「美しい」新刊のお知らせ

 
新緑の美しい季節である。更新のたびに季節が変わり、それに合わせて背景を変更している気がする。で、今回は新刊のお知らせ。予告とかも書くつもりだったのだけど、手をこまねいているうちに出てしまった。タイトルは『美しいをさがす旅に出よう』(右の写真参照)。といっても旅行記ではない。椎名誠さんが推薦文を寄せている白水社「地球のカタチ」シリーズの一冊。

 
内容はというと、人はどんなときに美しいと感じてきたのか、なにを美しいととらえてきたのか。それは地域や時代によってどのようにちがっているのかといったことを、さまざまな角度から考えてみた美しさをめぐるエッセイのような評論のような旅行記のような、図版のたっぷり入った本である。
 

シリーズ・コンセプトが高校生から読めるようにということだったので、美学や芸術論のような抽象的な議論ではなく、具体的な例をできるだけとりあげた。美しいとはなにかということよりも、こういう美しさもありなのだ、こういうものでも美としてとらえられるのだ、という観点から世界を見つつ、美しいという感じ方をより柔軟にする感性のストレッチをこころみたつもりだ。


それは、たとえば、歴史や地域の中で風景というものがどのように見られていたかといったこと、廃墟や解剖図が美しさの感じ方を切りひらいたこと、文化によって「美人」の条件が異なること、化粧と美意識の変化のこと、インドやアフリカなど世界のさまざまな民俗芸術のこと、動物にとって美しさと生存戦略との関係といったこと等々、さまざまである。これまで発表した文章も一部収められているが、ほぼ書き下ろしである。


Rimg0009

活字も大きめだし、図版や写真もたくさん入っている。表紙の帯には某編集長がインドで撮影してきたばかりのワルリー画を、編集長本人に先んじてお借りして使わせていただいた(ありがとうございます)。一風変わった本だけれど、旅やアートの好きな人なら、おもしろく読んでもらえるのではないかと思う。


Rimg0017_2

本文でもふれているが、美しいと感じる心の動きとは、人間にとって、とても不思議な感覚だと思う。ことによると、われわれの感性の中で、いちばん大切なのが、美しいという感じ方ではないか。なぜなら、美しいという感じこそが、生命を深いところから充実させ、支えてくれるものだと思えてならないからだ。

 
人と人との関係性もそうだ。自分にとって美しいものに相手が関心を示してくれたり、相手が美しいと感じているものに共感が湧くと、どんな言葉で説得したり説得されたりするよりも相手のことがより深く受け入れられる気がする。美しいという気持ちはコミュニケーションの基本であるようにさえ思えることがある。

Rimg0012_2


 
不思議に思うのは、なにかのおりに、それまで美しいと思えなかったものが、にわかに美しく見える「とき」があることだ。美しいと感じる地平が、潮の引いたあとにあらわれたなめらかな砂州のように、どこまでも広がっていく。そんなとき、いままでネガティヴにしかとらえられなかった風景や、関心の対象でさえなかったものが、はっとするほど美しく思えたりする。ああ、きみはそこにいたのか、という驚きである。それはまぼろしか思いこみかもしれないけれど、たとえそうであっても、そのときに見えた光景というのは、とてもだいじなもののような気がする。そんなことを考えながら、この本を読んでいただけたらうれしい。
 

Utsukushi_1

 
 
 

| | コメント (18)

オンム・セティの翻訳本第二弾

新しい翻訳本を出した。1年くらい前に、ジョナサン・コットの『転生−−古代エジプトから甦った女考古学者』(新潮社)という翻訳本を出したが、あの本で取り上げられていたオンム・セティという人物について、彼女と最も親しかったエジプト人が新たにまとめた評伝である。

Omm_sety_2_2

転生者オンム・セティと古代エジプトの謎』(学研/2008.10月刊/税込み2310円)


前にも書いたがオンム・セティはイギリス生まれの考古学者。エジプト考古局の最初の女性職員となって、一九八一年に上エジプトのアビドスで亡くなるまで、エジプト考古学の歴史の生き証人として多くのエジプト学者たちの尊敬を集めていた人物である。

 
そうしたアカデミックな世界に身を置く一方で自分が古代エジプト時代、アビドスの神殿の巫女をつとめていたという記憶をもち、その記憶に導かれるように本当にアビドスの神殿の調査官になってしまったという人である。


