雑記

なにを見ても、なにかを思い出せない。。

『なにを見てもなにかを思い出す』というヘミングウェイの短編がある。小説の内容よりそのタイトルにひかれていた時期がある。初めて会う人が、知人のイメージに重なったり、初めて来た場所が過去に見たことある風景を思い起こさせたりということが、いまから10年くらい前までよくあった。


ある程度の長さ、人生を生きてくると、たまった知識や経験が、おのずと目の前の風景に重なるのは自然なことかもしれない。それを人生の豊かさという言葉で表したりもするのだろうが、そのときは豊かさよりも、むしろなにかを思い出してしまうことで、自分が過去の記憶や経験に閉じこめられているような息苦しさを感じていた。


ところが、最近はそういうことが、あまりなくなった。なにを見ても、あまりなにかを思い出さなくなった。過去の記憶を参照して目の前の風景や人を見るということが前ほどなくなってきている。だから、なんどか会っているひとにも、つい「はじめまして」といってしまったりする。。。


たんに忘れっぽくなったせいもあるだろうが、それにくわえて、人生の残り時間が意識されるようになってきたこともあるかもしれない。目の前に起きている現実ーー人との出会いだったり、風景だったり、自分じしんだったりーーが、よくもわるくも、これまでいちども起きたこともなければ、もう二度とくりかえすことのない一回かぎりのものなのだ、という事実にいまさらながら気づく。そこに過去の経験がレイヤーのように重なって感じられることはある。けれども、そのレイヤーに現在に侵入する力はもはやない。過去は手の届かないところに不安げに漂っている。


この「時」が「二度とくりかえすことのない一回かぎりのもの」だとしたら、未来は予想できないし、先も見えない。先が見えないと、ひとは不安になったり心配になったりする。でも逆に、先が見えてしまっても、ひとは不安になったり絶望したりするものだ。『なにを見てもなにかを思い出す』を書いたヘミングウェイも結局自死を選んだ。昨今のテロや紛争も「先が見えないから」というより、「見えすぎてしまった先」をこわしたい衝動に由来しているようにも思う。


見方によっては「先が見えない」とは一回かぎりの新しさの中を生きていることであり、それは先の見えてしまった絶望にくらべると、希望にもなりうるのかもしれない。そのことを感じたのは、10年くらい前、認知症になった母を見ていたときだった。


母は5年にわたって認知症で入院していた。認知症の症状はひとによってさまざまだが、母は認知症になる前から、不幸な結婚生活の記憶のせいで、被害者意識を抱えるとともに、それを十分に受けとめられなかったぼくにたいして愛憎入りまじった激しい攻撃性を見せてきた。それが亡くなる前の一年、認知症の進行にともない過去の記憶がうすれていくとともに、母は憎悪や苦悩から解放されていった。それは認知症の悪化による脳の萎縮のせいであったのだが、ぼくにはむしろ数十年ぶりに母の意識の中に光が射してきたようにすら感じられた。


記憶を失うことで、母はぼくをだれかとまちがえることもあった。それでも、そこにぼくがいることを母は心から喜んでくれた。話をしているさなかも母の記憶は泡のように、たちまち消えてしまうのだけれど、そのたびにぼくは新しい息子として、母の前に出現していたのだと思う。そこでぼくは母と何十年ぶりかに「まとも」な会話をした。こうなる前にそういう会話をしたかったとも思ったが、それでも最後の数ヵ月、母の表情が目に見えて安らかになってきたのは、ありがたいことだった。


ありがたい、といえば、「ありがとう」という言葉の反対は「くたばっちまえ」でも「呪われよ」でもない。「ありがとう」の反対は「あたりまえ」なのだという。なぜなら「有り難う」とはめったに起きることのない例外への賛美だからだ。坊さんのしそうな話だが、そのとおりで坊さんのした話だ。


一方、「あたりまえ」とは「なにを見てもなにかを思い出す」ことであり、「日の下には新しいものはない」ことであり、「先が見えてしまう」ことだ。知識や経験や記憶は、えてしてひとをあたりまえの世界に追いやり、その中に閉じこめてしまう。そのあたりまえが快適ならいいが、そこが苦悩に満ちているとしたら、そこから出たい。自分で出られなければ忘却にたよるしかない。できれば建設的に忘却したいものだが思うようにはいかず、なんどか会った方にも、つい「はじめまして」といってしまうかもしれないが、どうかおゆるしください。。あひる商会CEO誕生日の夜に。<(˘⊖˘)>



