様、いいかげんにしろよ!」という内容のことを大人の対応でいってやったので、敵も背もたれをもどしたが食べ終わると、またぐいんと背もたれを倒す。大人の対応も疲れるので、後ろの方の空席に移ることにする。

空席はいくつかあったのだが、どれも読書灯がつかない。つくにはつくのだが、なぜかスイッチを入れると、後ろの席の読書灯がついたりするものもある。これは困るだろう。でも、読書灯がつくのがそこだけなので、前の席でスイッチを入れて、後ろの席へ移る。一番後ろから二番目で、後尾には数人のエジプト人乗務員が待機している。みなからだがでかい。複数人で待機している間はずっとおしゃべりしている。エジプト人は声がでかいうえ、よく笑う。「へへへへ、ワッライ?」(「マジ、ホントかよ?」の意)。一人になると、口笛を吹きはじめる。肺活量があるせいか、口笛とは思えないほどよく響く。

食事が終わった後は、飲み物のサービスはぜんぜんない。さすがにのどが渇くのか、乗客がしばしば後ろにやってきて、飲み物をもらって帰って行く。ぼくものどが渇いたので、なにかもらいに後ろに行くと、エジプト人乗務員があいかわらず談笑している。「なにか飲み物がほしいんだけど」というと、「イエス・プリーズ」といって、カウンターの上を指す。紙パック入りのジュースとミネラルウォーターのボトルなどが並んでいて、その横に使い捨てコップがある。乗務員はまた仲間とおしゃべりをはじめてしまった。セルフサービス、らしい。

自分でジュースを注いで席に戻って、ふと上に目をやると天井に着いている金属製のカーテンレールが外れてぶらぶら揺れている。これあぶなくないかと思って、少し不安になるが、うしろから響いてくる陽気な口笛を聞いていると、まあいいかというおおらかな気分になる、わけはない。

しばらく作業して、数時間眠ると、つんつんと肩をつつかれる。ぼんやりと頭を起こすと、エジプト人女性客室乗務員がなにやら文字の書かれたナプキンを目の前に差し出している。よく見ると、日本語で「お肉、おかゆ、てんぷら」と書いてある。日本人の客室乗務員が書いたものらしい。

エジプト人女性乗務員は無言でその紙をつきだしたままなので、なにか反応しなくてはならないのだが、こちらも起き抜けなので頭がすぐには働かない。一瞬してからそれが食事のメニューらしいと気づくと、なぜか彼女は急にその紙を下げると、もう一方の手で指を上に向けてすぼめるようにして、上下にふった。これは「ちょっと待て」という意味のエジプトのジェスチャーだが、知らない人にはなんのことだかわからないだろう。ぼくもなぜ、ちょっと待てなんだかわからないうちに、彼女は行ってしまった。それから20分ほどして「てんぷら」が運ばれてきた。さっきの紙はなんだったのだろうか。

最初に座った席の前の背もたれ倒し男は、あいかわらず寝ている。背もたれ倒し男には、自分はどうも縁がある。よく覚えているのは、エジプトでガイドの仕事をしていた頃のことだ。当事者はツアーに参加していたぼくのグループの女子大生だった。国内線に乗っていて、お茶が配られたあと、突然彼女の前の席の背もたれが勢いよく、うしろに倒されたのだ。その弾みで紅茶のカップがひっくりかえり、彼女の白いブラウスにかかってしまった。彼女は悲鳴をあげた。

前に座っていたのは、別の日本人ツアーに参加していた中年のオヤジだった。そいつは後ろをちらっと見たものの、あやまることもなく、知らんぷりをしている。彼女はもちろん怒って、なにするんですか、といった。ところが、そのオヤジもその奥さんもあやまろうとしない。それどころか、私には関係ないというのだ。

離れた席に座っていたぼくは飛行機を降りたときに、彼女のとなりに座っていた友だちからこのトラブルを聞いた。ひどい話だ。すぐにぼくはそのおやじのところに行って、あんた、ひどいじゃないですか、あんたのミスでこの子に紅茶がかかったのに、一言の謝罪もないとはどういうつもりなんですか、といった。

ところが、そのとき帰ってきた言葉に耳を疑った。忘れもしない。そのおやじは、こうのたまわったのだ。

「私は国際人だから、そんなことであやまる必要はない」

「はっ?」

ぼくは頭の中で、そいつの言葉をくりかえした。

わたしは こくさいじんだから そんなことで あやまるひつようは ない

こいつはなにをいっているんだ。頭がおかしいのか。

「あんた、なにいってるんですか? あんたのせいで、この子の服が汚れちゃったんじゃないですか。なのに、なんであやまらないんですか?」

オヤジはにやにやしながら、グループについて歩き出している。われわれのグループの一人のおじさんも、さすがに腹を立てて、そいつに「あなた、なにをしたかわかっているんですか、あの子の服をあんなにしたのはあなたなんですよ」とそいつにつめよる。でも、オヤジはどこ吹く風である。