前回の本の著者のジョナサン・コットはオンム・セティの死後に取材をはじめてあの本をまとめたのだが、こんどの本はオンム・セティと四半世紀にわたって交流し、彼女を物心両面からサポートしつづけた人物によるもの。同じ人物を扱っているので内容的に重なる部分はあるが、一人の人物を異なる視点から見ると、ずいぶん見方にちがいが出てくるのだなと訳していて興味深かった。


著者のハニーさんというエジプト人はオンム・セティがもっとも信頼し、自分の内面生活を隠すことなく打ち明けた唯一の人物だった。それだけに、オンム・セティの内面生活や人間的な側面、エジプトの歴史に対する見方などをいっそう深く掘り下げている。もし、コットの『転生』を読んで面白いと思った方なら、この本もきっと面白く読めると思うので、興味のある方は読んでいただければ幸いです。


新しい本のタイトルは上の写真にもあるように『転生者オンム・セティと古代エジプトの謎』である。しかし、言い訳めいてしまうが、この本の原題は「Omm Sety's Egypt」(オンム・セティのエジプト)である。

 
それがどうして「転生者オンム・セティと古代エジプトの謎」になってしまうかというと、そこに日本の出版界の事情がある。昨年出したコットの『転生』だって、原書のタイトルは「The Search for Omm Sety」(オンム・セティを探して)である。どこにも転生なんて言葉は出てこないのである。


訳者としても、どちらも、そのままシンプルに日本語訳したタイトルの方が、本の内容を素直に表していてずっといいと思うのだが、そういう意見はなかなか通らない。

 
こんどの本は表紙カバーもなんともいえないのだが、中身には、編集担当の方の尽力で、カラー口絵を入れたり、コラムを4本も書き下ろしたり、長めのまえがきとあとがきをつけたり、読みやすくなるよう構成を変えたり、わかりやすくなるよう説明をくわえたりと、いろいろ工夫を凝らした。タイトルと表紙で違和感を感じる方があるかもしれませんが、中はデザインもふくめて、とてもいいので、くじけないでくださいね(?)。最後の方なんて泣けます。


ところで、タイトルが『転生者……』となると聞いたとき、とっさに思い出したのは中島らもの小説『ガダラの豚』である。その中で、物語に登場する民族学者が本を出版するくだりがある。手元に本がないのでうろおぼえなのだが、その学者はアフリカの民間呪術の研究者で、自分の論文に『アフリカにおける共感呪術の民俗学的事例の研究』といったようなタイトルをつけて編集者にわたすのである。

 
ところが、それが書店にならんだときにはなぜか『ズバリ、呪で殺す!』というようなタイトルになっている(あとで確かめます)。しかし、そのおかげか地味な論文であるはずのその本は爆発的に売れて、その学者はテレビで引っ張りだこになり、一躍お茶の間の人気者になってしまうのだ。まあ、それで本当にたくさんの人が読んでくれるのならいいのだが、はたしてどうなのだろうか。


話は変わるが、やはり今回のことで思い出したことがある。昔うちにポール・モーリア全集というレコードがあった。たしか母親が通販で買った10枚組くらいの箱入りのセットだった。高校生の頃はピンク・フロイドやジェネシスなど聴きながら、ときどき気が向くとポール・モーリアをかけたりしていたが、その中に収められていた解説がおもしろかったのを覚えている。

 
それは彼らのヒット曲で「オリーブの首飾り」という曲についてだった。チャラララララ〜というポピュラーなメロディーは、だれでもいちどは耳にしたことがあるはずだ。いまでも、よく手品ショーのバックなどに使われる。ここなどで聞ける。


で、このオリーブの首飾りだが、添付されていた解説によると、元のタイトルは「El Bimbo」(エル・ビンボー)というものだったらしい。オリジナルを演奏していたのは「ビンボー・ジェット」(!)というグループで、最初に日本で発売されたときのタイトルは「嘆きのビンボー」というものだったそうだ。


で、当然ながら、まったく売れなかったそうだ。もちろん「ビンボー」とは日本語の「貧乏」とは関係なく、イタリア語で「ベイビー」といった意味らしいが、音が同じだからやはり連想してしまう。なにしろ「嘆きの貧乏」である。

 
でも、曲自体はいいので、ポール・モーリア楽団が取り上げるにあたって日本語のタイトルを新たにつけることにした。そこで原題とまったく関係のない「オリーブの首飾り」というタイトルにしたところ、爆発的なヒットになったということが黒鉄ヒロシの描いた貧乏人のイラスト入りで書かれていた。


そのようなわけなので、「オンム・セティのエジプト」あらため「転生者オンム・セティと古代エジプトの謎」もよろしくお願いします。


 


プチ賭記:
一週間以内に次の更新をするという前回の賭だが、期限ぎりぎりで勝てました。これでプラス3000円です。次は一週間以内の更新に大胆にも3000円!