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明日世界を終わらせないために

3月15日と16日に「明日世界が終わるとしても」と題して、2夜連続でそれぞれシリアとルワンダで支援活動をされている日本人を取りあげたドキュメンタリーが放映された。2夜目で取りあげられた佐々木和之さんは、ルワンダのプロテスタント人文社会科大学の平和紛争研究所で、いまだつづく虐殺の当事者たちの葛藤や苦しみを12年にわたって見つめつづけてきた方。昨年秋に来日されたとき東京外大で話をうかがったことがある。


虐殺から23年、経済力のあるひとは村を出て行ったが、大半の人たちは生活のために惨劇のあった村にとどまらざるをえない。親族を殺されたり自分を傷つけたりした加害者と同じ場所で、被害者が生きていかなくてはならない。信頼回復のために、加害者を訴追するだけではなく、加害者による告白と謝罪などの取り組みもなされてきた。とはいえ当然ながら信頼回復はかんたんではない。


差別を合法化していた旧政権にたいして、現政権はフツとツチのエスニック表記をなくすことで「みんな、いっしょなんだから」みたいな路線をとろうとしている。一見よさげに聞こえるかもしれないが、実際にはいまなお特定の集団が優遇されている現実がある。しかし建前上、差別がないとされることによって、かえって格差や不平等が強化、隠蔽され、再生産されていく。経済的な配分の不平等にたいしてすら批判の場さえない。外大の講演ではこうした構造的な矛盾や現実の複雑さについてふれられていて興味深かった。


被害者女性と加害者男性との和解をとりもつ対話のシーンは、とても印象的だった。自分の気持ちを話すとき、被害者に丸い石を持たせる。加害者はだまって耳をかたむける。こんどは加害者がその石を手にして自分の奥深い気持ちを話し、被害者がじっと聞く。何日もかけて、そうした対話をくりかえす。23年間、自分を苦しめつづけていた記憶がかんたんにいやされるはずはないが、それでもほんのわずかずつ変化が生まれる。そうした感情のこまやかな揺らぎが、短い枠の中で、ていねいにすくいとられていた。


1夜目のヨルダンのアンマンでシリア難民の訪問支援をされている田村雅文さんのドキュメントもよかった。訪問先のあるシリア難民はUNからのアメリカ移住へのオファーを断わっていた。彼は田村さんに「私のしたことは正しかったのか」となんども聞く。田村さんは否定も肯定もしない。先行きの見えない中、嫌がらせをされながらアンマンにとどまりつづけるより、変化を求めてアメリカへわたる選択もあるかもしれない。けれども、そういう助言や意見は口にせず、ただ彼の選択をみとめる。


傷つくのは一瞬だが、癒えるのには長い時間がかかる。けっして結果を急かさず、本人の中から変化が生まれるのを待ちつづけること、その遅々としたペースに時間をかけてつきあうことが、だいじなのだと伝わってくる番組だった。


残念な点もあった。「信念を持って生きる日本人の物語」というのがテーマだったためか、2夜目についていえば佐々木さんが講演で話されていたような構造的な矛盾には、ほとんどふれられていなかった。番組冒頭で「もう民族の違いはなくなった。われわれはみな同じルワンダ人だ」という町の人の声が紹介されていた。先ほどもふれたように、こういう口当たりのよいスローガンによって、現実に存在する差別や不平等は覆い隠されてしまう。「同じ○○人じゃないか」といって得をするのは政権の側にいる人たちだからだ。


実際、大学へ行けるエリート層はツチのほうが多く、政府の支援のおかげで働かないで勉強できるのもほとんどがツチだという。しかし、そのエリート層が、かつての悲劇によって強烈な被害者意識をもちつづけている。イスラエルもそうだが、エリート層が被害者意識をもちつづけるかぎり、構造的な矛盾は温存される。もっとも、このような問題は政権批判につながるのでテレビでは扱いにくいのだろう。


あともうひとつ、メインテーマになっている「明日世界が終わるとしても」という言葉にも違和感があった。これは「明日世界が終わるとしても、私はリンゴの木を植える」というマルティン・ルターの言葉が出典だそうだが、田村さんにしても、佐々木さんにしても、明日世界を終わらせないために活動しているのではないのか。


これがもし「私が明日死ぬとしても、私はリンゴの木を植える」ならばわかる。私が死んで「私の世界」が終わったとしても、ほかのひとたちの世界はつづいていくからだ。


「明日世界が終わる」とは明日隕石かなにかが落ちてきて、この物理的な世界そのものが終わることを意味しているわけではないのだろう。明日がどうなるかはわからないけれど、いまできることをする。その行為が明日をつくる。そのことを信じようということではないのか。明日世界が終わってしまっては困るのだ。


