翻訳本『10代からの社会学図鑑』が発売!

わたしが翻訳した『10代からの社会学図鑑』(クリス・ユール&クリストファー・ソープ/三省堂 2200円+税)が本日(11月22日)発売です。

46508647_1930989417018214_434958380


世の中であたりまえや常識と思われていることの多くが、じつは時代や社会のありかたによって規定されることを示してくれるのが社会学。アイデンティティ、教育、制度、犯罪、貧困、宗教、グローバリズム、健康、男女の性といったものも、自明のものではなく、その概念を扱う社会とのかかわりを抜きには考えられません。


そうした社会学の基本的な考え方が見開きワンテーマでイラストをまじえて平易に、しかもかなり広範囲にわたってていねいに解説されています。マルクスやデュルケームから現役の社会学者まで人物ごとの紹介つき。「10代から…」とありますが、30代でも90代でもノープロブレムです。もっとくわしく知りたい方には同著者による『社会学大図鑑』(三省堂 4200円+税)もあります。


46439116_1930998963683926_686073952

以下は校正校閲と、編集の一部を担当された藤本なほ子さんによる紹介文です。(´Θ`)ノ

ーーー

7月に刊行された『社会学大図鑑』の姉妹編といえる書籍で、編著者も共通しています。
『10代からの社会学図鑑』は、人物ごとの項目立てだった『社会学大図鑑』とちがい、テーマごとの項目立てです。現代社会における諸問題を直接に扱い、若い読者層の関心も惹きやすい構成となっています。


「社会学を知る」というより、「社会学的な視点から個人的/社会的な問題をとらえ、考える」という方針が前面に出された本です。(その結果として、社会学を直接に知り、「社会学的想像力」を身につけていくための本となっています。)


この方針が全ページで実践され、かつ欧米の社会/時代/歴史の文脈に沿っているので、一定の教養のある方々にも必ずや得るところが多いだろう、と思います。


目次

○社会学って何?
○社会学者はどんなことをするのか?
○研究方法

「私ってだれ?」(アイデンティティ)
 ・私のアイデンティティって何?
46480234_1930998440350645_246599767


 ・女の子、男の子
 ・女性と仕事
 ●人物紹介/ジュディス・バトラー

46456097_1930999117017244_554749702


 ・私はどこに属するの?
 ・人種って重要なの?
 ●人物紹介/イライジャ・アンダーソン
 ・だれを愛していますか?
 ・年齢と社会
 ・家族ってどういう意味?
 ・いまは、みんな中産階級なの?
 ●人物紹介/カール・マルクス
 ◎実生活のなかの アイデンティティ

「社会は存在するのか?」(社会制度)
 ・学校は何を教えるの?
 ・制度って、いいものなの?
 ●人物紹介/チャールズ・ライト・ミルズ
 ・権力をもっているのはだれ?
 ・宗教の社会的役割は?
 ・宗教は、まだ重要?
 ・田舎暮らし 都会暮らし
 ・コミュニティの感覚
 ●人物紹介/マックス・ウェーバー
 ・私たちはどうして働くの?
 ・仕事はどう変わる?
 ●人物紹介/アーリー・ホックシールド
 ・監視される労働者

46495070_1930998397017316_295269663


 ◎実生活のなかの 社会制度

「なぜすべてが悪くなるのか?」(犯罪と健康)
 ・なぜ人は罪を犯すのか?
 ●人物紹介/エミール・デュルケーム
 ・社会のルールを破る
 ・ホワイトカラー犯罪
 ・私たちはみな撮影されているのか?
 ・推理小説?
 ●人物紹介/ハワード・ベッカー
 ・健康と平等
 ・生きづらさとメンタル・ヘルス
46516521_1930998727017283_116305520


 ◎実生活のなかの 犯罪と健康

「どうして世界はこんなに不公平なのか?」(富と発展)
 ・スーパーリッチ
 ・富と地位
 ・貧困のわな

46445205_1930998750350614_580541661

 ・悪いのはだれ?
 ・人種差別はどこから来た?
 ・発展途上国は、どうしてまだ発展しないのか?
 ●人物紹介/ボアベンテュラ・デ・ソウサ・サントス
 ・グローバル化は、よいこと?
 ・グローカリゼーション
 ●人物紹介/サスキア・サッセン
 ・私たちは地球に何をしているのか?
 ●人物紹介/アンソニー・ギデンズ
 ◎実生活のなかの 富と発展

「現代の文化」(文化とメディア)
 ・我買う、ゆえに我あり?
 ・文化とは何か?
 ●人物紹介/ピエール・ブルデュー
46485484_1930999143683908_392814294

 ・余暇
 ・私たちは不確かな時間を生きている
 ●人物紹介/ジクムント・バウマン
 ・マスメディアはあなたに影響を及ぼしているか?
 ・だれがメディアを所有しているか?
 ・だれが、何をニュースであると決めるのか?
 ・あなたは、どこからニュースを得ているか?
 ・インターネットは、あなたに何をしているか?
 ・あなたはオンラインで生きているか?
 ◎実生活のなかの 文化とメディア