となりにいた奥さんにむかって、ぼくは「奥さん、あなたの旦那のしたことは許されることではないですよ」というが、似たもの夫婦というのか、奥さんもまるで取り合おうとしない。腹が立ってきて、ぼくは、そいつの前にたちふさがって「おい、おまえ! おまえバカか、なにをしたかわかってんのかよ」といった。

すると、そいつがなんといったか。

「私は東大を出ているんですよ」

「はっ?」

わたしは とうだいを でているんですよ

これは冗談でもなんでもない。本当にそいつはこういったのだ。いまどき、どんなベタなドラマでも使わない科白である。しかし、本当にその馬鹿オヤジはそういったのだ。

こいつ、ふざけているのか。それとも、ほんとうに頭がおかしいのか。しかし、これだけでは終わらなかった。そいつは、そのあとなぜか突然英語でしゃべり出したのである。

「I prepared」

一瞬何をいったかわからなかった。

「はっ?」

すると、そいつはこっちが英語がわからないと思ったのか、上を向いて笑うと、もう一度いった。

「アイ・プレペアド」

かかってこいというつもりなのだろうか。だが、おやじの意図をはかりかねて、こっちは一瞬詰まってしまった。すると、そのときそのグループを率いていたメガネのエジプト人ガイドが騒ぎを聞きつけてやってきた。そいつにむかって英語で事の事情を説明した。ところが背もたれという単語がわからず、しばし口ごもっていると、オヤジがせせら笑った。すると、そのエジプト人ガイドが、「ワタシ、ニホンゴ、ハナセマス」といった。

そこでぼくは、このオヤジがどんなに無礼なことをしたのか、まくしたてた。エジプト人ガイドは、こちらの話を聞くと、両手を合わせて合掌のポーズをすると、「アナタハ イイヒトデス」といってこっちをさし、それからオヤジをさして、「コノヒトモ イイヒトデス」といった。おいおい、そいつはいい人じゃない、そいつは悪いやつなんだよ。どーしよーもないやつなんだよ、といっても、銀縁メガネのエジプト人ガイドは合掌するばかりである。なんなんだ、こいつは。話にならない。

ふたたびオヤジに向き直ってぼくはいった。おまえは最低だ。恥だ、日本人としてお前のようなやつが存在することが恥ずかしい。何が国際人だ。頭がおかしいのか、お前は……。すると、そいつもさすがにカチンときたのか、「それは聞き捨てならない言葉ですね」といいだした。こっちはもっとカチンと来た。バカヤロー、お前も、お前の奥さんも、自分たちがなにをやっているのかわからないのか。おまえら、人間の恥だな。

「だれか来てくださーい」と奥さんが声を上げた。さっきのアホ・エジプト人ガイドが、「サア、モウイキマショウ」といった。しかし、こっちはもう沸騰していた。おい、このホマール!(「バカ」の意) おまえの出る幕じゃないんだよ、このアホバカおやじは許せないんだよ。ぼくはオヤジの胸ぐらをつかんだ。奥さんがヒステリックに叫んだ。するとそばにいた被害者の女の子が、「もういいです」といって泣き出した。しかたなく、それ以上つめよるのをやめた。ツーリストポリスが来て、なにやらエジプト人ガイドに聞いている。「もういいです」と彼女の友だちもいうので、そのままオヤジのグループと別れることにする。後味が悪かった。じつに悪かった。そう、そんなことがあったのだ。

飛行機の窓からカイロの夜景が見える。カイロの夜は美しい。夜を彩るオレンジ色の光が、ところどころ闇の中に島をなしている。日本からカイロに着く便はたいてい夜だ。だから、このオレンジ色の夜景を見ることができる。あふれんばかりの人びとがあの光の下にいるのだと思うと、わくわくしてくる。あんなにエジプトにうんざりしていたのに、この夜景だけは別格である。

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発作的に水津さんのサイトをつくったこと

あすの午後の便でエチオピアに行かなくてはならないのに、まだろくに準備をしていない。というのも、けさ、衝動的に水津英夫さんのウェブサイトをつくろうと思い立ち、ほとんどさわったこともないソフトをこねくりまわして、さっきまで半日がかりでつくっていたからだ。
lalombeさん、授業の合間にソフトのことをおしえてくれてありがとうございました。