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むすこの帰省、Y君のこと

3年前に就職して九州にいるむすこが正月に帰ってきた。盆と暮れに、たいてい一晩、うちに来る。今年は焼酎のお湯割を飲みながら、さいきん聞いている音楽を互いに聞かせあったりして夜を過ごした。いまはブラックミュージックが好きだといい、お気に入りのRobert Glasperなど聞かせてくれる。自分もさいきんはWeekndとか好きなので、すこし話が合う。どちらの音楽にも、どこかかわいたもの哀しさがある。焼酎がなくなると、残っていたワインを飲み、それもなくなるとお湯を飲みながら、音楽を聞きながら話す。


学生の頃、終電がなくなると渋谷の雑居ビルに住んでいた友人のY君の部屋にころがりこんだ。狭い四畳半の角にウッドベースがたてかけられていて、棚はおびただしい数のレコードで埋まっていた。飲むと、Y君は死体洗いのバイトをしていたときの話や、密航してアメリカにわたったときの話などをした。淡々とした口調で、細部にいたるまで生々しい話にはいくたびとなく驚かされた。それらがすべてホラだったことに気づいたのは、何年もたってからのことだった。


話をしながら、Y君は棚からジャズやプログレのレコードをひっぱりだしてかけた。マイルスもビル・エバンスもウェザーリポートも、リッチー・バイラークのパールも、キース・ジャレットの弾くマイ・バック・ペイジズも、彼の部屋で初めて聞いた。トースターで焼いてくれる厚揚げもおいしかった。


彼の部屋で朝を迎えたことは通算すればおそらく一ヵ月以上になる。いま思えば、それはY君のいる空間の居心地のよさに惹かれていたのだと思う。口は悪いし、辛辣だったが、それは繊細さの裏返しであることはわかっていたから、まったく気にならなかった。だから、渋谷の交差点で酔って車にはねられたときも、病院にいかずにふらつきながらY君の部屋へいった。事故をネタに飲んだ酒はなによりの癒しになった。もっとも翌朝起きたら体中痛かったけれど。


明け方、空が仄かに明るくなる頃、Y君はよくチック・コリアとゲイリー・バートンのクリスタル・サイレンスをかけた。その透明な音楽は、都会が夜から朝へと変わるときの、わずかなしじまにびったりだった。


むすこと話しているときに、そんな昔のことをふいに思い出し、まだ夜明けには2時間ほど早かったけれどクリスタル・サイレンスをかけた。そして、こうしていろんな話ができたことをうれしくおもうし、それを口に出していえる場所と時間が持てたこともうれしく思う、と彼にいった。そんな反応に困るおやじの感傷をさりげなく受けとめ、流してくれたこともありがたかった。


たとえ、いっしょの時間を過ごしていようと、そういうことを口にできる機会はなかなかないし、気づくのもずいぶんあとになってからだったりする。Y君にも、そのことを伝えたかった。あの部屋ですごした時間がどんなに豊かで、かけがえなく、自分にとって救いになっていたか。でも、そのことを十分伝えられたかどうか確信が持てないうちに、きみは世を去ってしまった。今年はきみの墓参りにでかけようとおもう。



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おひるね茶屋へ

やっとおひるね茶屋をおとずれることができた。おひるね茶屋は、作家の故・辻邦生さんの奥さまで美術史家だった故・辻佐保子さんの元実家で、北名古屋にある。いまは辻邦生さんと佐保子さんのプチ文学記念館になっている。

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辻邦生さんはとても気さくで、オープンな方だった。だから、辻さんのまわりには、彼を慕って集まる学生や編集者や、私のようなファンがいた。佐保子さんの役目は、そんな人たちから辻さんの時間を守ることだった。私も昔、佐保子さんに辻さんへの電話を取り次いでもらえなかったことがある。


その後、佐保子さんとも親しくさせていただけるようになったが、辻邦生さんは1999年に亡くなり、佐保子さんはひとりになった。私はときどきお宅におじゃましてお話したり、いっしょに辻邦生さんの墓参りにいったりした。


2011年のクリスマス・イブの前日、イスラエル土産の丸いローソクを佐保子さんに送った。火を灯すと、ローソクのまわりの幾何学模様が幻想的にうかびあがる。でも、そのローソクが到着したクリスマス・イブの朝、彼女は自宅でひとりで亡くなっていた(そのことは以前ブログに書いた)。


その後、親族の方からローソクを受けとりましたと連絡があった。私の送ったローソクはご実家だったおひるね茶屋に置いてあるとも聞いていた。


それから5年、ようやくおひるね茶屋を訪ねた。そこにはかつて夫妻の東京のマンションにあった品々や、若い頃の写真が並べられていて、とてもなつかしかった。昔、私が書いた「辻邦生さんへの最後の手紙」もファイルにはさんであった。ローソクはお二人が帰郷したときに使っていたという部屋に置かれていた。毎年、クリスマスには火を灯していますと弟さんからうかがい、ほっとした気持ちになった。