○社会学者人名録
○用語解説
○索引

| | コメント (0)
|

蔵前仁一さんの『テキトーだって旅に出られる!』

蔵前仁一さんの『テキトーだって旅に出られる!』(産業編集センター)が出た。前著の『あの日、僕は旅に出た』が蔵前さんの30年以上にわたる旅の歴史について語った本であったが、こちらは自分の旅のスタンスと、若い人たちへの旅のすすめについて語った本だ。

Img_3511


蔵前さんの登場が新鮮だったのは、それまで旅を語るときにありがちだった「旅はかくあらねばならない」といった思い込みから旅を解放してくれたことにあったと思う。「そんなものは本当の旅ではない」とか「これこそ本当の旅だ」的な、旅を枠に押し込めていくような見方から彼はいつも自由だった。


たとえば、それまではよく「インドに行くと人生が変わる」という言い方がされていた。そうした旅の周辺にまつわりついていた先入観や偏見のベールを、彼はその軽やかで、飾らない文体によってひきはがしてくれた。だからこそ多くの人たちが彼の本を読んでインドやアジアやアフリカへと旅に出た。


蔵前さんの本にはイラストがたくさん入っているので、彼の本を読んだことのない人は、ドタバタや失敗談などの熱い旅の話が読めるのではないかと思う人もいるかも知れない。しかし、そうではない。熱いどころか、冷めている。彼は、話を盛ったり、ロマンに浸ったりしない。ある読者が、彼の印象をひとことでいうと「平熱の人」だと書いていたことがある。言い得て妙だ。蔵前さんは熱に浮かされた旅のフリークではなく、好奇心の強い平熱の人なのだ。


旅を枠から解放するような文章を書きつづけてきた蔵前さんだが、この本では、彼自身がどういうところに旅のおもしろさや楽しさがあるかということについて、これまでになくストレートに語っている。「旅は命を賭けるようなものではないが、自分の快適空間からはるか遠くに離れるという意味では一種の冒険なのだ。・・・そして乗り越えた先には必ずおもしろい世界が待っている(はずだ)」


快適空間とはいってみれば予想可能で安心で便利な空間である。そこから離れるとは思いがけないことや予想もつかない想定外に向き合うことだ。それは快適ではないかもしれないが、快適空間の中にいてはけっして味わえない驚きであり、それこそがその人の記憶に残り、世界の見方を形づくっていく。それはガイドブックには書いていない、そのひとだけの経験であり、そういう自分だけのインドやアフリカやアジアに出会うことこそが旅の楽しみなのだと蔵前さんはいいたいのだと思う(たぶん)。


若い人たちがあまり旅行をしなくなったといわれるが、彼はこう書く。「今や海外旅行に出ること自体はまったくむずかしいことではなく、むしろ簡単すぎるぐらいなのだが、そういう時代に若者が海外旅行をしないのは金やヒマがないというよりも興味がないということだろう。そういう人を無理に海外旅行をさせる必要はないと僕は思うけれど金とヒマがなんとかなり、行く気がある場合は、行かないのはかなりもったいない」


そう、もったいない。アタマのやわらかい若いときこそ旅をしてほしいとおもう。なぜなら慣れ親しんだ世界の外に出て、初めて自分の中にある差別意識や偏見や先入観に気づけるからだ。快適空間の中にいると、そうしたものに出会わずにすむから、自分の中の差別意識に気づかないまま、自分は「いいひと」だと思い込んでしまいがちだ。


快適空間の外に飛び出して初めて「自分」が見えてくるものなのだ。現代は快適空間が(バーチャルなものもふくめて)どんどん拡大している時代だ。それでも旅をすれば、いくらでも快適でないことが起きる。わざわざお金を出して快適でないことなどしたくない、というかもしれないが、ふしぎなことに、旅では快適でないことがとても楽しかったりするのだ。それがどういうことか、この本を読めばわかる。


私事ですが、じつはわたしもいま似たようなテーマで旅について本を書いています。遅れているのですが、タコのせパワーでがんばって秋には出せるようになんとかするつもりです。。<(;˘⊖˘)>


| | コメント (0)
|

浅川芳裕さんの新刊『カイロ大学』発売!

ついに発売! 農業ジャーナリストにとどまらない活躍をされているカイロ時代からの古い友人で、カイロ大学中退の浅川芳裕さんの新刊『カイロ大学』(KKベストセラーズ)。これは本当におもしろいです。


Img_2911_2


一般には小池百合子都知事が出たというくらいでしか知られていないカイロ大学ですが、この大学自体が相当にユニークです。その建学からエジプト革命後の今日にいたる歴史をわかりやすく解説した、というだけではありません。