 
 
 

| | コメント (2)

孤独な鳥もときには……

本を書くのは、もちろん人に読んでもらいたいからなのだけれど、人がそれをどのように受け取るかまでは書き手はかかわることができない。


文章を書くというのは、なにかの思いを言葉にのせることだ。でも、すべてを言葉に乗せてしまって、そこに書かれたこと以外にはなにも残っていないという文章は、あまり面白く思えない。むしろ、どれほど書かれていないことがあるか。書かれている言葉の背後に、どれほどの言葉にならない広がりや深さがあるかが伝わってくるような文章がいい。


自分の書くものもそうありたいとは思うけれど、それができているかどうかは自分ではわからない。でも、その書かれていないことを見透してくれるような読者からの反応にふれると、うれしくなる。


もちろん、メディアにありがちな通り一遍な紹介であっても、それがきっかけで本を手にとってくれる人がいればありがたいが、こんどの『孤独な鳥はやさしくうたう』のように、旅の本のようでありながら、じつは紀行でも冒険でもなく情報とも縁がないとなると、とりあげ方もむずかしいだろう。自分でもどういって紹介すればいいのかわからず途方に暮れる。


 
「あら、旅の本なの、あたしも香港の食べ歩きとか好きなのよ。そういう話なの?」とか聞かれると、思わず「はあ、まあ、そんなもんです」とか答えてしまって、あとでちょっとさびしくなったりもする。

 

だからこそ、その奥にあるものに気づいてくれる人がいると、ああ、よかったなという気持ちになる。また、そういう人が書いてくれた感想を読んでくれれば、この本がどのようなものなのか、読んでいない人にもなんとなく伝わるのではないかと思う。

 

ひとつは黒夜行さんという、面識はないが、どうやら書店員さんらしい方が書いてくださったブログの文章だ。ひんやりとしたたたずまいのある端正な文章も、なかなかいいです。

 

つぎは、面識はなくはない美人人気主婦ブロガーの方が10日間かけて書いてくださったという渾身のレビュー。こんなに熱く、しかも細部にいたるまで読み込んでくれている読者がいることは書き手冥利に尽きる。ただし「ディーセント」とか「グレイスフル」といった点については多分に誤解もあるのですが。

 

あと、編集長宛てに椎名誠さんから、「孤独な鳥……を読みました」というファックスが来たという。あの忙しい椎名さんが読んでくれたというだけでも驚きなのだが、その感想もとてもうれしいものだった。私信なので、引用するのはどうかと思うのだが、ほんのちょっとだけ引用させてください。

 
「……おだやかで沈静したようなふところの深い文章に感心しました。この作品は文学ですね。現代の話なのに古典的な風景がひろがっている。……いい文章、いい本です」


 
なんとなく、どんな感じのものかわかっていただけたでしょうか。もし読んでみようという気になっていただけたらうれしいです。


| | コメント (3)

「孤独な鳥はやさしくうたう」+ジュバの蛍

 
こまめな更新を心がけるといいながら、また、間があいてしまった。ページの更新を待ってくださっていた方には、ホント申し訳ないです。今度こそ、そうならないよう気をつけます。といってもあまり説得力はないなあ。コメントをくださったみちこさん、かおりさん、「今週中」の予定が守れず、すみませんでした。でも、新刊のほうは予定どおり出そうです。


旅行人のホームページの編集長ブログでも告知されていましたが、新刊のエッセイ集『孤独な鳥はやさしくうたう』が6月25日に出る。本来なら、もっと余裕をもって原稿を仕上げていなくてはならなかったのだが、結局、一昨日の最終入稿の数時間前まで、あとがきやら、加筆や訂正やらにかかっていた。


今度の本はとてもいいものになったと思う。デザインもかっこよくて自分の本とは思えないほどである。表紙の不思議なオブジェはバリ島で知り合った美術家鈴木純郎さんの作品を使わせていただいた。