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佐保子さんが亡くなったあとに分けていただいたマイルス・デイビスの4枚組CDを聞きながら、これを書いている。「ふだんはスカルラッティをよく聞くわね。でも、休日にはマイルス・デイビスよ」と早口で快活におっしゃっていた佐保子さんの笑顔をおもいだす。いまごろ、あのローソクに火が灯っているかもしれない。


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京都でコンゴ・トークイベント「コンゴ河二人旅」

5月22日(日)に京都の堺町画廊さんでコンゴ・トークイベントがあります。関西の方、この機会にぜひ! なんとコンゴ料理イベントもあります。40名様限定なので、ご予約(下に予約用メールアドレスがあります)はお早めに(´Θ`)ノ

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コンゴ河二人旅
田中真知(作家・翻訳家・あひる商会代表)& 高村伸吾(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

アフリカ最奥部のジャングルを流れるコンゴ河。1991年にこの河を妻とともに丸木舟で下った田中真知が、21年の時を経て、こんどは若きパートナー(男)の高村伸吾とともに、ふたたびこの河を下った。手こぎの丸木舟とカオスの輸送船で下った1700キロの河の旅で世代の異なる2人が見たものは?


【日 時】 2016年5月22日(日) 14時半開場 15時開演
     15:00-17:00 トークイベント
     17:30-19:00 コンゴ料理で交流会


【会 場】 堺町画廊 phone+fax:075-213-3636 
〒604-8106 京都市中京区堺町通御池下ル
http://sakaimachi-garow.com/blog/
アクセス http://sakaimachi-garow.com/blog/?page_id=110


【内容】 
1 「コンゴ河、2度の旅から」(田中真知)20年余年の時をおいて、2度のコンゴ河下りで見えたもの、見えなくなったもの。
2 「そして旅はつづく」(高村伸吾)コンゴ河の旅をきっかけに文化人類学研究者となり、いまなおコンゴで調査をつづける高村が見たものは?
3 「バトルトーク・コンゴ河」(田中真知 vs 高村伸吾)いまだから話せる、とんでもなかった旅のこと。


【参加費】 トークイベント1500円/コンゴ料理で交流会1500円 (トークイベントだけの参加もオーケーです)
【ご予約・お問い合わせ】 congo.river.trip@gmail.com までメールでお名前、人数、交流会参加の有無をお知らせください。
 ※ 先着40名様限定 (席に限りがありますのでご予約はお早めに)


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パレスチナ映画「オマールの壁」を見た

パレスチナ映画「オマールの壁」を見た。原題は「オマール」(主人公のパレスチナ人青年の名前)なのだが、日本では「オマールの壁」というタイトルで公開された。外国映画の日本語タイトルには(「愛と悲しみのなんとか」とか)がっくりくるようなものが少なくないが、この作品については、見終わって、とても気の利いたタイトルをつけたものだと感心した。

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ネタバレになるので内容にはふれないが、壁で分断された現代のパレスチナが舞台となっている、ということから、政治的な意図や、告発的要素がつよい映画なのかなと思っていた。


たしかに、そういう見方はできる。実際、動画サイトにひんぱんにアップされるイスラエル兵によるパレスチナ人への過剰暴力や虐待の映像を重ね合わさずに、この映画を観ることは困難かもしれない。けれども、その点からだけ、つまり現在のパレスチナの現状報告という視点ばかりが強調されすぎると、この作品の魅力が平板になってしまう気もした。


なにより、この作品は映画として、とてもていねいにつくられている。アクション、それにサスペンスタッチのエンターテインメント性もある。パレスチナという時代と場所に限定されない普遍的なテーマもきっちり描かれている。それでいながら、ストーリー展開に予定調和的ながっくり感がない。


「壁」は人の移動を物理的に妨げるものであるとともに、人間同士の「信頼」にも分断をもたらしていく。壁によって、オマールやその周囲の人たちの内面にも壁が築かれ、それは容易に乗り越えられないものになっていく。その過程がこまやかに描かれている。オマールの壁という日本語タイトルが気が利いていると感じたのは、そのせいだ。


この作品はイスラエル当局の許可をとって撮影されているのだろうか。だとしら、イスラエル兵を絵に描いたような悪役として表現することに制限が入ることはないのだろうか(あとでパンフを見たら、すべてパレスチナ領内で撮影されたらしい。壁を登ることについては許可を取ったという)。