いや、そこも、もちろんすごく面白い。なにしろカイロ大卒業生には、あのサダム・フセインや、アルカイダ指導者のアイマン・ザワヒリといった物騒な人たちから、ノーベル平和賞をとったPLOのアラファト議長、ノーベル文学賞のナギーブ・マフフーズ、それに日本人で初めて博士号とったハサン中田考さんなど、テロリストから政治家、文化人、知識人まで多種多様な卒業生がいて、しかも、なんと学生数20数万(!!!)という超マンモス大で、寮生だけで1万人くらいいて、そのなかにイスラム武闘派などのさまざまなセクトから秘密警察の詰め所まであって、学生運動で当局に殺された学生が数百人という日本の大学の常識では計り知れない熾烈と混沌の世界なのである。


中東の近現代史をカイロ大を軸として見るという視点も興味深い。オスマン帝国が滅んで、カリフ制が廃されたあと、西洋近代化の波にさらされ、アイデンティティの危機に直面したアラブの大国エジプト。そうした時代背景の下で創設されたカイロ大学の学生・教師らから起こった闘争や活動がその後、どのように中東の多くの地域に波及して、9.11やアラブの春、そして今日の停滞と混乱へとつながっていくことになるのか、その流れがよくわかる。


だが、それにもまして、19歳でエジプトにわたった若き浅川青年の学生生活について書かれた第7章が面白すぎる。前にぼくのブログでも紹介したことがあるが、高校時代に湾岸戦争に衝撃を受けて、高校卒業後すぐバグダッドへ行こうとして、それがエジプトに変更となり、モスクで礼拝中のエジプトの文部大臣にカイロ大の入学許可をくださいと直談判したり、入学後はヘブライ語を専攻して秘密警察に追われてなんども拘束され、よりによってイスラエルに逃げたり、帰りにガザのハマスの口利きでアルバイトしたり、あげくのはてに秘密警察に捕まって拷問されたり等々。怖れも葛藤も迷いもない即断即決の無謀な青春記でもある。


カイロにいた当時、浅川さんは、たまにうちに遊びに来てごはんを食べたりした。当時の彼は短髪で、黒縁メガネをかけて、白シャツに黒いズボンという、端正で、まじめそうな若者だったのだが、ぽろりと出てくるのがこの本でも書かれているような耳を疑うような話ばかりで、こんなことしていたら、いつか死んじゃうんじゃないかと、こちらのほうがハラハラしたものだ。こうして生きていてくれて、なによりです。でも、よい子はけっして真似してはいけません。


1990年代前半のカイロには、浅川さんをはじめ、いまエジプト考古学者になっている河江肖剰さんや、この本にも出てくるいまイスラーム法学者になっているハサン中田さんも近所に住んでいて、みんな若かったし、おもしろかった。それぞれが見ているカイロはまるでちがっていた。ピラミッドなどの遺跡のある観光地としてのカイロも、カイロを構成する無数のレイヤーのひとつでしかないことを浅川さんはリアルに教えてくれた。彼がどのような世界に生きていたかは第1章の「カイロ流交渉術の極意」でもその一端が披露されている。よい子はけっして真似してはいけません、というか、たぶん真似できません。。。


本書は「世界最強の大学カイロ大学留学のすすめ」ということになっていて、日本からの留学の仕方なども冗談みたいに、ていねいに説明してある。ただ、これを読んでカイロ大学に本当に行きたいと思う人がいるかどうかはなんともいえない。だが、ハーバードやオックスフォードといったエリート大学からはけっして見えない、世界の身もふたもない風景が、ここからはきっと生々しく見えることはまちがいない。その混沌と闘争によって培われた知恵が、これからのカオティックな世界を生き抜くのに必要なのだといわれれば、なんとなく説得力もある。新書ではあるが、今年の現地取材も加えて構成した300頁をこえる混乱の力作がたったの920円とはお得すぎる。あひる商会CEOもお手伝いしました。(´Θ`)ノ


と書いていたら、最近カイロ大学が5人の教授をテロ活動に関与しているとして解雇したというニュースが。。



| | コメント (0)
|

わたしの訳した『自然のふしぎ大図解』という本が出ました

わたしが翻訳した『自然のふしぎ大図解』(作:A・ウッド&M・ジョリー/絵:O・デイビー/訳:田中真知/偕成社 3240円)という本が発売されました。英国のイラストレーターによる、とてもすてきなイラストが全編につかわれた自然と生きものをめぐる大判の図解解説本です。独特な味のあるイラストが魅力ですが、それぞれの動植物の特徴は正確に描かれています。


Img_1011


絵本のように眺めているだけでも楽しい本ですが、内容も劣らずすばらしい。熱帯雨林、砂漠、水辺など、さまざまな環境にくらす生きものが、生きのびるためにどのような戦略をとり、互いにどのようにかかわりあっているか、しっかり押さえられています。


Img_1018


平易ながら、食物連鎖や移動、生物多様性、群れと社会性、擬態など自然や生命の本質をきちんと伝えているのは、さすが環境生態学の先進国にして、あひる先進国でもあるイギリスです。こういう本はなかなかなかったと思います。総ルビなので小学生から読めますが、自然や動植物について基本的なことを学びなおしたい大人にもつよくおすすめです。<(˘⊖˘)ノ


Img_1021



| | コメント (0)
|

小松義夫さんの新刊『人と出会う場所 世界の市場』が楽しい!