20080605160956

中身はこれまで十数年にわたって書いた、おもに旅をめぐる文章の中から厳選したものに手を入れ、さらに書き下ろし一本を加えたもの。「バルセロナのストーカー」「星の王子の生まれたところ」「マラケシュのラヴェル」など硬軟とりまぜて、いろんなスタイルで書いたものを収めてある。


最近は旅をしながらリアルタイムでレポートを書くようなスタイルが流行っているが、旅の経験を寝かせることによって初めて見えてくるものもある。このブログしか知らない方にも読んでいただければと思う。よろしくお願いします。といっても、発売はまだ少し先なのだけど。

 

 
 
でも、これだけで終わってしまうと、久々だというのに、まるで宣伝のために更新したみたいなので、もう少し書く。先日、横浜でアフリカ開発会議というのが催され、それに合わせてアフリカ関係の特集が新聞やテレビなどでもたくさん組まれていた。BSでは1985年のライブエイドを立ち上げたボブ・ゲルドフのインタビューなども流れていたが、ちょうど、ライブエイドやバンドエイドが盛り上がっていたあの時期、ぼくはアフリカのスーダン南部にいた。


その頃、スーダン南部はいまもくすぶっている南北内戦の小康状態にあった。ぼくは当時、南部の村で調査をしていた人類学者の栗本さんといっしょに彼のフィールドの村を訪れ、熱射病になって南部の首都であるジュバに帰ってきた。もっとも首都といっても名ばかりで物資はなく、多くの建物はこわれかけていて、そこいら中から人糞の匂いが漂ってくるような荒廃した町だった。


Scanned_picture23_2

熱射病からようやく回復したとき、栗本さんに「パーティーがあるから行きませんか」と誘われた。パーティー? ジュバでパーティーとは意外だった。


夜、栗本さんとパーティー会場に向かう。街灯もないまっくらなサバンナの道をランドローバーで会場へと走る。その暗闇のむこうに明かりが見え、ドラムの音がきこえてきた。サバンナの真ん中に設けられたパーティーの会場だった。


集まっていたのは欧米の援助関係者、スーダン人の男女など、さまざまだった。かんたんなステージが設けられていて、アフリカ人の生バンドが演奏している。夏のビヤガーデンみたいな、心和む雰囲気だ。イスラム法を採用しているスーダンだが、キリスト教徒の多い南部ではウガンダから入ってくるビールが自由に手に入った。


病み上がりだったけれどもビールを飲むうちに気分がよくなってきて、スーダン人の女の子と踊る。そのとき唐突に流れてきたのが、当時日本でもうんざりするほどかかっていたアメリカ発のアフリカ援助のキャンペーンソング「We are the world」だった。


内戦のさなかにあるスーダン南部で、スーダン人の女の子と「We are the world」で踊るのは妙な気分だった。あの歌の詩には「アフリカ」という言葉は出てこないけれども、「命のために手を貸そう」とか「ひとつになって立ち上がろう」とか「愛が必要だ」といった文句が出てくる。


けれども、その歌詞を耳にしながら、めいっぱいおしゃれをした女の子とビールに酔って踊るのは、なにかちがう気がした。女の子に、「この歌、知ってる?」と訊くと、「知らないわ、でもいい曲ね」といった。そういわれると、なにもいえないので、そのままビールを飲んで踊りつづけた。「We are the world」は、そのあともなんどもくりかえしかかった。


夜が更けても、パーティーはつづいた。生バンドの演奏の番になると、ステージのライトが輝き、激しいドラムとベース音があたりに響きわたる。アフリカン・ポップス特有のせわしないリズムに合わせて、ギターが小刻みなフレーズをくりかえす。いった、ここはどこなんだろうと思ったそのとき、突然、バチンと音を立てて電気が落ちた。


同時にエレキベースとエレクトリックギターの音は消え、あたりは瞬時にして漆黒の闇に包まれた。その闇の中でドラムの音だけがどろどろと闇を揺さぶるように響いてくる。恐ろしいほどの濃密な闇だった。こんなすごい闇の底にいたとは思わなかった。


その闇に少しずつ目が慣れてくると、目の前にちらほらと光の粒が舞っているのに気づいた。なんだろう、これはと思って、あたりをみまわすと、そこいら中、まるで空の星が降りてきたかのように、おびただしい小さな光の粒が明るくなったり、暗くなったりしながらゆらゆらと舞っている。


Firefly !