この映画だけではなく、イスラエル兵はしばしは機械のように冷酷で無慈悲な悪役としてカリカチュアされる。それはイスラーム武装勢力が暴力性に支配された野蛮な輩として描かれがちなのと同じだ。そういう描かれ方をされることにイスラエル当局が干渉してくることはなかったのだろうか。


「表現の自由」というのは悩ましい表現だ。中国や北朝鮮のように表現に対してあからさまに規制をかける体制もある。しかし、規制がないからといって自由だというわけではない。表現の自由が認められている、とは、その表現が体制に及ぼす影響が取るに足らないと見なされているからでもある。「文化人」がなにをいおうと、体制にほとんど影響はないという状況下での「表現の自由」をけっして喜ばしいとはいえない。むしろ、それはあからさまな表現の規制以上に厄介かもしれない。


上映後、主演のオマール役の俳優アダムさんが舞台挨拶に登場した。場内(とくに女子)がどよめいた。映画では坊主頭だったが、いまはウェーブのかかった黒髪で、しかもハンサム。スタイルもいい。

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席からの写真撮影はかまいません、というアナウンスがあるや、客席のあちこちから携帯やカメラがいっせいにとびだした。話しだしたら声もいい。受け答えもスマート。前の列の女性はずっと携帯をかまえたままだ。液晶画面に彫りの深い顔がアップになっている。何枚撮っているんだ。うーん、世の中はやっぱり不公平だ。。。

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春のアフリカ・トークイベント2つ  4月17日、18日

春たけなわですが、今月後半の 4月17日(日)と18日(月)にトークイベントを行います。<(˘⊖˘)ノ ❀

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その1ーー

4/17 「たまたまザイール、またコンゴ」田中真知さんトークイベント
【日時】4月17日(日)14:00~16:30くらい?
【場所】青猫書房(JR赤羽駅より徒歩10分)
【内容】赤羽にある子どもの本の専門書店「青猫書房」のギャラリーにおいてコンゴ河下りのスライドトーク。20年の時をおいてグローバル化以前と以後のアフリカを旅のリアルをじっくりお話しします。ハピドラム演奏付♪ なんと入場無料・予約不要。最大40名くらいまで。
【お問い合わせ】青猫書房 03-3901-4080


その2ーー

4/18 第3回SUTEKIカフェ 田中真知(旅する作家)vs 杉下智彦(アフリカ医療人類学)
【日時】4月18日(月)19:00〜21:00
【場所】社会起業大学コワーキング・スペース(東京メトロ有楽町線・麹町駅より徒歩3分)
【参加費】500円(先着60名)
【内容】杉下智彦先生は医師、医療人類学者、JICA国際協力専門員としてアフリカ20ヵ国以上の保健システム構築に取り組んで来られた方。ナイロビで出会い、話のあまりの面白さに時を忘れました。前半はわたしのコンゴ河スライドトークで、後半は杉下先生とのパネルトークの予定。
【イベントページより】アフリカのステキについて、田中真知(旅行作家)と杉下智彦(アフリカ医療人類学)がバトルトークをします!!コンゴ川丸木船下りから、ナイロビの呪術師、モザンビークの傭兵など、魑魅魍魎な宇宙へ誘います。
【お申し込み・お問い合わせ】 sutekiafrica@gmail.com あるいは、facebookのイベントページ
で受け付けます。下記チラシ参照↓

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* それぞれ別のイベントで、17日は初めての方におすすめ。コンゴ河の話をじっくり聞きたい方に。 18日はコンゴ河下りの話にくわえて、杉下先生のアフリカ経験もふくめて、いままでにない展開が予想されます。

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写真展「ザ・サプール」を見に行って思ったこと

上野でボッティチェリ展を見たあと、渋谷西武ではじまった茶野邦雄さんの写真展「ザ・サプール」へ。サプールとはコンゴのおしゃれな伊達男たち。昨年NHKの地球イチバン「世界一服にお金をかける男たち」で特集が組まれて一躍知られるようになった。


会場に入ったら、なんと今回の写真展でもモデルになっているブラザビルのサプールのセブランさんとバッタリ! 写真展にあわせて来日したらしい。いやー、かっこいい! ダンディで粋な着こなし。存在からリズムが沸き立ってくるようなエレガントな所作!思わずあひるさんとかっぱくんといっしょに記念写真を撮らせてもらった。

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写真展なのに撮影可。写真もとてもよかった。貧困や政情不安といった過酷な状況の中にありながら、優雅にファッショナブルによそおうことに人生をかける。武器をとって戦うのではなく、着こなしで勝負し、自分らしさを表現する。それがサップという生き方だという。


色鮮やかなファッションと背景とのギャップもいい。赤道直下のンバンダカから少し下ったザイール河(当時)沿いの村で、草原の道を歩いていたら、突然前方から白いスーツをまとった若者が歩いてきて白日夢を見ているような気がしたのを思い出す。いま思えば、あれもサップだったのだなあ。