旅に出ると、まず市場を見にいく。市場ほど、そこに暮らす人びとの生活がよく見える場所はないからだ。どんなものが売られているかだけでなく、売っている人たちや、そこにやってくる人たちが、どんな顔をして、どんな服を着て、どんなふうに歩き、どんなふうにしゃべり、どんなふうに笑うのか。どんな音や匂いや色があるのか。そういう刺激に五感をさらしていると、そこに暮らす人びとが生きているリズムが、じわじわとからだに伝わってくる。それくらい市場は土地と人びとをめぐる多様な情報にあふれている。それに、なんといっても楽しい!


Img_0641


小松義夫さんの新刊『人と出会う場所 世界の市場』(アリス館)は、まさに、そんな市場の楽しさをいっぱいに伝えてくれる。小松さんには『地球生活記』や「地球人記』(いずれも福音館書店)など世界の暮らしを撮影した写真集がたくさんある。世界中の変わった家を、まちがいなく世界でもっともたくさん撮影されている方だ。家といっても有名な建築家がつくった「作品」ではない。土地に根ざした暮らし方から生まれた、それはそれは不思議な家ばかりだ。そうした家はそこに暮らす人びとと切り離せない。だから、小松さんの写真集には人がたくさん出てくる。


この本も主役は人だ。東ティモールの市場、インドの花市場、ミャンマーの湖上の市場、ブルキナファソの壺の市場、アルバニアのヤギやヒツジの市場、オマーンの魚市場など、登場する市場はじつにさまざま。その市場をどんな人たちが行き交い、どんなふうにものを売って、どんなふうに食事をして、どんな屋台が出ていて、どんな「計り」が使われているのか。世界各地の市場から見えてくる人びとの暮らしぶりはじつにさまざまなのだけれど、でも、売ったり買ったり、食べたり、飾ったり、集ったりというひとびとの営みは、どこでも共通している。


この本では写真の中にちょっとした説明がついている。「おしゃべり中」とか「床には毛皮をしく」とか「屋根から草が生えている」とか、眺めているだけでは見逃してしまいそうなところにコメントがついている。おかげで、「こんなところにこんなものが」という発見がある。よく見ると、笑っているヒツジがいたり、手にヘナの模様を描いている女の子がいたりする。ほかにもいろいろある。ブリューゲルに「子どもの遊戯」という絵があるけれど、あんなふうに、一枚の写真の中にたくさんの物語が展開されている。


Img_0642


小松さんは「市場は品物を売り買いするだけの場所ではなく、人の生活があらわれ、また文化がそだっていく、とても魅力的な場所」であり、「人と人とが出会い、集い、交じり合い、新しい力が生まれる場所」と書く。だから、市場はショッピングモールとはちがう。「誰に言われたわけでもないのに、人びとがあつまり、路上に品物をおき、売り買いをしている・・・それが定着していつしか町となった場所がたくさんある」と小松さんはいう。「誰に言われたわけでもない」というのが、だいじなところだ。誰に言われたわけでもなく生まれたものには、気持ちのよい自然な活気がある。市場が楽しいのはきっとそのせいだ。



| | コメント (0)
|

浅川芳裕さんが 『ドナルド・トランプ 黒の説得術』という本を出した

米国大統領選決着が間近の中、ジャーナリストの浅川芳裕さんが『ドナルド・トランプ 黒の説得術』(東京堂出版)という本を出した。浅川さんは、農業分野での仕事がメインだが、もとはカイロ大学でアラビア語やヘブライ語を学びつつ、イスラム主義者の取材やらなんやらでエジプトで計6回留置場に入った経験をもつ恐れを知らない男である。


Img_0451


その彼がどうしてトランプの本を? しかも、トランプへの逆風が吹いているこの時期に? あとがきにも書いているが、浅川さんはもともと共和党候補の一人だったランド・ポール上院議員に親近感を抱き、ランド・ポールの著書『国家を喰らう官僚たち』(新潮社)の翻訳を手がけたほどだった。


ランド・ポールは共和党議員の中でもきわめて理性的・現実的な人物だ。彼は「アメリカをだめにしているのはワシントンに巣くう特権階級やロビイストといった既得権益者である」という立場から現実的な議論を展開していた。ところが、そのランド・ポールが共和党の予備選で、泡沫候補と見なされていたトランプとテレビ討論で相まみえるや瞬殺されてしまった。。。


それがきっかけで、トランプとは何なのだと関心を持った浅川さんは、予備選終盤の時期に米国を訪れ、トランプの政治集会やその参加者、ワシントンのシンクタンク研究員らに広く取材した。日本のトランプ報道は基本的にCNNをはじめ米国の反トランプ側メディアの見かたを踏襲しているが、浅川氏は逆にトランプ陣営の側に身を置いて、投票所などをこまめに訪れ、そこから見えてくるものをさぐった。また、過去のトランプのインタビュ−やスピーチ動画を子細に分析し、なぜトランプがこれほどの支持をとりつけることができたのかを明らかにしようとした。