だれかが声をあげた。一面の蛍だった。照明で明るかったときにはまったく気がつかなかった。


ドラムはいぜんとして押しよせてくる闇に抵抗するかのように激しいリズムを刻みつづけていたが、それもやがてやんだ。人びとの会話も闇の中に沈み、あたりはどこまでも広がる闇と、飛び交うホタルの光だけになった。見上げると、しぶくような凄まじい星空だった。


どのくらい、それがつづいただろう。しばらくすると突然電気が回復した。照明がつき、スピーカーから「We are the world」がふたたび流れはじめた。闇は消え、蛍はもう見えなかった。人びとが立ち上がって踊り出した。ぼくも立ち上がったが、踊りには加わらず、暗いサバンナのほうに50メートルくらい歩いていって、そこで闇のほうに向けて小便をした。数匹の蛍がちらほら、そのまわりを舞っていた。

……なんだか、書いているうちにエッセイみたいになってしまった。こういう発作的なことをしてしまうから、なかなか更新できなくなるんだな。まあ、そのようなわけで新刊のほう、まだ少し先ですがお楽しみに。更新も、します。

 
 
 
 
 
 

| | コメント (6)

『転生』という翻訳本を出しました

転生—古代エジプトから甦った女考古学者


エジプトにいたとき、上エジプトのアビドスの神殿にイギリス人のおばあさんが何十年も暮らしていた、という話を聞いたことがある。人づての噂によると、そのイギリス人女性は自分が古代エジプト人の生まれ変わりだと信じていて、神々の像に供物や香をたいて祈りを捧げていたという。旅行者が来ると古代の巫女のような格好をして、神殿を案内していたらしい。

エジプトに暮らす外国人には変わった人が多いが、この女性も相当に変わっているなと思ったが、本人は10年以上前に亡くなっているらしく、その後は忘れていた。ところが、その後、ルクソールで本屋に寄ったとき、その女性について書かれている本があることを偶然知った。ジョナサン・コットというアメリカの作家の書いた『The Search for Omm Sety』(「オンム・セティを探して」)という本だった。

一読してみると、これが途方もなく面白い。噂を聞くかぎり、妄想にとりつかれた変人くらいにしか思っていなかったのだが、実際はとんでもない。たしかに変わり者ではあったようだが、妄想狂どころか、じつに数奇な人生をたどってきた知性あふれる魅力的な人物だったことを知って、ひたすら驚かされた。不思議なのだけど、それだけではなく、胸に迫るように痛ましさと美しさをもった、人生の深淵を感じさせる希有な話だった。

女性の名はオンム・セティ。たしかに彼女は自分が前世で古代エジプト人だったということを終生にわたって信じていた。また、自分が3000年前のファラオ、セティ1世の愛人であったというヴィジョンを生涯にわたって持ち続けた。しかし、一方でオンム・セティはほぼ半世紀にわたってエジプト考古庁に勤め、そのエジプト学やヒエログリフについての該博な知識はエジプト学者からも高く評価されるほどだった。(注;オンム・セティのことは「旅行人」本誌157号にも書いたのですが、こちらはweb版ということでやや別バージョンの話を書きます)。


現在活躍している中堅のエジプト学者の多くが、オンム・セティを親しい友人として、またすぐれた研究者として尊敬している。つまりオンム・セティは、アカデミックなエジプト学と、前世体験という二つの対照的な世界を同時に矛盾なく生きてきた人物だったのである。

Abydos_3

オンム・セティが、どのようにして古代エジプトの前世を知るようになったのか、そしてその彼女がどのようにエジプト学研究者となって、晩年はアビドスの神殿のそばに暮らすようになったのかは、そのまま映画にでもなりそうなドラマチックな物語である。そのユニークで数奇な人生についてはナショナルジオグラフィックやBBCがドキュメンタリーをつくっているほどである。

彼女の残した日記や友人のエジプト学者らの証言をもとに、「いったいオンム・セティとはだれだったのか」を初めて評伝としてまとめたのが、先ほど挙げたジョナサン・コットの本だった。それがこのたびぼくが翻訳した『転生―古代エジプトから甦った女考古学者』(新潮社)である。

