
エジプトにいたとき、上エジプトのアビドスの神殿にイギリス人のおばあさんが何十年も暮らしていた、という話を聞いたことがある。人づての噂によると、そのイギリス人女性は自分が古代エジプト人の生まれ変わりだと信じていて、神々の像に供物や香をたいて祈りを捧げていたという。旅行者が来ると古代の巫女のような格好をして、神殿を案内していたらしい。
エジプトに暮らす外国人には変わった人が多いが、この女性も相当に変わっているなと思ったが、本人は10年以上前に亡くなっているらしく、その後は忘れていた。ところが、その後、ルクソールで本屋に寄ったとき、その女性について書かれている本があることを偶然知った。ジョナサン・コットというアメリカの作家の書いた『The Search for Omm Sety』(「オンム・セティを探して」)という本だった。
一読してみると、これが途方もなく面白い。噂を聞くかぎり、妄想にとりつかれた変人くらいにしか思っていなかったのだが、実際はとんでもない。たしかに変わり者ではあったようだが、妄想狂どころか、じつに数奇な人生をたどってきた知性あふれる魅力的な人物だったことを知って、ひたすら驚かされた。不思議なのだけど、それだけではなく、胸に迫るように痛ましさと美しさをもった、人生の深淵を感じさせる希有な話だった。
女性の名はオンム・セティ。たしかに彼女は自分が前世で古代エジプト人だったということを終生にわたって信じていた。また、自分が3000年前のファラオ、セティ1世の愛人であったというヴィジョンを生涯にわたって持ち続けた。しかし、一方でオンム・セティはほぼ半世紀にわたってエジプト考古庁に勤め、そのエジプト学やヒエログリフについての該博な知識はエジプト学者からも高く評価されるほどだった。(注;オンム・セティのことは「旅行人」本誌157号にも書いたのですが、こちらはweb版ということでやや別バージョンの話を書きます)。
現在活躍している中堅のエジプト学者の多くが、オンム・セティを親しい友人として、またすぐれた研究者として尊敬している。つまりオンム・セティは、アカデミックなエジプト学と、前世体験という二つの対照的な世界を同時に矛盾なく生きてきた人物だったのである。

オンム・セティが、どのようにして古代エジプトの前世を知るようになったのか、そしてその彼女がどのようにエジプト学研究者となって、晩年はアビドスの神殿のそばに暮らすようになったのかは、そのまま映画にでもなりそうなドラマチックな物語である。そのユニークで数奇な人生についてはナショナルジオグラフィックやBBCがドキュメンタリーをつくっているほどである。
彼女の残した日記や友人のエジプト学者らの証言をもとに、「いったいオンム・セティとはだれだったのか」を初めて評伝としてまとめたのが、先ほど挙げたジョナサン・コットの本だった。それがこのたびぼくが翻訳した『転生―古代エジプトから甦った女考古学者』(新潮社)である。
この本はとても不思議な本だ。転生とか生まれ変わりといった、怪しげに見られがちなテーマを扱っていながら、この手の本につきものの胡散臭さがほとんど感じられない。それは著者のコットの関心が、転生体験が真実か否かといったことよりも、そうした個人的な体験を、実人生と絶妙に調和させていった彼女の生き方をていねいに描いていたからだ。
思うに、神秘体験なんてありふれている。私はだれそれの生まれ変わりだ、といった話など珍しくもないし、それが本当かどうかなんてだれにもわかりっこないのだ。むしろ大切なことは、そうした他人にはわからない個人的な内面世界を、いかに本人が実人生の中に織り込んで、豊かなものに成熟させていけるかということではないだろうか。それは、いわば芸術家の仕事にも似ている。オンム・セティの人生は、まさにそうしたものだったように思う。あのオノ・ヨーコが、この本を絶賛していると聞いて、その感をいっそうつよくした。

友人のエジプト学者と語らう晩年のオンム・セティ
また、この本ほど古代エジプトがどういう世界だったのか、ということについて生き生きとしたイメージを描かせてくれるものはめずらしい。というのも、多くの場合、古代エジプトというと、どうしてもピラミッドやツタンカーメンの秘宝といった「物」への興味が中心になりがちだからだ。
学問的にそれらのテーマを取り上げたものならば、たくさんある。けれども、古代エジプト人がなにを考えていたのか、彼らの目に空や川や砂漠はどんなふうに映っていたのか、風のそよぎはどう響いたのか、そうした彼らのこまやかな心象世界を、オンム・セティはみずから体験しつつ共感をもって語ることのできるゆいいつのひとだった。古代エジプト人の息遣いや鼓動を、刻々と感じながら、現世を生きていたひとだった。それはときとしてエジプト学者たちが予想しなかった考古学的な発見にも結びついた。だから多くのエジプト学者から彼女は慕われ、敬意を払われていた。

晩年のオンム・セティ。アビドスのセティ1世神殿の前で。
また、この本では、彼女の転生体験をニュートラルな視点から見つめる著者のアプローチがとてもいい。それはこの本を書いたジョナサン・コットが、いわゆるスピリチュアル系の作家ではなく、「ローリングストーン」誌の編集者出身でグレン・グールドやジョン・レノンやボブ・ディランへのロング・インタビュー本や、ラフカディオ・ハーンの研究書などで知られている芸術家肌の作家であることも大きく関係している。
コットとのメールのやりとりの中で、ぼくは、どうしてグールドやハーンの芸術に深く惹かれてきたあなたが、オンム・セティという一見まったく畑違いの人物に興味を持ったのですか、と訊ねてみた。
コットは返信メールの中で「私にはグールドもハーンも、そしてオンム・セティも自分にとっての本当の故郷を探し求めて旅をしていた人のように思えるのです」と書いてきた。
つづけて彼はこう書いていた。私信ではあるけれど、とても印象的だったので、ここに訳しておく。
「……私が好きなのは、彼らのように地理的な境界、先入観や常識という境界を超えてゆく人なのです。その本質をよく表しているフランスの中世の哲学者サン・ヴィクトルのフーゴーのこんな言葉があります。
『自分の故郷を愛おしむ者は、まだ未熟者である。
どこの土地でも故郷だと思える者は、すでにひとかどの力ある人である。
だが、全世界は異郷のようなものだとする人こそ完璧なのである』
このことをいつも感じるのはグレン・グールドの音楽にふれるときです。幸運なことに、私は数年にわたって電話を通じて、100時間以上もの時間をグールドと共有することができました。グレン・グールドはなみはずれた人物であり、私のヒーローのひとりです」
そんなわけで、もしこの本(『転生』)に興味を持って読んでくださるならば、バックグラウンドにグールドのCDをかけてみてはいかがでしょう。個人的には、バード&ギボンズ作品集や、ブラームスを弾いているやつなどがお薦めであります。


はぁ、なんだか長くなって訳者あとがき別バージョンみたいになってしまった。こんなんだから間が空いてしまうんだな。次回は短くいきます。
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