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写真・茶野邦雄さん


写真展はとても盛況だった。でも、見に来ている人たちの中で実際にコンゴに行ったひとや、行く人はほとんどいないのではないか。そう思うと、すこし気になったのは、アフリカ人がみなサプールのような人たちだと思われてしまうことだった。


「貧しいけれども、明るく、人生をたのしんで生きている」。そのようなアフリカ人に対するステレオタイプな見方は昔から存在している。じつは、サプールが人気を集めたのは、そのような古典的なステレオタイプを、彼らにあてはめやすかったから、という理由もあったからではないか。

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写真・茶野邦雄さん


お金がなくても、ファッションに人生をかけて、その日をその日を思いきり楽しむ。それは一見彼らに対して好意的な見方のように思える。しかし、その視点からしか彼らを見なければ、彼らを取り巻いている貧困や困難がどのようなものなのか、ということには目が行かなくなってしまう。それは行きすぎれば、彼らは貧困でもだいじょうぶなのだ、だから貧困を解決する必要はないのだという乱暴な偏見や差別にもつながりかねない。


「コンゴ共和国の平均月収は2万5000円、約3割の人が一日130円以下で暮らしている」と会場のボードに書いてあった。だが、そもそも都市生活者と、それより数の多い農村部の人たちの収入とをいっしょにして出された平均を、個々の人びとの生活水準を測る尺度に使うことには無理がある。それぞれの人たちがどのようにして服を買うお金をやりくりしているのかはわからないが、「平均月収は2万5000円」といったリアリティのない平均値をあてはめてしまうと、彼らが個々それぞれに抱えている困難がいっしょくたにされてしまう。


写真が撮影されたブラザビルには行ったことはないが、サプールは数の上ではけっして多くはないだろう。都市生活者のほとんどは彼らのように生きているわけではない。少なくとも対岸のキンシャサでは犯罪や喧嘩はしょっちゅうだし、役人は粋やダンディとはほど遠いし、賄賂や腐敗はあたりまえだ。だからこそ志をもってサプールのような生き方をするひとたちが眩しく見える。


サプール人気がアフリカ人に対するステレオタイプの強化ではなく、かれらをとりまいている過酷な現実や、そのぬきさしならない状況の中にありながら、粋に、カッコよく、優雅に生きようとすることのすばらしさを、より深く理解するためのきっかけになるといいなと思う。


THE SAPEUR コンゴで出会った世界一おしゃれなジェントルマン

■3月29日(火)〜4月10日(日)※最終日は午後5時閉場※入場は閉場の30分前まで
■A館7階=特設会場
■入場料:一般500円、高校生以下無料

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カフカを読むとアタマがよくなる !?

インターネットによって、ひとは世界のさまざまな情報に自由にふれられるようになった。まちがいではない。しかし、現実に即していうならば、ひとは、インターネットによって、自分の好みの情報に特化してふれることが可能になったというほうが、より正確だろう。


自分の興味のある情報にアクセスし、共通の興味のあるひとたちをつなげる。それがインターネットの大きな力だ。一方で、それは、自分にとって関心のない世界や情報をスルーしたり、排除したりすることを可能にした。ネットの中では、しっくりする情報、しっくりする考え方、しっくりくる人たちとだけつながることができる。


人間の脳はしっくり来るものを好む。しっくり来る人たちとつながっていれば、承認欲求も満たされるし、居心地もいい。そこに居つづけることによって、自分の見方はますます強化されていく。逆に、居心地の良さをおびやかす情報には、不快感や抵抗感をおぼえる。そこで脳は、しっくり来ないものは「正しくない」「重要でない」と見なし、意図的に見ないようにする。そのうちに、それらはほんとうに目に入らなくなってしまう。


そうなると、ひとは見たいものしか見なくなる。見たいものしか見えないと障害物がなくなるので、本人には世界が広がったように感じられる。じつは視野が狭くなって、現実が見えなくなっているのに、そのことに気づかない。


危機が迫っていようとも、しっくり来る世界を守るために、壁を作ってその外を見ようとしない。そのような壁を、かつて養老孟司さんは「バカの壁」とよんだが、インターネットが広まったことによって、自分もふくめて、だれもが、ますますそうした状況に陥りやすくなっている。


じつのところ、その壁の中で一生、生きていけるのなら、それはそれで本人は幸福かもしれない。けれども、実際にはしっくり来ないもの、不快感や抵抗感をもたらす現実が、日々、刻々と起こっている。見て見ぬふりをしていても、ときに不快な現実はいやおうなく迫ってきて、自分たちの生命や生活をおびやかす。「バカの壁」はなんの守りにもならないどころか、ひとをとりかえしのつかない危険にさらしかねない。