収録したのはこれまでに書いた原稿ばかりだったものの、サイト作りなんてしたこともないので、デザインもなにもあったもんじゃないいいかげんなつくりになってしまった。半日ではやはりきびしいな。でも、とりあえず読めるようにはなったと思う。

水津英夫、おおいに語る

突然、そんな気持ちになったのにはいろんな事情があるし、書きたいこともたくさんあるのだけれど、さすがに準備しないとまにあわないし、買い物にも行かなくてはいけないので、これはこんどにします。すでに棋士の森信雄さんが、水津さんの写真をスキャンしてサイトにアップしておられる。こちらもぜひ、のぞいてみてください。

旅の仙人写真館

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マハカム河にたゆたう その2

すっかり間があいてしまって、たゆたっているというより、押し流されているという毎日だ。陸地にいると、なかなかたゆたう感覚が遠くなってしまう。プールで泳いでも、風呂につかっても、なかなかたゆたえない。

せめて音楽でたゆたおうと、マハカム河にいっしょに行ったスミオさんが聴いていたポポル・ヴーの「アギーレ」を聴こうと思ってCDをiMacG5のドライブに入れたところ、CDを吸い込んだまま、イジェクトボタンを押しても出てこなくなってしまった。内部ではガーガー異音がしている。こわれたら修理代がいくらかかるだろう、輸入盤の中古CDはこれだから困る、こんどは高くても国内版を買おうなどと考えはじめると、ますますたゆたえない。マハカム河にたとえるならば、乾季になって水がどんどん蒸発していって、乾いてしまった湖底に置いてけぼりにされた魚のように途方に暮れてしまった。

マハカム河の中流にはジュンパン湖という湖があるのだけれど、訪れた時期が乾季の終わりにあたっていたため、水はおおかた干上がっていて、かろうじて船外機付きのボートが通れるくらいの流れにまでやせ細っていた。水深も50センチくらいしかないところもあり、われわれの乗ったボートは途中でスクリューに藻が絡まってスタックしてしまった。

船頭が修理の手を借りに、近くの村まで戻っている間、ボートを下りてみた。すっかり干上がったかつての湖底は結晶のように整然とひび割れている。そのひび割れた地面に目をこらすと、いたるところに半ばミイラ化した魚の死骸がころがっている。いちばん多いのはナマズに似た古代魚のような魚だった。いずれも腹を下にして、泳いでいたときそのままの姿でみまかっている。

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きっと、よほどの速さで水が引いたのだろう。魚はその減っていく水を追っていったものの、コースをまちがえて、浅い水たまりのようなところにはまりこんでしまったのだろう。そこから出られぬまま、上向きの目で薄くなった水の層を透かして空を仰いでいるうちに、やがてその目をおおっていた水がなくなり、眼窩は落ちくぼみ、ほどなくしてただの虚ろに乾いた空洞になり、こうして上からスミオさんに写真を撮られることになってしまうとは、魚としても想像もしなかったにちがいない。

そう、そんな魚の気分で再起動をくりかえしたり、あらゆる方法でイジェクト操作をくりかえすうちに、一時間ほどもたった頃、不意にグガーと音を立ててCDが排出された。やれやれ。。。

で、ふたたび「たゆたう」である。マハカム河の本流をゆったりとさかのぼっているとき、スミオさんが河を眺めながら、「こういうのをたゆたうというんだろうね」といった。「そうだね、たゆたっているね」とぼくもいった。気分も何となくたゆたっている。

ところが、「たゆたう」について話をしていると、どうも互いの「たゆたう」イメージがちがう。

「たゆたうっていうのは、水にゆらゆら気持ちよく浮かんでいる感じじゃないの」とぼくはいった。

「でも、それは〈漂う〉でしょう」とスミオさん。

「いや、〈漂う〉ってのは水の表面に浮かんだ状態だけれど、〈たゆたう〉は水に半分くらい沈みながら、揺れているかんじじゃないかな。漂うは、どこへ行ってしまうのかわからない心許ないかんじがあるけれど、たゆたうはもっと安心感がある」

「うーん、オレは、〈たゆたう〉というのは、水があふれていて、豊かに満ちているかんじだと思うんだけど」とスミオさん。

「ていうと、浮かんでいる物がたゆたっているのではない?」

「うん、たゆたうのは〈水〉のほうなんだよ。水が豊かに満ちあふれていて、滔々と流れていくのが〈たゆたう〉んだよ」

「そういわれると、そんな気もしてくるな。ぼくは水がたゆたうんじゃなくて、水に浮かんでいるものがたゆたっているんじゃないかと思っていたけれど」

辞書などなかったので、どちらが正しいかはわからなかったし、実際のところ、辞書の定義などどうでもよかった。むしろ、「たゆたう」について互いが抱いているイメージをひもとくのがおもしろかった。そのとき河の縁をペットボトルが流れているのが目に入った。