興味深いことに、トランプの基本認識はランド・ポールや、そしてクリントンに敗れた民主党候補のバーニー・サンダースらに近い。「移民出ていけ」という話ではなく、ブッシュやクリントンといった特権的エスタブリッシュメントが力を持ちすぎたことが、アメリカをだめにしている、という見方だ。しかし、サンダースもランド・ポールも、トランプのように支持をかためられなかった。それは彼らに「説得術」というノーハウが欠けていたからだという観点からまとめたのが、この本だ。


では、どのような説得術なのか。たとえば意地悪なインタビュアーに「あなたの女性の支持率は低いですね。どうしますか?」と問われたら、ふつうの候補者なら「いや、そんなことはありません」といって、それに反するデータを提示したりするだろう。だが、トランプはこう返す。


「女性は私のことが好きです。とても多くの女性が私のことを支持しています。彼らはこういいます。私たちがドナルド・トランプを好きなのは、強さを感じるからです。この国を守ってくれるからです。女性を守るだけでなく、みんなを守るので、みんなトランプが好きです」(2016.3.31 Fox Newsによるインタビュー)


答えになっていない。。。女性の支持が低いというツッコミなのに、「女性はトランプが好きな話」に変わり、最後は「みんなトランプが好き」という結論にすりかわってしまう。


これが説得術と呼べるのか? 詭弁とも呼べないではないか。事実そのとおりなのだが、こうしたやり方でトランプが支持を伸ばしてきたのも紛れもない事実だ。それがどうして通用するのか。そのことを社会心理学やアリストテレスやキケロまで引き合いに出して分析したのが、この本である。


つまり、トランプの一見支離滅裂なスピーチが、じつはダブルバインドやフレーミング、認知バイアスやバンドワゴン効果といった社会心理学の諸法則や、古代ギリシア・ローマの弁論術の原則にかなっており、トランプ自身もそうした効果を見越して、ライバル候補へのあだ名のつけかた一つをとっても、緻密な計算にもとづいて、言葉を組み立てていることを、スピーチの分析から明らかにしていく。


たとえば、トランプはわざと曖昧な文言を用い、細部を語らない。それは彼が無知だからではなく(無知もあるのかもしれないが。。)、「聞き手一人ひとりが自分の信念に応じてトランプの発言を都合よく解釈し、つくりかえていく」効果を見越しているからだという。


物語のピースをあたえることによって、聞き手がそれを勝手に解釈して、自分の物語を作っていく。単一のストーリーを強圧的に与えるのではなく、聞き手の解釈を優先し、それに応じて、次のピースをばらまいていくのがトランプのやり方だ。その意味でトランプには強固な政治信条があるわけではなく、人びとの無意識を巧みに浮き彫りにして、それを自分への支持にむすびつけていく手腕に長けているといえる。


興味深かったのは、トランプが唯一師匠と呼んでいるビンセント・ピールという人物にふれている箇所だ。ピールは第二次大戦後に活躍した国民的に人気のあった米国人牧師で、今日自己啓発やビジネス成功哲学などでよく使われる「ポジティブ・シンキング」という言葉の生みの親でもある。また、キリスト教をエンターテインメント的なショー(スピーチ)によって成功哲学とセットにして伝える、というアメリカ的なキリスト教普及のあり方を確立した人物でもある。


ピールはアメリカ的なプロテスタンティズムをビジネスやライフスタイルと結びつける強固なモデルをつくった。その意味でカーネギーなどと同様、自己啓発型処世術の元祖である。そのやり方を忠実に受け継ぎ、エスタブリッシュメントなき本来のアメリカという理念のもとで、さらに発展させたのがトランプだというのが浅川さんの分析だ。


ただ、トランプもそうであるように、ポジティブ思考とはネガティブの徹底的な否定の上に成り立つ。そこにはポジティブが善で、ネガティブが悪であるという強固な二元論がある。つまり、ポジティブ思考の背後にはつねに恐怖がある。ネガティブなものへの強迫観念が、熱狂的なポジティブの礼賛へと結びついている。トランプが「移民」や「テロリスト」への恐怖をあおることによって、みずからのポジティブな印象を強化し、支持に結びつけようとしてきたのはいうまでもない。そして、それが機能してしまう社会的背景がアメリカにはある。


人をすぐ動かすのにもっとも効果的なのは恐怖である。政治とは本質的に、恐怖を背景に暴力をちらつかせることで成り立っている。この本は、トランプの説得術の緻密さを知ることで、アメリカに連綿と流れてきたポジティブ思考や成功哲学の背景に恐怖があること、さらに、その恐怖によって、いともかんたんに大衆が動かされてしまうことをリアルに感じさせてくれる。


成功哲学やポジティブ思考は、結局のところ、洗脳にほかならない。洗脳する側としてこのトランプの「説得術」を用いるか、それとも洗脳されないために用いるかは読者の自由だ。その意味で、この本はトランプの手の内を明かすことによって、逆説的に、自己啓発や成功哲学への辛辣な批判にもなっている。



| | コメント (0)
|

絶望したときには絶望読書を

頭木弘樹さんの『絶望読書』(飛鳥新社)が出た。頭木さんは『絶望名人カフカの人生論』『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』(ともに飛鳥新社)と、カフカと絶望をキーワードにした著作を発表されてきた。このたびの『絶望読書』は、頭木さんの絶望哲学?の濃密なエッセンスを、みずからの絶望体験をまじえつつ、わかりやすく解説した、とても心にしみいる本だ。