作家のマーガレット・ヘファーナンは福島の原子力発電所の事故のときに起きたのが、このような深刻な事態に対する「意図的な無視や無関心」だったと著書『見て見ぬふりをする社会』(Willful Blindness)の中で書いている。現状の居心地の良さを保つためには、それをおびやかす事実には知らんぷりする。たとえ、そのために身を滅ぼすことになるとしても、秩序を乱しかねない不快なもの、抵抗のあるものは、自動反応的にあらかじめ視界から取り除かれる。


人間にとっては、自分がなにを見ているかよりも、なにを見ていないかに気づくことのほうが、ずっとむずかしい。自分が知らず知らずのうちに見落としていたり、スルーしたりしているものはなんなのか、それに気づくことが脳の新しい回路をつくることになる。


では、どうすればいいのか? ヘファーナンは「意図的な無視」のパターンに気づく手がかりを与えてくれるものとして、カフカの作品を扱ったある実験心理学の論文を紹介している(Connections from Kafka: exposure to meaning threats improves implicit learning of an artificial grammar. Proulx T1, Heine SJ. 2009)


ネットの記事(「カフカを読むと、あるいはデビッド・リンチの映画を見ると頭がよくなる」Reading a book by Franz Kafka –– or watching a film by director David Lynch –– could make you smarter)によると、ブリティッシュ・コロンビア大学の二人の教授が、2つのグループにカフカの『村の医者』という短編小説を読ませたという。


『村の医者』は邦訳にして10ページ足らずの小品だが、カフカの短編の中でも、とりわけ、とらえどころのない奇妙な作品だ。村の医者が激しい吹雪の中、10マイル離れた村の重病人を診察にいく話で、始まり方はノーマルなのだが、読んでいくと、どんどんわけがわからなくなっていき、なんどもツッコミをいれたくなるのである。

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実験では、この小説を一方のグループにはそのまま読ませ、もう1つのグループには、意味や辻褄が合うようにテキストをわかりやすく翻案して書き直したものを読ませた。それから、それぞれのグループに、文字列の中に隠されたある規則性(人工文法)のあるパターンを探させる、という実験を行った。人工文法学習というのは認知心理学の方法のようだ。要するに、テキストの文字列の中から規則性を探させるということらしい(といっても、よくわかっていない。。)


結果はというと、翻案したテキストを読んだグループよりも、オリジナルのテキストを読んだグループの方が、より多くの規則性を見出したという。


これはなにを意味しているのか? どうやら、意味がつかみやすいように翻案されたカフカのテキストでは、人は慣れ親しんだ認識のパターンの範囲内でしか、頭を働かせようとしないということらしい。


けれども、オリジナル・テキストを読んだ者たちは、その矛盾をはらんだシュールな内容を前にして、自分たちのなじみの理解や解釈が通用しないことに気づいて、新しい認識のパターンを作りあげようとした。それが、より多くの規則性の発見につながった、ということのようだ。

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予測不可能な状況下におかれると、それをなんとか理解しようとして脳は無意識に過去とはちがうパターンで働き始める。同様な効果はデビッド・リンチの映画「ブルー・ベルベット」についてもいえるという。観たことがあるひとならわかるだろうが、あれもふつうの映画だと思って見始めると、とんでもないことになる。。。


正直なところ、いまひとつよくわからない実験なのだが、「予測可能で」「居心地のいい」「わかりやすさ」の中にいると、脳はそのパターンを守る方向でしか働かず、結果的に見たいものしか見えないということになる、ということのようだ。


「心地よさ」や「直観」をだいじにする、「好きなことをする」というと、一般にはすばらしいことのようにいわれている。しかし、好きなことをつづけるには、心地よさばかりではなく、抵抗やモヤモヤがともなうのも事実である。居心地の良さを優先して、モヤモヤに向き合わないと、結局、「見たいものしか見ない」「見たくないものは見えない」という回路の強化でしかなくなる可能性もある。


モヤモヤやイライラや抵抗の中にこそ、見えていないものに気がつくきっかけがあるのではないか。だとすれば、コンゴ河を旅しながらカフカを読んだりすれば、イライラとモヤモヤで脳はいやおうなく活性化する、かもしれない。。。


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どこへも通じていない歩みのはてにーー映画「蜃気楼の舟」

渋谷のUPLINKで竹馬靖具監督の『蜃気楼の舟』という映画を観た。竹馬監督は1983年生まれの30代前半の若い監督で、この作品が2作目。かぎられた制作資金で、宣伝活動費はクラウドファンディングを用いた低予算映画ながら、出演者に舞踊家の田中泯、バレリーナの小野絢子、エンディングテーマが坂本龍一という豪華な顔ぶれだ。