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「ペットボトルは、たゆたってないと思う」ぼくはいった。

「ペットボトルはたゆたわないのかあ。じゃあ、死体は?」スミオさんがいう。

「うーん、死体はたゆたうのかなあ」

「死体がたゆたっていたら面白いね」

「〈たゆたう〉からには、たゆたっている本人が気持ちいいと感じていなくてはだめなんじゃないかな。死体が気持ちよさそうにしていれば、たゆたっていることになると思うんだけど……でも、諸星大二郎のマンガにそういうのがあったっけな」

「材木もたゆたってないね」

「材木はたゆたわないねえ」

マハカム河を航行していると、上流から伐採した材木を筏のようにつないで船で引っぱっている光景をしばしば目にする。筏の全長は200メートルほどもあり、まるで桟橋がちぎれて流れてきているようである。たいていの筏には小さなテントが張られ、人が番をしている。夜になると、ほかの船と接触しないようにするためか、筏のまわりに小さなランプが灯される。筏はすべるように流れていくけれども、たゆたっているようには思えない。

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ヨーガの技法の中に、次のようなものがあると聞いたことがある。自分がゆるやかな清流の中に横になっている。その自分の頭の方から水が流れてくる。水はからだの中のすみずみを満たして流れ、指先や足先から抜けていく。そんなふうにイメージするのだという。じつは自分の「たゆたう」のイメージの原型はそのあたりにある。主客の境目があいまいになった、ゆったりとした心地よい運動状態。それが「たゆたう」の基本ではないか。

だが、水でなければたゆたえないのだろう。花の香りはどうなのだろう。やはり、「漂う」が自然だろうな。「花の香りがたゆたっている」というと、そこにしばらくとどまっているというイメージになるのだろうか。けれども、香りがたゆたうというのは、いまひとつぴんとこない。やはり水のような媒質があって。その媒質と浸透し合っているというのでないといけない。

では、宇宙はたゆたえるだろうか。「宇宙飛行士が宇宙にたゆたっている」というのは、どうだろう。いや、この場合、宇宙飛行士と宇宙は宇宙服で完全に隔てられているので、主客の区別があいまいになる「たゆたう」感覚とは相容れない気がする。

そう考えると、やはり水でないとたゆたえないのかもしれない。それもウェットスーツなど着ていてはだめだ。なるべく裸に近い状態であることが必要だ。また水面からあまり深くてはいけない。深いと、そこに悲壮感が生まれてくるし、光の届く範囲で水面に近いところでないと「たゆたう」ことはできない。

だが、なにも水がなくても、意識をたゆたわせることはありうるのではないか。目に見えなくてもいいから、このマハカム河のようなゆったりとした流れが自分を支えていて、その流れと浸透し合っているような感覚があれば、それがたゆたっていることになるのではないか。

たとえば、太極拳などは、空間を満たしている気の大きな流れをからだのすみずみでとらえながら動いていく。これも、考えてみれば「たゆたっている」といえなくもない。また、まったく別だが酒にたゆたうというのも考えられる。ほろ酔い加減で、気持ちがゆったりと心地よくなっている状態なら、「たゆたっている」といってもさしつかえないかもしれない。

漂うのでもなければ、浮かんでいるのでもない。泳ぐのでもなければ、あやつるわけでもなく、溺れるのでもない。そんな「たゆたう」に心ひかれながらも、なかなかたゆたえぬまま、もうすぐエチオピアに出かけます。

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マハカム河にたゆたう その1

ボルネオの東カリマンタンのマハカム河の河口に近いバリクパパンという町のホテルにいます。マハカム河の中流域まで船とボートでさかのぼり、きのう戻ってきたばかりなので、なかなか更新できずにいるのだけど、もう少ししたらマハカム河のことも書くつもりなので、しばしお待ちを。

マハカム河についてはいろいろあるのだけど、ひとつ問題となったのが「たゆたう」という言葉である。この言葉は船に乗っているとふいに浮かんでくるのだが、それ以外のときは、なかなかたゆたう機会がないせいか、ふだんの生活の中で思い浮かぶことはあまりない。しかし、マハカム河をさかのぼっていると、どうしても「たゆたう」が気になってくる。河のゆれとともに頭の中を「たゆたう」がたゆたいはじめるのだ。はじめに、そのことを指摘したのが旅に同行したスミオさんだった。

「たゆたう」とは、どういう意味か。航海をとおして、このことが大きな論議を呼んだ……とここまで書いたところで、チェックアウトタイムになってしまった。中途半端で申し訳ない。(つづく)

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マハカム河にたゆたう?小舟

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