Img_0110_2

絶望読書といっても、読んだら絶望する本という意味ではない。絶望しているときに、自分の気持ちに寄りそってくれる本とはどういうものか、という意味だ。もちろん、絶望の奈落に落ちたばかりのときには本など読む気になれないかもしれない。しかし、少し落ち着いて、目をあげると、どんよりした暗い雲が重く、低く、行く手にどこまでも垂れこめているようなとき、ぼくたちは本を手に取りたくなるかもしれない。でも、それはどんな本なのか。


よくあるのは「あきらめなければ夢は叶う」とか「考え方を変えれば幸せになれる」といった前向きポジティブ本だったり、困難にめげることなく目的を達成した人の話とか、そうでなければドタバタコメディだったりするかもしれない。あるいは、本ではないが「アフリカで飢えている人たちにくらべれば」とか「シリアの難民たちにくらべれば」というふうに極端な例とくらべて相対的に「自分の絶望なんてたいしたことない・・・」と考えようとしたりする。


それで元気になれるひともいるかもしれないが、そうでないひともいる。むしろ、そういう本やアドバイスによって、ますます気持ちが暗く沈んでいくこともある。そうした本やアドバイスには、暗く落ち込んでいるのはよくないこと、ひとは幸福であるべき、明るくなければ人生に意味はない、というメッセージがこめられている。つまり、いま落ち込んでいる自分を望ましくないものとして否定し、そこから一刻も早く回復することを促そうとするからだ。


でも、それは絶望のさなかにあるひとにとっては酷だ。いま絶望している人に幸福のすばらしさを説いても、苦しくなるだけだ。では、どういう本がいいのか。頭木さんは、そんなとき「やはり絶望した気持ちに寄り添ってくれるような本」がいいと書く。暗い闇の中に長くいたひとを、いきなりまぶしい光の下に連れ出すようなものではなく、その絶望にしんぼうづよく寄りそってくれるような本だ。裁いたり、道を指ししめしたり、笑わせたりするのではなく、絶望の中にいることを否定も肯定もせず、ただそこにいることをゆるしてくれるような本だ。それが絶望読書だ。


頭木さんは大学生のとき難病になって、13年にわたる闘病と手術によって、なんとか普通の生活が送れるようになった。長い闘病の間、自分が「人生の外」にいるかんじだったという。これが会社とかキャリアを積む中での一時的な挫折だったら、あるいはポジティブ本に書いてあるようなことで気持ちをきりかえて、がんばろうという気になれるかもしれない。そのひとはただ後れをとっただけだから。前にもひとはいるが、後ろには「自分よりも不幸な人」や「シリアの難民」もいる。


しかし「人生の外」へ出てしまったと感じているときには、そういう考え方はできない。そこはコース外であり、前も後ろもない。あらゆることから切れていて、どちらに歩いても、どこにもつうじていない。そこにいるのは自分だけ。それはひたすらに孤独な世界だ。しかも、いつまでつづくかわからない。そういう絶望とは無縁な人生もあるかもしれないが、なにかの偶然で、そんな人生を生きなくてはならなくなることも少なくない。そういうひとたちのために絶望読書が必要だ、と頭木さんはいう。それは気晴らしや娯楽、あるいは教養のための読書とはちがう。溺れているひとが空気を必要とするように、砂漠で渇いたひとが水を必要とするように、生きるうえでなくてはならないものを与えてくれるような読書なのだ。


この本の中では、カフカはもとより、ドストエフスキー、太宰治らの小説のほかに、桂米朝の落語、山田太一のテレビドラマ、金子みすずの詩など、さまざまな物語がとりあげられている。そこに付せられた頭木さんの解説がとてもいい。「落語の明るさ」とは「太陽のような、闇を追いはらう明るさではなく、月のように夜の暗さと共にある明るさ」だという。とても美しい表現だし、ああ、そうかとおもう。なにが「ああ、そうか」は、ぜひ本書を読んでほしい。


現生人類のことを「ホモ・サピエンス」(知恵のある人)というが、知恵があるがゆえに、ひとは現実と言葉やイメージの世界を混同して、しばしば現実を受け入れられなくなって絶望する。ひとは絶望するもの(ホモ・ディスペラトゥス?)といってもいいかもしれない。でも、そんなとき、すぐ答えを見つけなくてはとか、いそいでここから出なくてはと考えるのではなく、時間をかけて、あせらず、しっかり絶望とつきあったほうが結果的に生きる力につながることがある。その伴侶となってくれるのが絶望読書だ。