映画には主人公の青年が生きている二つの現実が描かれる。ひとつはホームレスの老人らをだましてプレハブのバラックに住まわせ、生活保護費をピンハネする「囲い屋」としての現実。そこは嘘と暴力からなる猥雑で無感覚な世界だ。

もうひとつは青年の内面に展開する深い山中の湖や、海辺、砂丘、廃墟と、そこをさまよう自身の姿である。その深い静けさをたたえたモノクロームの映像は息をのむほど美しい。

ある日、青年の働く「囲い屋」に彼の母親が死ぬ前に姿を消した父親(田中泯)が現れる。父親は記憶をなくしていて、一箇所にとどまっていられず、すぐにどこかへいってしまう。母親の記憶を探し求める青年と、記憶を失った父との、あてどもない彷徨が淡々と描かれていく。

一見すると、社会の闇や不条理な現実を扱っているようだが、自分には、とてもプライベートな感覚でつくられた作品におもえた。だから感想も感覚的に書いてみる。

父親は「ここではない」とつぶやきつつ、歩きつづける、そして青年もまた出口のない山野をさまよいつづける。しかし、いくら歩きつづけても、その歩みはどこにも通じていない。カラーで描かれる現実の世界も、モノクロームの内面の世界も、たとえ色が反転することがあっても、「ベルリン」の天使が見出したような現実への脱出や再生にはならない。

どこまで歩いても、どんなにさまよっても、どこへも行けない。波打ち際まで歩いていった父親は、その先へ行けず砂の上で慟哭する。湖に浮かぶ小舟は無人で、火だけが燃えている。死は残されているが、それが出口である保証はない。

記憶を失ったホームレスは二重の意味で生から閉め出されている、というか生の中に閉じ込められている。「家の鍵」は見つからず、「本当の名前」が知られることもない。ホームレスでない者などいないし、本当の名前などどこにも存在しない。生があり、家があり、本当の名前があるという思い込みのうえに、この生がなりたっている。しかし、そんなものはなく、どこにも通じていない山や森や砂漠だけがそこにある。

父親に扮する田中泯が路上で舞い、音のない廃墟でバレリーナの小野絢子が踊る。それはどこへもつうじていない彷徨の中での悲劇的な舞いにもかかわらず、このうえなく自由で美しい。むかし聞いたスーフィー(イスラーム神秘主義者)の言葉を思い出した。「神に近づくために舞うのですか」と聞かれたスーフィーが、「ちがいます、あらゆる束縛から放たれるとき、ひとは自然と舞いはじめるのです」と答える。彼らの舞いにも、そんな自由を感じた。ただし、それは鎖から逃れて得られる自由ではなく、鎖につながれていながら鎖が無意味化してしまうような自由だった。

個人的には気になる点もあった。ホームレスを搾取する貧困ビジネスの描き方が類型的だったり、科白がぎこちなかったり、焦点があいまいに感じられたりした。だが、上映後のあいさつで竹馬監督が「物語性をなるべく廃して、キャラクターもはっきりさせないよう意識した。展開で見せたり、感情移入させたりということを避けたかった」という内容のことを語ったので、なるほどと思ったが、逆にそうした意図がつよいせいで、かえって作為的に感じる部分もあった。といっても、それはたんなる好みの問題にすぎないが。

見終わったあと、下のカフェでこの映画を紹介してくれた新居昭乃さんと話していると(昭乃さんは竹馬監督の前作の音楽を担当したそうだ)、たまたま監督がひとりでカフェに下りてきたので、作品鑑賞直後に監督と直接話をするという僥倖を得た。

映像的にはタルコフスキーのような静けさはあるのだけれど、ひとつのエピソードにテーマが濃密に集約されていくというかんじは受けなかった。そんな話をすると、「タルコフスキーは自らの戦争経験や民族性やロシア正教といったものの深い影響のもとに映画を作っている。けれども、自分には正直いってそういうものがない。それが自分にとっての現実」という内容のことをおっしゃった。

焦点を結ばない、とらえどころのない希薄さというのは、おそらく監督自身が感じているリアリティなのかもしれなかった。ともすれば再生やカタルシスを描きたがる作り手と、それを見たがる観客に対して、再生が見えない、再生などない、そもそもだれにも本当の家などないし、みなホームレスだし、どこにも行けないし、死すらもあてにならないということをこの作品はつきつける。しかし、その焦燥と絶望の中にありながらもなお、美は存在しうるとすれば、それはひとつの救済なのかもしれない。


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