この本はとても不思議な本だ。転生とか生まれ変わりといった、怪しげに見られがちなテーマを扱っていながら、この手の本につきものの胡散臭さがほとんど感じられない。それは著者のコットの関心が、転生体験が真実か否かといったことよりも、そうした個人的な体験を、実人生と絶妙に調和させていった彼女の生き方をていねいに描いていたからだ。

思うに、神秘体験なんてありふれている。私はだれそれの生まれ変わりだ、といった話など珍しくもないし、それが本当かどうかなんてだれにもわかりっこないのだ。むしろ大切なことは、そうした他人にはわからない個人的な内面世界を、いかに本人が実人生の中に織り込んで、豊かなものに成熟させていけるかということではないだろうか。それは、いわば芸術家の仕事にも似ている。オンム・セティの人生は、まさにそうしたものだったように思う。あのオノ・ヨーコが、この本を絶賛していると聞いて、その感をいっそうつよくした。

Vlcsnap1190589
友人のエジプト学者と語らう晩年のオンム・セティ

また、この本ほど古代エジプトがどういう世界だったのか、ということについて生き生きとしたイメージを描かせてくれるものはめずらしい。というのも、多くの場合、古代エジプトというと、どうしてもピラミッドやツタンカーメンの秘宝といった「物」への興味が中心になりがちだからだ。

学問的にそれらのテーマを取り上げたものならば、たくさんある。けれども、古代エジプト人がなにを考えていたのか、彼らの目に空や川や砂漠はどんなふうに映っていたのか、風のそよぎはどう響いたのか、そうした彼らのこまやかな心象世界を、オンム・セティはみずから体験しつつ共感をもって語ることのできるゆいいつのひとだった。古代エジプト人の息遣いや鼓動を、刻々と感じながら、現世を生きていたひとだった。それはときとしてエジプト学者たちが予想しなかった考古学的な発見にも結びついた。だから多くのエジプト学者から彼女は慕われ、敬意を払われていた。

Vlcsnap1190997_2
晩年のオンム・セティ。アビドスのセティ1世神殿の前で。


また、この本では、彼女の転生体験をニュートラルな視点から見つめる著者のアプローチがとてもいい。それはこの本を書いたジョナサン・コットが、いわゆるスピリチュアル系の作家ではなく、「ローリングストーン」誌の編集者出身でグレン・グールドやジョン・レノンやボブ・ディランへのロング・インタビュー本や、ラフカディオ・ハーンの研究書などで知られている芸術家肌の作家であることも大きく関係している。

コットとのメールのやりとりの中で、ぼくは、どうしてグールドやハーンの芸術に深く惹かれてきたあなたが、オンム・セティという一見まったく畑違いの人物に興味を持ったのですか、と訊ねてみた。

コットは返信メールの中で「私にはグールドもハーンも、そしてオンム・セティも自分にとっての本当の故郷を探し求めて旅をしていた人のように思えるのです」と書いてきた。

つづけて彼はこう書いていた。私信ではあるけれど、とても印象的だったので、ここに訳しておく。

「……私が好きなのは、彼らのように地理的な境界、先入観や常識という境界を超えてゆく人なのです。その本質をよく表しているフランスの中世の哲学者サン・ヴィクトルのフーゴーのこんな言葉があります。

『自分の故郷を愛おしむ者は、まだ未熟者である。

どこの土地でも故郷だと思える者は、すでにひとかどの力ある人である。

だが、全世界は異郷のようなものだとする人こそ完璧なのである』

このことをいつも感じるのはグレン・グールドの音楽にふれるときです。幸運なことに、私は数年にわたって電話を通じて、100時間以上もの時間をグールドと共有することができました。グレン・グールドはなみはずれた人物であり、私のヒーローのひとりです」

そんなわけで、もしこの本(『転生』)に興味を持って読んでくださるならば、バックグラウンドにグールドのCDをかけてみてはいかがでしょう。個人的には、バード&ギボンズ作品集や、ブラームスを弾いているやつなどがお薦めであります。

バード&ギボンズ作品集(紙ジャケット仕様)

ブラームス:4つのバラード、2つのラプソディ、間奏曲集

はぁ、なんだか長くなって訳者あとがき別バージョンみたいになってしまった。こんなんだから間が空いてしまうんだな。次回は短くいきます。

| | コメント (15) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

CD | かっぱくんとあひるさん | 旅行 | 旧館2002 | | 楽器 | 雑記 | | 音楽