話はそれるが、その頭木さんが選りすぐった絶望本を集めた「絶望読書フェア」が青山ブックセンター本店で開催されている。選ばれている31冊の本の中には、拙著『たまたまザイール、またコンゴ』も選ばれていた。ある方が写真を撮影して送ってくださった。

Image2

| | コメント (2)
|

ランド・ポール『国家を喰らう官僚たち』

カイロ時代からの畏友の「アサカワ君」こと、ジャーナリストの浅川芳裕さんがランド・ポール『国家を喰らう官僚たち』(新潮社)という翻訳本を出した。著者のランド・ポールは次期大統領候補の共和党上院議員で若き保守派の旗手。肥大化した官僚支配を激しく批判して、「小さな政府」を徹底して進めることを主張してきた。その彼が、アメリカの官僚主義の実態を明らかにした本なのだが、ブラックコメディーかと見紛う不条理にして狂気じみたエピソードの連続に驚かされる。

Img_8823


たとえば、10代の若者がウサギの飼育を行って2009年に440羽のウサギを販売して200ドルの利益がでた。もう興味がなくなったのでやめようと思っていたところに、ある日突然、農務省の役人がやってきて査察を行い、その後「動物保護法」に違反しているので罰金を払えという通知が来る。その額が390万ドル! 日本円で約4億数千万円である。


また、ある夫妻は夏を過ごすために2万3000ドルで購入した分譲地に、家を建てるために土地に砂利や盛り土を入れ始めると、環境保護庁がやってきて「湿地」の上に「盛り土」をするのは「水質清浄法」に違反しているとして、建設の停止を求められるとともに、一日につき3万7500ドル(約450万円)の罰金を科された。しかし、この地区は池にも川にも面しておらず、全国の湿地目録にも含まれていないのだが、環境保護庁が湿地だといえば「湿地」になってしまう。


また、こんなのも。2009年のある日、老舗のギター・メーカーのギブソンの工場に、自動小銃や防弾チョッキで完全武装した30人の特殊部隊が突入し、従業員らを退去させ、ギターの原材料となるマダガスカル産やインド産の木材数十万ドル相当を押収した。べつに工場内でテロ計画が行われていたわけでも、ギターに密売麻薬が仕込まれていたわけでもなく、行われていたのは通常どおりのギター製作だった。


この事件はあのギブソンということもあって、日本でも報じられた。「レイシー法」という植物を国際間で取引する場合の輸出入や販売などを取り決めた悪名高い法律にギブソン社が違反したかどで魚類野生生物局から差し押さえを受けた、というニュースで、そのまま読むと、まあ仕方ないのかなとも受けとれるような報道だったが、現実は仕方ないどころか、まったくもって理不尽な言いがかりでしかない実態が本の中で暴露されている。内容はややこしいので、ここでは省略する。


驚かされるのは、このとき突入した「特殊部隊」の所属が魚類野生生物局だったということだ。なんで魚類野生生物局が武装化しているのか不思議な気もするが、アメリカでは魚類野生生物局だけでなく、農務省も、環境保護庁も武装した特殊部隊を備えているという。米政府には武力を行使できる官庁や機関が38もあるのだという。官僚が武装化しているのだ。予算にしても桁外れで、農務省ひとつとっても1500億ドル(約18兆円)で職員の数は10万。参考までに日本の農水省の予算は2兆5000億円、職員数は約2万4000人。国土面積や人口の差を考慮しても、米国の農務省の規模は桁外れだ。


そこまで肥大化した政府機関とそれを支える官僚機構が、自分たちの権益を守るために、つぎつぎとパカげた規制をつくり、国民に奉仕するどころか、いかに国民を虐待し、やりたい放題をくりかえしているか。その正気を失ったアメリカの現実が明かされる。それは自由があるがゆえの一部の歪みであり、アメリカが「自由の国」であることにはちがいないと言われる向きもあるかもしれないが、この本を読むと、グローバル化や新自由主義といった言葉から連想される自由放任のアメリカというのもまた幻想であり、一方でアメリカが本来の自由主義から日々遠ざかっていることがよくわかる。


浅川さんのあとがきによると、ランド・ポールは自身の立場を「立憲保守派」と呼び、国家の過剰な介入や官僚の越権行為には断固反対で、「自由と財産を侵害する他者が登場すれば、いつでも武力で対抗できるのがアメリカ国民に与えられた神聖不可侵の権利」だと固く信じているとのこと。だから、国民皆保険にも銃規制にも反対。


このあたりは多くの日本人には、なかなか納得いかないだろうが、冷泉彰彦氏によるとランド・ポールにとって「要するに福祉というのは『出来る人間、持てる人間が自発的に行うもの』であって、自分は無償診療で無保険者を救うが(ポール氏は眼科医)、オバマの公的な国民皆保険には『絶対に反対』という」立場なのだそうだ。そのあたりのことはこの本には書いていないし、いちがいに「小さな政府」がいい、いや「大きな政府」でないと、などともいえるものではない。ただ、行き過ぎた官僚支配がいかにおぞましいものかは十分に伝わってくる。


| | コメント (0)
|

新刊『たまたまザイール、またコンゴ』発売+トークイベントのお知らせ

ようやく自分の本の告知です(*´Θ`*)。コンゴ河の旅についての本ができました! タイトルは『たまたまザイール、またコンゴ』(偕成社)。6月17日発売予定。約300ページでカラー写真もふんだんに入っています。

Img_7785


アフリカ中央部の密林を流れるコンゴ河を2度にわたって下った旅の話です。1991年、妻と二人で丸木舟を1ヵ月あまり漕いで下ったコンゴ河を、それから20年以上たった2012年に再訪し、こんどは偶然知り合った若い後輩とともに、またも丸木舟や輸送船などで下った旅の話をまとめたものです。

Img_3119_2


前半が昔の旅、後半が今回の旅の話になっています。前回の旅の後、ザイールはクーデターで国名がコンゴ民主共和国と変わり、そのあと長い紛争を経て、ようやく落ち着いてきました。グローバル化のすすんだこの20数年、アフリカ中央部のジャングルの中でなにが変わり、なにか変わらなかったのか。前回は食べられなかったサルやイモムシを食べつつ、矛盾と不条理の波状攻撃の中で見たものはなんだったのか、硬軟とりまぜつつ(でも、どちらかというと軟が多い)書き下ろした本です。

Img_8568

発売を記念して、西荻窪の旅の本屋「のまど」さんで6月26日(金)19時半よりトークイベントを行います。コンゴ河の旅の話はこれまでも「コンゴ・アゲイン!」と題してなんどか行ってきましたが、せっかくなのでちょっと変化?をつけたいと思っています。本では見られない動画も上映します。久しぶりにハピドラムの演奏もしますので、ご興味ある方はぜひおいでください。


【日時】2015年6月26日(金)19時半(19時開場)
【参加費】900円 ※当日、会場入口にてお支払い下さい
【会場】旅の本屋のまど店内  
  東京都杉並区西荻北3-12-10 司ビル1階

Map


【申込み・問い合わせ】
http://www.nomad-books.co.jp/event/event.htm
  お電話、ファックス、e-mail、店頭にてお申し込みください。   
  TEL&FAX:03-5310-2627
  e-mail :info@nomad-books.co.jp(お名前、ご連絡先電話番号、参加人数を明記してください)
  ※定員になり次第締め切らせていただきます。

Photo_2


| | コメント (3)
|

西牟田靖『本で床は抜けるのか』を読んだ

ノンフィクション作家・西牟田靖さんの『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社)は、タイトル通り、床が抜けるほどの大量の蔵書を持つ人たちが、どうやってそれらの膨大な本と生活との折り合いをつけていったかを、丹念な取材によってレポートしたルポルタージュ作品だ。

Img_7404

蔵書家の苦労を扱った本ならば、これまでにもあったけれど、その多くは技術的な工夫だったり、珍奇なエピソードだったり、偏執狂的な本マニアのキャラクターにスポットが当てられていたりするものが多かったように思う。でも、西牟田さんのこの本は、本というものを人生の中に抱え込んで生きざるをえない、人間の業のようなものをつよく感じさせるという点で、読んでいてなんどもしみじみするものを感じた。


なにより、著者の西牟田さん自身が、本を抱え込んでしまったことがきっかけとなって大きな人生の変転に直面することになった顛末が明かされるにいたって、本というのはなんなのだろう、とあらためて考えさせられた。「本を読みなさい」「本を読まないとろくな人間になれませんよ」みたいなことを学校教育でいわれつつ、本を読みつづけたあとに待っているこうした運命を知るとなんともいえない気持ちになる。


ここには、死後、遺族が途方に暮れるような蔵書を遺した井上ひさしさんや草森紳一さん、大量の蔵書をもちながらも病気がきっかけで、大半の本を処分したイラストレーターで作家の内澤旬子さん、難病でからだの負担を軽減するために電子化もふくめて、徹底的な本の管理化を図った大野更紗さん、自分の脳内を階層化したような構造を持つ円筒形の書庫をつくった経済学者の松原隆一郎さんら、本をめぐる業によくもわるくも人生を左右された人たちの話が展開されている。じつはぼく自身も西牟田さんからインタビューを受け、父親の大量の本を処分したときの話をさせていただいた。その話も本書の中に収められている(「天文学マニアだった父親の蔵書を捨てる」)。


『本で床は抜けるのか』というタイトルを問いかけだととるならば、まちがいなく「抜ける」と思う。ある臨界量を超えた本は、現実の物理的な床ではないにしても(そういう例も本書には報告されているが)、かならずなにかの床を突き破る。ここに登場する人たちもみな、本に人生の床を突き破られてしまった人たちだ。床が抜けること自体はいいことでも悪いことでもないが、本は床を抜かすために読むものであるのはたしかだ。そうでない読書なんて意味がない、とまではいわないが、それだけ本を読んでいれば床が抜けても持ち直せるような力はきっとついているはずだ。たぶん。

| | コメント (1)
|

その他のカテゴリー

CD | かっぱくんとあひるさん | 旅行 | 旧館2002 | | 楽器 | 雑記 | | 音楽